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明日もとなりにいてほしかった。

掲載日:2026/10/17

「朔ってさ、明日が来なかったらどうする?」


 帰り道、結衣がそんなことを聞いてきた。


「なんだよ、急に」


「いいから。どうする?」


「どうするって言われてもな……宿題が終わってなかったら困る」


「もう、そういうことじゃないんだけど」


 結衣は呆れたように笑った。


「じゃあ、結衣はどうするんだよ」


「秘密」


 そう言って、結衣は少しだけ先を歩いた。


 昔から、結衣はたまにこういうことを言う。


 意味の分からない質問をして、こっちが考えている間に、ひとりで納得したような顔をする。


 俺たちは小さい頃から、ずっと一緒だった。


 家が近くて、学校も同じ。放課後は当たり前のように一緒に帰り、くだらないことで言い合いになっても、次の日には何事もなかったように話していた。


 明日も会える。


 そんなこと、わざわざ考えたこともなかった。


 だから、数日後。


「ずっと、こうだったらいいのにね」


 帰り道、結衣がぽつりと言ったときも、俺は深く考えなかった。


「何が?」


「こうやって、一緒に帰るの」


「毎日帰ってるだろ」


「うん。そうなんだけど」


 結衣は前を向いたまま、小さく笑った。


「……そっか」


 それ以上、聞き返すことはしなかった。


 その日の帰り、結衣から聞かされたのは、来月、引っ越すという話だった。


「お父さんの仕事の都合なんだって」


「……引っ越し?」


「うん。電車で何時間もかかるところ」


 結衣はいつもと変わらない口調だった。


「そっか」


 やっと出てきたのは、それだけだった。


「ごめんね。もっと早く言えばよかったんだけど」


「いや、結衣が謝ることじゃないだろ」


 そう答えながら、俺はうつむいた。


 何か言いたかった。


 でも、引き止める理由なんて、俺にはなかった。


 ふと、あの日の質問が頭に浮かんだ。


 明日が来なかったら、どうする?


