ど-607.余命
余命、あと・・・・・何年だ?
「ぅ、く……」
「――?」
「がはっ!!」
「旦那様!?」
「がはっ、ごほっ、ごほっっ、――っっ、ぐ、」
「旦那様、旦那様っ、旦那様ッ!! 如何なされたのですかっ、お気を、お気を確かにっ」
「っ、はーっ、はーっ、はーっ……」
「……旦那様」
「――くっ、ふぅぅぅ。やれやれ、今まで騙し騙しやってきたんだが、それもそろそろ潮時……ということか」
「そんな、旦那様っ」
「ふっ、すまないな。お前にはいつも迷惑をかける」
「そのような――そのような事は御座いませんっ、全ては旦那様の御為を思えばこそ、苦労などと思ったことはただの一度も御座いません」
「そうか。そいつぁ、ありがとな」
「だん、」
「でも。それもそろそろ終いってな具合だな、こりゃ」
「……旦那様、そのような寂しいことを仰らないで下さいませ」
「寂しいも何も――俺の身体のことはお前が一番良く分かってるだろう?」
「旦那様の身体のことを一番良く分かっている、と。何だか生々しいお言葉で御座いますね?」
「違う、そういう意味じゃなくて」
「ええ、はい。存じ上げております。そして旦那様のお体のことも当然、承知しております」
「なら――」
「まあ旦那様は近年稀に見る健康体であらせられますが。俗に言うアレでしょうか、馬鹿は死んでも馬鹿のまま、と」
「違う。それは何処かの“なんちゃった♪女神”の方だ」
「……それもそうでしたね。旦那様の場合は手に負えない自覚的な馬鹿、と言ったところでしょうか」
「あー、うん、まあそんなところかな?」
「はい、この馬鹿」
「だからって何かこう、問答無用で罵倒して良い訳じゃないと思うけど!?」
「はい、この旦那様」
「いや……それはそれでどうなんだと、と言うよりも『この旦那様』とかってどんな使い方だよ、それ」
「知らないのですか? “旦那様”と言うのは様々な意味を表すことが出来る、相手を貶す事が出来る最上位言語なのですよ?」
「知らん。初耳、つかなんだそれは」
「例えばこのような用い方が御座います。『この――旦那様っ!』『貴方なんて……旦那様ですっ!!』などなど」
「いや、意味分かんないんですが、マジで」
「ですが一番用いられているのはやはりアレでしょうか、『あなた、旦那様に似てきましたね?』」
「それは今までと違って確実にある個人を指して“旦那様”って呼んでると俺は思うのだが!?」
「? 異な事を仰られますね。旦那様といえば旦那様しかいらっしゃらないでしょうに」
「いや、だからお前の言う『旦那様』ってのは、」
「旦那様は旦那様で御座いましょう? 旦那様とは今この瞬間、私の目の前に居られる旦那様以外に存在しませ――旦那様、何故に私の視線から逃げようとしておられるのですか?」
「……何となく」
「左様で御座いましたか。兎にも角にも。旦那様といえば旦那様――敢えて偽名で申し上げますが、旦那様、あなた以外にはいない」
「……ん、む――」
「? 何を照れておられるのですか、旦那様?」
「あ、んむ……いや、随分と久しぶりにお前に『旦那様』以外の呼ばれ方したなと思――……いや、なんでもない」
「旦那様がお望みとあらば旦那様とも旦那様とも、旦那様とお呼びしても私は構いませんが?」
「ゃ、全部『旦那様』しか言って無いから、それ」
「不思議なこともあるものです。それに何より、私にとって旦那様は旦那様でありそれ以上それ以下それ未満の存在ではないのですから」
「……俺はせめて、その『旦那様』とやらに良い意味がたっぷり込められている事を願おうと思う」
「それでは私も旦那様の期待に沿えるように一緒にお祈りいたします」
「いや、お前のことだから! お前のことだからな!?」
「……安らかにお眠りくださいませ、旦那様」
「それ違うよ!? “祈る”の意味が色々と違ってるよ!?」
「いえ、私としては最近不眠がちな旦那様が良く眠れるように、と思っただけでそれ以外の他意は微塵も御座いませんでしたが?」
「そもそもその不眠の原因もお前だからな!?」
「まぁ、そのような……取り様によっては『毎晩励んでいるのですね?』的な物言いはどうかと思います。私は一切気にしませんが、恥ずかしいですよ――旦那様の存在自体が」
「俺の存在がかよ!? じゃ、なくてっ。今の言葉をそんな風に受け取るのはお前だけだよ!!」
「旦那様は毎晩お忙しい」
「……む」
「私も毎晩旦那様のお世話に励んでおります」
「……」
「旦那様は毎晩、“夜も”お仕事に励んでおられまして、私も旦那様の監視役に勤しんでおります。――何か間違いが?」
「……いや、違わない。言ってる事自体違ってはいない、が……」
「旦那様、余り変な意味に取られないほうがよろしいかと思いますが、もしかせずとも要求不満で御座いますか? 私が発散役として志願いたしますが」
「それは断っておく。お前の発散役ってのは体動かすとか精神的に追い詰めるとか、そういう方面だから」
「旦那様がお望みとあらばどのような方面であれお応えする準備は整っておりますが?」
「――いい。それでも遠慮しておく……のが正解だ」
「然様で御座いますか。――では旦那様、そろそろ休憩の方は宜しいです」
「いや、まだ全然休んで――と言うか今の言葉はおかしいよ!? 何ででもういいってお前が断言してるの!?」
「今後の余地絵で御座いますが処理部の視察に、魔道部への集中指導、その後倒れるまで護衛部でこき使います」
「おかしいよな!? 色々とおかしすぎるスケジュールだよな、それって!!」
「いつもどおりですが?」
「……くっ、そう言い切られて何の反論も出来ない俺が哀しいっ」
「では旦那様、参りましょうか――ああ、それと無駄な小芸に用いた吐血の痕跡は後ほど汚れが一番落ちにくくなった頃合を見計らいまして旦那様に掃除していただきますから、どうかそののおつもりでお願いいたします」
「それくらいなら今やるよ!? 今すぐやるよ!!」
「いえ、今は処理部の方々が旦那様のことを今か今かと待ち望んでおられますので……ほら、参りますよ、旦那様」
「いや、ちょ、ま、あと少し、ほんの少しだけでいいからっ、頼むからー!!!」
「謹んで却下いたします、旦那様」
二人の会話の無いように意味が無いのはいつものこと。
そしてこの物語自体に意味はさほど無い。
ただのんびりくらりな日常です。