距離がだんだん辛くなってきた。
距離というものは、不思議だ。
最初は大したことがないように思える。
数百キロ。
数時間の移動。
少し長い電話やメッセージ。
それだけのはずだった。
だが、時間が経つにつれて変わっていく。
いつも隣にいた人がいない。
当たり前だった声が聞こえない。
会えないという事実が、少しずつ胸を締め付けていく。
涼太郎は、自分なら大丈夫だと思っていた。
愛子も、自分なら待てると思っていた。
けれど二人は知らなかった。
本当の寂しさは、別れた瞬間ではなく、その後に訪れるのだということを。
大阪で新しい生活を始める涼太郎。
東京で彼を想い続ける愛子。
離れていても変わらないはずの気持ち。
しかし、その気持ちを支えるためには、想像以上の強さが必要だった。
これは、二人が初めて「距離」と向き合う物語である。
大阪。亮太郎が出発してから3日後。新学期が始まった。
小さな新しいアパートに落ち着いた亮太郎は、文学を学ぶために大阪大学へと歩いていた。入り口の前に立ち、興奮気味に中に入っていく他の学生たちを見て、彼は深呼吸をした。紫色の髪を下ろし、白いTシャツにジーンズ、そして真新しい黒いスニーカーを履いていた。できる限り良い印象を与えたいと思っていた。そこで、背筋を伸ばし、両手をポケットに入れて中に入った。
反応はすぐに現れた。物静かな彼は、何人かが興味津々で自分を見つめていることに気づいたが、それが自分の容姿のせいなのか、それとも身長のせいなのかは分からなかった。賑やかに談笑していた女子グループが、彼のために会話を止めて見つめていることにも気づいた。
「こんにちは、ハンサムさん」と、ピンク色の髪と緑色の瞳をした一人の女子が声をかけた。
亮太郎は、少し緊張しながらも、親しみを込めた笑顔で頷いた。少女は、心地よく、耳に心地よい笑い声をあげ、他の友人たちもそれについてあれこれと話に興じた。首筋を伝う一筋の汗を感じながら、彼は独り言を呟いた。「アイコがここにいたら、平手打ちしてたのに…」。そんな考えがすぐに頭をよぎり、胸に痛ましい虚無感が残った。彼はため息をつき、中央講堂を探して歩き続けた。しかし、そこは広大で、涼太郎が迷子になるのは当然だった。そして、まさにその通りになった。すぐに、彼はどこへ行けばいいのか分からなくなってしまった。
「迷子か、新入生?」背後から男の声が聞こえた。
振り返ると、彼より2歳ほど年上に見える少年が立っていた。濃い青のTシャツに黒のスウェットパンツ、白いスニーカーを履き、首にはカメラをぶら下げていた。瞳は青く、髪は青と黒のグラデーションになっていた。
「ちょっとね」涼太郎は目をそらしながら答えた。 「中央講堂を探しているんですが、どこにあるかご存知ですか?」
「もちろん知ってるさ」男は満面の笑みを浮かべて言った。「こっちへ来い、案内してやるよ!」
亮太郎は頷き、謎の男について行った。感じの良い男のようだったが、亮太郎にとって一人で友達を作らなければならないのは、とても奇妙なことだった。普段なら愛子が助けてくれるのに、今は?自分の力で生きていかなければならないのだ。
「大丈夫か?」男は亮太郎の表情が少し沈んでいるのを見て尋ねた。「元気がないみたいだな。ホームシックか?」
亮太郎は一瞬固まった。
「ふふ。やっぱりな」秀隆はかすかに笑った。
「大丈夫です」亮太郎は姿勢を正して答えた。「ええ、ホームシックです。友達や家族、それに…彼女が恋しいんです。」
「彼女?」男は不思議そうに眉を上げた。 「わあ。彼女にとって大変だったでしょうね。」
「ええ、大変でした。僕にとっても。」
「あの…彼女のことを少し教えていただけますか?もちろん、もしよろしければ。」亮太郎は愛子の姿を思い出し、微笑んだ。そしてため息をつき、懐かしそうに言った。「彼女は美しい。今まで出会った中で一番美しい女性だ。金色の瞳に、金色のメッシュが入った長い黒髪、透き通るような肌。いつも軽やかで可愛らしい服を着ていて、僕の心を温めてくれるような笑顔をしている…それに、あの無邪気で子供っぽい仕草で首を傾げるたびに、僕の心はとろけてしまうんだ。」
「とても特別な方のようですね」と男は親しみを込めて言った。「お二人はどうやって出会ったのですか?」
亮太郎は、二人が初めて出会った日のことを再び思い出した。まだ「黒い幽霊」と呼ばれ、学校の誰もが避けていた頃のことだ。そして、彼はその時のことを一つ一つ語った。彼女が一週間も彼の後をつけてきたこと、彼が彼女を遠ざけようとしたこと、そして、物静かな少年が彼女を危うく事故から救ったこと。男は何も言わずに話を聞いていた。
「おいおい、まるで恋愛小説みたいだな」と言いながら、涼太郎の背中を軽く叩いた。
「よく言われるよ」と涼太郎は笑いながら言い返した。
その時、二人は濃いオーク材の両開き扉の前に立った。間違いなく講堂の入り口だった。
「さあ、ここだ」と男は涼太郎を見ながら言った。そして手を差し出した。「あ、言い忘れるところだった。俺は秋吉秀隆。ジャーナリズム学科3年生だ。君は?」
