僕を忘れないで
人生に意味があるのか、そんな思い問が僕らの人生には常に投げかけられている。ただ、人は皆健忘症、一つの問なんて簡単に忘れてしまう。重要な問いの上に今日の晩御飯から明日の飲み会まで瑣末な問が山と積み上がり、その重みに潰されれば、最後には全て忘れてしまう。
僕、荒川誠太の人生もそんな感じだった。刻々と山積し続ける日常の重みの中でごぼごぼと溺れ続け、全ては恢恢として無意味な灰色の空に消えていく。昔、どんな問をたてつづけていたかなんて茫々として思い出せず、洋々とした思惟の中を彷徨う。ただ、感じるのは切々たるあの時の感情。
大人になれば変わると思っていた、世界に出れば変わると思っていた。結局なにも変わることはなく、むしろ日々の密度は下がっていた。生まれ育ったあの小さな工業都市の空はいつも灰色にけぶっていた、そして僕の行く所、結局どこでもあの灰色の空は茫漠としてつきまとう。北京もロンドンも、セブのあの熱帯の焼けつく太陽でさえも日々のルーティンの前では輝きを失い、鬱々たる灰色に染まる。どこに行こうと変わることのない日々の虚しさと、忙しさの中で、僕の心はいつだって叫んでいた。
「こんなはずじゃない。人生にはもっと意味があるはずだと」
糾糾として叫び続ける無意識を踏みつけて、目の前の作業を続けてきた。死んだ魚の眼をした僕の前で一日一日が光を失い死んでいった。中学校の時、日々はもっと輝いていた。近所の砂浜、友人たちの声、それほど意味は無いけれども意義深く思えたあの日々は、既に遠く手すらも届かなく感じる。それもまた虚しい日々の重みに潰された結果。
いっそ世界全体が暗黒に沈めばいいのに。そうすればきっと輝く光と闇のコントラストに常世の善悪、悲しみと喜びが浮かび上がるだろうに。結局、それら全ては分かちがたく混ざり合っている。だから灰色なのだ。
意味を失った日々の総体。黒でもなければ白でもなく、ただ無為として流れ去る毎日。そしてその積み重ねが人生となってしまう。
「こんなはずじゃなかった」
懊悩として叫び続ける無意識に気が付かないふりをして、気がつけば僕は大人になっていた。未だに変わることのない罪な無邪気の僕の心は未だに中学生のまま。ただ、年だけが重ね、責任だけが重なり、本当の重みは失われていった。今から思えば、少年の頃のあの日々は一日が1年ほどに長かったように感じる。無駄にから騒ぎして、それでも豊かに富んでいた。いまや、一日が一秒のように、ただ時間を消費し続ける。消えることのない疲労感が日々を苛み人生の密度は失われる。もう、うんざりだ。
人生の価値など本人次第だと人は言う。でも、その本人が自分の人生に意味を見いだせていないとしたら、空気のように虚しいものだと感じるとしたら、それこそ本当に無価値だ。無意味だ。濁濁とした思考の流れはにごり、渦巻きながらやがて避けられない結末へと至る。
このまま人生の密度が薄まり続けるくらいならば、いっそ最も濃い終わらせ方によってその価値を最大化すればよいのではないかっと。用意したのは肥後守。たった一振りの小さなナイフ。中学時代のあの愚かしくも、最も輝いていた日々の残滓。
さぁ、終わらせよう。この灰色の日々を、価値の無い無意味な毎日を。
そうして僕はひと思いに肥後守の鈍色の刃を深々に突き刺した。一瞬そのねずみ色の刃が白くきらめいた気がして、傷みが走る。今まで感じたことのない痛み、想像だにできない激痛、痛覚が麻痺する寸前の悲鳴。脂汗が顔をつたう、それでも僕は生きている。ジンジンと明らかな傷みが僕を責めさいなむ。多いっきり、内蔵に引っかかる刃を右に引く。横一文に鮮血がにじみ、耐え難い痛みに喉が絶叫する。深々たる傷みは津津として生きている実感を呼び起こす。この一秒一分は世界の誰もがほとんど味わったことのない貴重なもの、自分の無心の人生で最も意義深い時間、最大限に溶け出す命と時間を意識する。
更に刃をかき混ぜる。あたりを見渡せば鮮やかな赤、灰色の時はもう終わる。そう思うとふっとらくになれた気がした。意味のない人生の意味を少しで持たせたなら、中身の無い人生の密度を刻めたなら、この死に方、この傷みこそが僕を救済する。
前に倒れこんで、うめきながら、傷みを感じ続ける。もう全て赤い、もう全て黒い、もう全て白い。あとはこの感覚にすべてを任せ意識が消えるまでの最後の時を楽しみだけだ。めまいの中で僕の頭が生存本能に反逆した喜びを刻み込む。
こんなはずじゃなかった、
灰色の日々に積み重なった、
虚しい記憶は積み重なる。
幾千万の『もし』と
幾千万の『現実』
全てが相対性の中で色褪せる。
こうなりたかった
そんな願いが僕を変える
そんな願いが世界を変える
幾千万の『夢』と
幾千万の『仮定』さえ、
本当は存在しなかったのだ。