#09
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「やあやあ、みなさん、おそろいで」
宝物庫から出てきたゼノンはのんきな口調で、そういった。
部屋には、マーカム夫人、ウルテマル、リシューレ、ヒビワール、それにフナンにデルモンテ伯爵夫人が勢ぞろいし、加えて、警備の警官に、私、アームの業者に、紛失事件を聞きつけた博物館関係者、運搬業者、おまけに保険の調査員までやって来ていたから、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態だった。
ゼノンは全員を見回し、ぽち丸に目配せしてから、にっこり微笑み、改めて挨拶をした。
「はじめてお会いする方が多いですね。こんばんは。ぼくは、ゼノン・クリノといいます」
「自己紹介なんて、どうでもいいざます。どうして、私たちがこんなところに集められたのか説明してちょうだい!」
鼻息の荒いデルモンテ夫人が、さっそく、ゼノンに詰めよった。
ゼノンはいつもの眠そうな目で夫人を見つめ返し、穏やかな口調でいった。
「時間を節約するためですよ。マダム」
「時間を節約?」
「はい。いちいち、みなさんのところに行って、いろいろ確認するのは面倒だったので、そうしなくてもすむように一か所に集まってもらいました」
「すると、きみはここで、我々の取調べをまとめてするっていうのか? バカバカしい。窮屈な部屋に押し込まれたうえ、みんなの前で取調べを受けろだって? 不愉快だ!」
長身の青年――ウルテマルが非難するようにいうと、ゼノンは首をふった。
「取調べなんてしません。今回のケースは、する必要がありませんから」
「する必要がない?! 一体、どういうことだ」
ウルテマルが尋ねると、ゼノンはわざとらしく肩をすくめた。
「どういうこともなにも……、犯人はわかっていますから、取調べの必要なんてありません」
「なんだって?! 一体、誰なんだ」
「まあまあ、落ち着いてください。ミスター。……みなさんも、まずはこちらをご覧ください」
ゼノンは懐から、拳大の宝石を二つ、取り出した。
大蒼玉ポルックスと大青玉カストルだった。
周囲から驚きの声があがった。
「そ、それは……どこにあったんだ?」
ウルテマルの疑問は当然だ。
だが、ゼノンはそのありきたりな質問に、心底、がっかりしたようだった。
「決まってるでしょう。宝物庫のなかですよ」
「だが、コンテナのなかにはなかったんだろう?」
「ええ。隣のコンテナに紛れこんでいました」
「隣のコンテナだって? どうして、そんなところにあるんだ?!」
「それも決まってます。犯人が隣に移したからですよ」
「犯人はどうやって宝物庫のなかに入ったんだ?」
ウルテマルの問いにゼノンはきっぱりと断言した。
「わかりません」
「なんだって?」
「わかるはずがない。完全犯罪なんだから」
「し、しかし、きみは今、犯人がわかったといったじゃないか」
「もちろん、犯人はわかっています。でも、動機や犯行手段は、本人に聞いてみないと……ねえ、フナンさん」
不意に名前を呼ばれたフナンはさすがに驚き、顔を引きつらせた。
「私はなにも存じませんが?」
「そんなことはないでしょう。あなた、犯人なんだから」
すべての視線がフナンに向けられた。
フナンは静かに首を振った。
「そんな唐突におっしゃられても、どうして、私が犯人なのでございましょう。そもそも、証拠がございません」
「残念ながら証拠はあるんですよ、フナンさん。動機や犯行手段はわからなくてもね」
「……」
ほんの一瞬、狭い部屋に静寂が満たされた。なんともいえない不気味な静寂だった。
ゼノンがまっすぐフナンを見つめて、いった。
「絶対嗅覚って、ご存知ですか?」
「絶対嗅覚?」
「シリウス・スピカ犬は特殊な嗅覚を持っていて、一人一人の口臭を嗅ぎわけられるんですよ、フナンさん。ケースのなかには、あなたの口臭と餃子の臭いが、かなり濃く残った状態でした」
「わん!」
ぽち丸が加勢するように吠える。
だが、フナンは動じることなく、冷たく言い放った。
「おかしなことをおっしゃいますね。私は午前十時ごろ、事前確認のために宝石を確認したと申したはずですが」
「ケースを開けて、中身を確認したと?」
「当然でございます」
「なるほど……で、そのあとは?」
「そのあと?」
「そうです。そのあと、あなたはケースに近寄りましたか? 宝物庫のなかに入りましたか?」
「そんなことはしておりません。そもそも宝物庫のなかには通常、入れません」
「そう、その通り」
ゼノンは満足そうにうなずいた。
「それなのに、宝物庫のなかにも、ケースのなかにも、餃子の臭いとあなたの口臭が残っていた。これは一体、どういうわけでしょう? 餃子にザーサイ、タマゴスープ……ニュー来々軒のご主人に確認したところ、今日の日替わり定食と完全に一致する臭いでした。つまり、あなたは昼の日替わり定食を食べたあと、なんらかの方法で、宝物庫のなかに入り、ケースを開け、双子サファイアを取り出し、別のコンテナに移動させたんです。おそらく、あとでこっそり回収するつもりだったんでしょう。でも、シリウス・スピカの鼻はごまかせない。宝物庫に残る餃子の臭いをたどったら、すぐに双子サファイアは出てきましたよ。一応、餃子の臭いが強烈だったので、ほかの人の口臭チェックも、いま、ぽち丸にしてもらいましたが、関係者で餃子を食べているのは、あなただけでした」
「あんたの息、とっても餃子臭いわん!」
ぽち丸が、傷つく一言を吐き捨てた。
「そ、そんなバカな!」
フナンは悲鳴に近いような声をあげた。顔からみるみる血の気がうせていくのがわかる。
「……さ、三十年だぞ。三十年かけて練った計画が……餃子定食でダメになるだと?! あ、ありえない。宝物庫への完璧な侵入方法や、カメラの死角をついた斬新な移動方法を考えるのに、どれだけ苦労したと思っているんだ!」
「そんなの、こっちの知ったことじゃない」
「ぐっ」
フナンは下唇を噛み、幽鬼のような形相でゼノンとぽち丸を睨みつけた。
睨みつけられたゼノンとぽち丸は臆することなく、同時に舌を出し、負けじとあっかんべーで応戦したため(ぽち丸にいたっては、おしりペンペンまでやっていた)、結果、フナンがぶち切れ、取っ組み合いのケンカが始まってしまったのだが、みっともなく、低レベルな内容だったので、ここでは省略しておくことにする。
ともあれ、完全犯罪、双子サファイア盗難事件は見事、無事(?)に解決した。