「佐藤涼太郎です」と静かな少年は握手をしながら言った。「文学科1年生です」
「文学科?すごいな。じゃあ、廊下で会おう、涼太郎。大阪へようこそ」
「ありがとう、秀隆。またね」
秀隆は手を振りながら教室へと歩いて行った。亮太郎は講堂の扉を見つめながら、独り言のように呟いた。「愛子は無事だろうか? 無事だといいんだけど。」
一方、東京・六本木では……
六本木高校では、多くの生徒が新学期初日を心待ちにしていた。新入生は新しい友達を作り、旧友との友情を深めていた。皆、輝きに満ち溢れていた。しかし、その輝きを放っていたはずの一人が、次第にその輝きを失い始めていた。それは、愛子だった。
良太郎が去って以来、愛子はひどく落ち込んでいた。瞳は生気を失い、目の下にはクマができ、かつて艶やかだった髪も今は艶を失っていた。ここ3日間、まともに食事も睡眠もとれていなかった。明るく可愛らしい服は、良太郎のくたびれた黒いスウェットシャツに取って代わられ、彼女はそれをほとんど脱ぐことがなかった。スウェットシャツは彼女には大きすぎて、襟がずり落ちて肩があらわになることもあったが、彼女は全く気にしていなかった。
学校に着くと、愛子は親友の美香と綾瀬に出会った。二人はすぐに愛子の落ち込んだ様子に気づき、心配そうな目で彼女を見つめた。
――愛子ちゃん! 「どうしたの、ミカ!」とアイコは駆け寄り、肩を抱き寄せた。
「顔色が悪いよ、親友」とアヤセはアイコの手を握りながら言った。
「私…大丈夫…」アイコは自分を抱きしめた。「本当に…」
その時、アイコのお腹がグーッと鳴った。二人は顔を見合わせ、アイコを食堂に連れて行くことにした。食堂の椅子に座らせ、軽食を買ってあげた。アイコは食べようとしたが、たった3口しか口にしなかった。二人はアイコに聞こえないように少し離れて、顔を見合わせた。
「具合が悪いみたい」とミカは心配そうに囁いた。「すごく具合が悪い」
「どうしたらいいの、ミカ?」とアヤセは目に涙を浮かべながら尋ねた。「このまま放っておけない」
その時、アイコは飛び上がった。
通知が届いた。
それはリョウタロウに違いない。
彼女は慌てて携帯電話を手に取った。一瞬にして鳥肌が立ち、肩をすくめた。しかし、すぐに姿勢が崩れ、肩が縮んだ。理由は?
そこには何もなかった。
ただ、疲れた顔を映す真っ白な画面だけがあった。
――……あぁ。
――どうしたの、愛子ちゃん?――美香が近づきながら尋ねた。
――何でもない、何でもない――愛子はため息をつきながら答えた。――涼太郎の通知音が聞こえたと思ったんだけど……何も届いてなかった。
美香と綾瀬は顔を見合わせた。明らかに幻覚だった。
――美子ちゃん、正直に答えて――綾瀬は友人の肩に手を置きながら言った。――涼太郎が大阪に行ってから、どれくらい寝たの?
――わからない――彼女は視線をそらしながら答えた。――たぶん……9時間くらいかな。
――1日で?――美香が尋ねた。
――合計で。
二人は再び顔を見合わせた。1日3時間しか寝ていないなんて、全く健康的ではない。「それで…何か食べたの?」綾瀬は心配そうに尋ねた。「クッキー1枚だけでもいいから。」
「クッキー1袋全部食べたわ」愛子は声がかすれながら言った。「全部は食べきれなかった。」
二人は再び顔を見合わせた。合計9時間しか寝ておらず、クッキーは半分しか食べていない。これは全く健康的ではない。深刻な事態だ。
「愛子、具合が悪いわよ」美香は愛子の手を取りながら言った。「家に帰った方がいいと思う。」
「大丈夫よ、みんな」愛子は無理に笑顔を作りながら言った。「本当に。心配しないで。」
「ねえ、あなたの話を聞く限り、全然大丈夫じゃないわ」綾瀬は言い返した。「さあ、家に帰りましょう。」
そして二人は愛子を椅子から立ち上がらせた。少女は抗議しようとしたが、あまりにも弱っていて、それすらできなかった。それで、友達に家まで送ってもらうことにした。友達はドアマンに事情を説明し、ドアマンは彼女たちを家から出してくれた。
愛子は道中ずっと何も言わず、ただ友達にしがみついていた。
彼女はだんだん怖くなってきた。
一人ぼっちになることではなく、彼が戻ってくるまで待てないことが怖かったのだ。
この章は別れの物語ではない。
むしろその逆だ。
深く愛し合う二人が、それでも離れて生きなければならない現実の物語である。
涼太郎は大阪で新しい世界へ踏み出した。
新しい校舎。
新しい友人。
新しい未来。
一方の愛子は、何も変わらない東京に残った。
だが、本当に何も変わっていないのだろうか。
同じ景色。
同じ教室。
同じ友人たち。
それなのに、一番大切な人だけがいない。
その空白は想像以上に大きかった。
愛は消えていない。
想いも変わっていない。
それでも、会えない時間は人の心を傷つける。
この章で描かれているのは、「恋人との別れ」ではなく、「恋人がいない日常」の苦しさだ。
そして物語はまだ始まったばかり。
涼太郎は前へ進もうとしている。
愛子は立ち止まったまま苦しんでいる。
二人の歩幅が再び重なる日は来るのだろうか。
その答えを探す旅は、まだ続いていく。