 あのときにはもう、結衣は引っ越すことを知っていたのかもしれない。


 そう思うと、胸の奥が少し痛んだ。


 それから何日か後、俺たちはいつもの帰り道を歩いていた。


 途中にある小さな店の前を通りかかったとき、結衣がふいに足を止めた。


「覚えてる? あそこでアイス食べてたこと」


 結衣が指さした先には、昔と変わらない店があった。


「ああ。どっちが早く食べ終わるか競争してたやつ?」


「そうそう。朔、いつもずるいんだもん」


「いや、普通に食べてただけだろ」


「絶対うそ。私が負けると、すっごい得意げな顔してた」


「そりゃ勝ったら嬉しいだろ」


 結衣は少しだけ頬を膨らませたあと、笑った。


「今度やったら絶対勝つから」


「はいはい」


 いつもの調子で返しながら、俺は店を振り返った。


 昔は、ここでアイスを食べることだって、当たり前の毎日の一部だった。


 また来ればいい。


 そう思っていた。


 けれど、『今度』がいつになるのかは、もう分からなかった。


 結局、その日は店に寄らずに通り過ぎた。


 引っ越しの日が近づくにつれて、いつもの景色が少しずつ違って見えるようになった。


 教室も、帰り道も、何気ない会話も。


 これまで気にも留めなかったものばかりだった。


「ねえ、朔」


「ん?」


「私がいなくなったら、寂しい?」


 結衣は前を向いたまま聞いた。


「……そりゃ、寂しいだろ」


「そっか」


 結衣は少しだけ笑った。


「よかった」


「何がだよ」


「秘密」


 またそれか。


 そう言い返しかけて、やめた。


 今は、その意味を聞くのが少し怖かった。


 引っ越しの前日。


 俺たちは、いつもの帰り道をゆっくり歩いていた。


「小さい頃さ、よく喧嘩してたよね」


「結衣がすぐ怒るからだろ」


「朔が余計なこと言うからでしょ」


「はいはい」


「ほら、そういうところ!」


 結衣は怒ったふりをしたあと、すぐに笑った。


「でも、喧嘩しても次の日には普通に話してたよね」


「まあな」


「朔、よく言ってたじゃん。『明日も遊ぼうぜ』って」


「そんなこと言ってたっけ」


「言ってたよ」


 結衣は少しだけ歩く速度を落とした。


「私、あれ好きだったんだ」


「……何で?」


「だって、明日も一緒にいられるってことじゃん」


 俺は結衣を見た。


「高校生になってからもさ、朔が『明日も一緒に帰ろう』って言ってくれると、嬉しかった」


 結衣は笑っていた。


 けれど、いつもの帰り道を見つめる横顔は、どこか寂しそうだった。


「ずっと続くと思ってたんだけどな」


 風が吹いて、結衣の髪が揺れた。


「変だよね。明日なんて、普通に来るのに」


 明日も会えると思っていた。


 ずっと、そう思っていた。


「結衣」


「ん?」


「俺、お前のことが好きだ」


 口にしてみると、思っていたよりも簡単に言えた。


 ずっと言えなかった言葉だった。


 結衣は目を見開いた。


 しばらく俺を見つめたあと、小さく息を吐いた。


「……遅いよ」


「悪い」


「ほんとだよ」


 結衣は笑った。


 目元が、少しだけ潤んでいた。


「私も、朔が好き」


 もう少し早く伝えていれば。


 そんな思いが浮かんだ。


「……これからも、連絡していいか?」


「当たり前じゃん」


「いつか、また会おう」


「うん。絶対ね」


 俺たちは小指を結んだ。


 子供の頃にも、何度もした約束だった。


 けれど、その日はいつもより長く、指を離せなかった。


 別れ道に着くまで、俺たちはゆっくり歩いた。


 明日になれば、結衣はいなくなる。


 分かっていても、まだ実感が湧かなかった。


 翌朝。


 駅の改札前で、俺たちは向かい合っていた。


「忘れ物ない?」


「ないって。昨日、何回確認したと思ってんだよ」


「筆箱忘れたことあるじゃん」


「あれは小学生の頃だろ!」


「ふふっ」


 結衣は楽しそうに笑った。


 電車の到着を知らせるアナウンスが流れる。


 そろそろ時間だった。


 結衣は改札の向こうを見て、それから俺に視線を戻した。


「……ねえ、朔」


「ん?」


 結衣は何かを言いかけた。


 けれど、少し迷ったあと、首を横に振った。


「ううん。なんでもない」


「何だよ、それ」


「秘密」


 結衣は、あの日と同じように笑った。


 俺は聞き返さなかった。


 電車の到着を知らせる音が、もう一度響いた。


「じゃあ、行くね」


「ああ」


「……またね、朔」


「またな」


 結衣は改札を通った。


 何度か振り返って、そのたびに手を振ってくれた。


 俺も手を振り返した。


 やがて結衣の姿が人混みに紛れ、見えなくなった。


 それでも、しばらくその場から動けなかった。


 帰り道は、ひどく静かだった。


 いつも隣にあった声がない。


 何度も歩いた道なのに、知らない場所みたいに感じた。


 家に着く前、スマホが震えた。


『ちゃんと帰れた?』


 結衣からだった。


『今、帰ってるところ』


 そう返すと、すぐに返信が来た。


『そっか。明日も頑張ろうね』


 俺は少しだけ笑った。


『おう。また明日』


 送信してから、スマホをポケットにしまった。


 明日、結衣はいない。


 それでも、明日は来る。


 *


 結衣は、見慣れない部屋の中にいた。


 段ボールがいくつも積まれ、まだ片づいていない荷物が床に置かれている。


 窓の外には、知らない街の明かりが広がっていた。


 スマホを手に取る。


 画面には、朔とのやり取りが残っていた。


『おう。また明日』


 結衣は、その文字をしばらく見つめていた。


 明日になっても、朔とは会えない。


 一緒に学校へ行くことも、帰り道でくだらない話をすることもない。


 結衣はメッセージの入力欄を開いた。


 何かを書いて、消す。


 もう一度書いて、また消した。


 結局、短い言葉だけを送った。


『うん。また明日』


 送信したあと、結衣は窓の外を見た。


 知らない街の明かりが、静かに滲んでいた。


「……また、一緒に帰りたいな」

今回は、前2作品とは違うジャンルでチャレンジしてみました。

気軽に感想等くださると嬉しいです。

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