ヴィンスの出現
北方の山々は、ドワーフたちを冷たさと静寂で迎えた。
深い雪が重いブーツの下で軋み、突き刺すような風が木々の間を氷の針のように吹き抜けていく。
「デリック、あとどれくらいだ?」
息を切らしながら、ドワーフの一人が尋ねた。
「なぜこんな辺境で金属を探しているんだ?」
鍛冶工房の長、デリックは振り返らなかった。
「三百メートルだ。
この先に古い坑道があるはずだ。運が良ければ、珍しい鉱石が見つかる」
……そうだといいが。
道のりは長く、確証はあまりにも少ない。
やがて、木々の間に暗い坑道の入口が姿を現した。
「魔法使いがもっといればな……」
ギルソンが不満そうに呟いた。
「一瞬でここまで運んでくれただろうに」
デリックの弟子、ベルンが一歩前に出る。
「魔法使いがいないなら、議論しても無駄だ」
誰も反論しなかった。
話す気力すら残っていなかった。
「ここで野営する」
坑道に到着すると、デリックが命じた。
それぞれが慣れた動きを見せる。
十二人のドワーフ――熟練の鍛冶師であり戦士。
長年共にしてきた、信頼の置ける仲間たちだ。
夕食はいつも通りだった。
冗談。笑い声。軽口。
彼らは家族だった。
伝説を打ち立てるという、同じ夢で結ばれた家族。
作業は夜明けとともに始まった。
岩が砕け散り、
金属は魔法結晶へと吸い込まれていく。
つるはしの音、粉塵の匂い、こもった声――すべてが日常だった。
その時、一人のドワーフが動きを止めた。
つるはしが――氷に当たったのだ。
「氷……? こんな場所に……?」
彼は亀裂を覗き込み、呟いた。
氷が、きしみ始める。
一瞬、完全な沈黙が訪れた。
次の瞬間――
人間の手が亀裂から飛び出した。
「ぐっ――!」
叫ぶ間もなく、喉を掴まれる。
岩と氷が、耐えがたい熱に晒されたかのように溶け始めた。
通路が裂ける。
そこから、一人の男が姿を現した。
ドワーフたちは反射的に後退する。
白い髪が顔の一部を覆い、
その隙間から紅い瞳が光っていた。
身体は細く、どこか儚げにすら見える。
だが――
彼はドワーフを片手で宙に持ち上げていた。
まるで重さなど感じていないかのように。
「……ふむ」
男は咳払いをし、低く呟く。
「グロンダル……ではないな」
静かな声だった。
しかし坑道全体に、震動が走る。
見えない圧力が、ドワーフたちを押し潰した。
足が震え、
空気が嵐の前のように重くなる。
男の手が緩む。
ドワーフは石床に叩きつけられた。
圧力は消え去った。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
「この……野郎……!」
最初に立ち直ったのはギルソンだった。
怒りに歪んだ顔で、つるはしを握り突進する。
男は振り向きもしない。
ただ、指を一本立てた。
「――スパーク」
紫の閃光が走る。
瞬きする間もなかった。
ギルソンは前のめりに倒れた。
胸には、風穴が開いていた。
「ギルソン!!」
ベルンが叫び、駆け寄る。
男は再び手を上げる。
「お、お待ちください!」
デリックが膝をついた。
「どうか……命だけは……!」
手が下ろされた。
「お前たちは何者だ?」
「わ、我々は鍛冶師です。《ホワイト・ハンマー》……
ドリアン王国の……」
「今は何年だ?」
「一一三二年……」
紅い瞳が、わずかに細められる。
「ドリアン……?
ここはニンバス帝国の領土であるはずだ」
「帝国……?」
デリックは困惑した表情で見上げた。
「ここはドリアン王国です。
そのような帝国は……聞いたことがありません」
男は何も言わなかった。
踵を返し、出口へ向かう。
誰一人として、止めようとはしなかった。
闇に消えかけたその時――
男は立ち止まる。
「――逆行」
ギルソンの身体が震えた。
時間が巻き戻る。
傷が塞がり、
血が石に吸い込まれて消えていく。
彼は大きく息を吸い、目を見開いた。
「……生きて……いる……?」
「お前の長の答えに免じてだ」
男は淡々と告げる。
「命を返してやる」
「グロンダル神に感謝を……」
誰かが呟いた。
次の瞬間――
男の表情が歪んだ。
抑えきれぬ殺意が溢れ出す。
喜びは消え、
ドワーフたちは無意識のうちに後退していた。
ギルソンは恐怖に耐えきれず、膝から崩れ落ちる。
「――死んだ神に祈るな」
冷たい声を残し、
男は消えた。
痕跡も、気配も残さず。
坑道に残されたのは――
恐怖に震えるドワーフたちだけだった。
第0話 終




