シルビアとの出会い
カレンが体調を崩し、今日は登校してこなかった。
たったそれだけで、学園の一日はずいぶんと静かに思えた。
いつもならカレンのお弁当があるのだが、今日は仕方なく学食で済ませた。
味は最悪だった。
辛いのか甘いのか分からないソースが、鶏肉にべったりかかり、茹でただけの野菜と、野菜の形が残っているスープ。
どれもこれも美味しくなく、全部残したかったが周りの目もあるから、半分は食べた。
食器を急いで片付け、さっさと食堂を出た。
人の多い場所に長居する気にもならない。
外に出て、静かな石畳の小径を歩いていた時だった。
昼下がりの陽射しが、濡れたように鈍く光る石を照らしていた。
そのとき、前方からふわりと甘い香りが漂い、誰かが軽やかな足取りで近づいてきた。
華やかな香りに、一瞬だけ足を止めたその瞬間──
「きゃっ、あん、ごめんなさぁい」
声と同時に、横からふわっと何かが飛び込んできた。
思ったよりも軽い衝突。ほんの一瞬、彼女の肩先がこちらの腕にかすった。
その拍子に、彼女の手から白い何かがふわりと宙を舞った。
風に乗って、ひらひらと落ちた布、ハンカチだった。
次の瞬間、彼女が息を呑むような小さな声を漏らした。
「・・・ああっ・・・踏まれて・・・しまいましたわぁ・・・」
視線を落とすと、私の足の下に、草花の刺繍が施された白いハンカチがあった。
薄く繊細な生地に、つま先の汚れがくっきりとついていた。
「すまない、私が踏んでしまったようだ」
足をどけ、そっと拾い上げる。指先に触れた布は、まだ柔らかく香りが残っていた。
だが、それだけに汚れが目立っていた。
「・・・すまない」
重ねて謝ると、彼女はぱっと頬を染めた。
「い、いえっ、私が前を見てなくてぶつかったせいです。それにハンカチは私と一緒でアルファード様に近づきたかったのですのね」
恥ずかしそうに肩をすくめ、頬を赤らめながら、私の手元からゆっくりとハンカチを受け取った。
私と一緒で?
なんだかこそばゆい気持ちになる。
「新しいのを用意するよ」
自然と、そう口にしていた。
彼女の表情を曇らせたくない、そんな気持ちが心のどこかに生まれていた。
「まぁ!なんてお優しい心なんですの。アルファード様はとても王族とは思えない、優しく思いやりのある方ですね」
その言葉に、正直驚いた。
心の奥で、何かがぽうっと灯るような、温かさがじわりと広がった。
「そんな事・・・言われた事がない」
素直にこぼれたその言葉に、彼女はすぐに目を丸くした。
「あら?カレンは言ってくださらないのですか?」
「お互い厳しく育ってきたから、褒める事はあまりないな」
答えながら、自分で口にした言葉の冷たさに気づいた。
「ええ!?そんな冷たい人だったのですか!?こんなにも優しくて、いつも努力なさっているのにぃ、気づかないなんて・・・アルファード様が可哀想ですぅ」
彼女は、大げさなほど大きく目を見開き、胸元に両手を当てて、まるで芝居がかったように嘆いた。
「いや、カレンは冷たいというか…少し厳しいだけだ」
私は思わず擁護したが、それは自分を納得させるための言い訳にも聞こえた。
「まぁ…それって、“厳しい”っていうより、“思いやりがない”って言うのではありませんの?」
きらりと光る瞳で、彼女はまっすぐにこちらを見て言った。
その言葉に、一瞬言葉を失った。
「…いや、カレンはずっとそばにいてくれた。私の立場も、理解してくれてるからこそ、厳しくしているんだ」
口に出しながら、それが本当にそうなのか、自信が持てなかった。
「そうですわねぇ、長く一緒にいると、良いところが見えなくなりますものね。でも、本当に大切な方なら、些細なことでも嬉しいですわぁ」」
彼女はどこか同情を含んだ、それでいて頬を赤らめ、なんだか見ているこちらも、身体が熱くなる。
「でも…アルファード様。誰よりも努力なさっているあなたを、ちゃんと見て、ちゃんと褒めてあげられる人が、そばに居てもいいと思いますの」
彼女の声はとても柔らかく、まるで囁くようだった。
その言葉が、喉の奥で引っかかったまま、胸の深いところへ沈んでいくのが分かった。
「カレンは・・・そんなことも言わないんですね・・・。アルファード様可哀想・・・。沢山努力してるのに・・・ちゃんと見てあげて欲しいなぁ」
まるで自分のことのように憂いを含んで言うその表情に、不思議な気持ちになった。
「・・・私を見てくれる」
つい、口にしていた。
彼女の目が一瞬、何かに気づいたように細められた。
「そうですよ。私なら、あ、なんでも・・・ありませんわぁ。このハンカチはこのままでいいです。とてもいい思い出になりました。ごめんなさいね、お時間取らせちゃいましたね。それでは、失礼します」
彼女はぺこりと頭を下げると、まるで舞うような足取りで去っていった。
けれどその背は、何度も何度も、小さくつまづいていた。
カレンと全く正反対の、優雅でもなく、気品もないのに、とても癒される感じがした。
まるで、心の奥の柔らかい部分にそっと手を差し伸べられたような。
彼女は何度もつまづきながら、それでも軽やかに去っていった。
なんだか、守ってあげたいような、そんなくすぐったい気持ちになった。
名前を覚えるのが苦手なのだが、彼女の名前を調べると、すぅっ、と頭に入った。
シルビア。
彼女の名前はシルビア、
だ。




