邪魔はしないわ
「おっそぉいよぉ。待ってたのよぉ」
教室の扉を入った瞬間、甲高く甘えた声が飛び込んできた。視線を向けると、シルビアがわざとらしい笑顔を浮かべながら、私の腕に絡みついてきた。軽く身体を押しつけるような仕草には、あからさまな誇示の意図が見て取れる。
今まで一度として言葉を交わしたことすらなかった彼女が、唐突にこうして関わってくる理由は明白だった。アルファードのこと以外にありえない。
「・・・おはよう、シルビア。どうしたの?」
努めて平静を装いながら微笑み挨拶を返す。
けれど、声の奥に潜んだわずかな嫌悪は隠せなかったかもしれない。頬がひきつり、声が掠れているのがわかる。
「今日から私とアルファード様が一緒にお昼を食べることになってるの。だから、その時間にはカレンには来ないでほしいの。分かるわよね? 邪魔したいだろうけど、そこは我慢して」
その言い方は、あまりにも明確だった。
教室中に聞こえるような大きな声。まるで、周囲に“宣言”しているかのように。
シルビアの語尾には柔らかな調子の仮面をかぶりながらも、内に秘めた優越感とあざけりがにじみ出ていた。
「邪魔したいだろうけど」
というその一言に、言外の意図が明確に込められていた。そんなこと一度も思ったことがないのに、彼女がそう言ってしまえば、周囲はそうと受け取るだろう。
私、そんなふうに見られるの?
目の前の彼女を見つめながら、今さらながらに、言葉一つで見え方が違う、とある意味貴族社会を突きつけらた。
「ええ、分かってるわ。行かないわ。もうアルファードと用もないのに、喋ったりすることも無いでしょうね」
唇が乾き、声がかすれそうになりながらも、なんとか言葉を返す。
「ふーん、まあ当然よね。じゃなきゃ、見苦しいもの。元婚約者がいつまでもウロウロしてたら、周りが気を遣うじゃない? 立場を上げたかったんだろうけど、そこは負けとして、認めて欲しいの」
まるで、私の存在そのものが“恥”であるかのように言い放つその声に、心が締めつけられる。
立場。
そんな、権力欲しさに私は側にいたことは無い。
「それと、呼び捨てやめてくれる? 幼なじみだったかもしれないけど、もう他人でしょ? 殿下なのよ? “様”くらい付けなきゃ。分をわきまえてよね」
その一言一言が、私の心をじわじわと蝕んでいく。まるで静かに毒を流し込まれるようだった。
わざとらしく首を傾げて、まわりを見回しながら“周囲に聞かせるための言葉”を選んでいる。
「・・・それもそうね。王子ですものね。様をつけて呼ぶわ。もう、貴方がアルファード様の側にいる女性だもの。そうだわ。・・・アルファード様が好きでいつも行ってる場所があるの」
「その情報、いらないんだけど」
冷たく、私の言葉を遮った。
「え、なにぃ? “私のほうがアルファード様をよく知ってるのよ”ってアピール? 思い出の場所を語って、“負け惜しみ”言うつもり? あっは、ほんと痛いわね」
教室の空気が揺れるように、くすくすと笑い声があちこちから漏れた。視線を感じる。冷たい、無遠慮な、それでいて好奇の混じった視線。
「そんなつもりじゃ・・・ないわ・・・。ただ・・・本当に気に入っている場所があるから・・・」
唇が震えた。鞄を抱きしめるように握りしめて、視線を落とす。
そのときだった。シルビアの背後から、ミラの声が聞こえてきた。
「やめなよシルビア。そこ突っ込んだら可哀想じゃない? 本性を隠したいんだからさぁ。そういうところに嫌気がさして、シルビアが選ばれたんでしょ?」
わざとらしく口元を押さえながら、芝居がかった同情のふりをして、あからさまに貶してくる。
「ああ、いい子ぶって本当はあざとい、ってやつだよね。アルファード様の弱い部分をうまぁく操ってたんだよね。ごめんねカレン。そんな子供騙しを私が気づかせてしまったんだよね。ふふっ、現実受け止めてね。ともかく、邪魔しないでね。もうアルファード様の隣には私がいるんだから」
シルビアは最後まで“勝者の余裕”を見せつけるような表情で、ゆったりとした足取りで自分の席へ戻っていった。
私は、何も言い返せなかった。
そうか・・・アルファードはそう思っていたんだ。
私はアルファードの為に助言していたつもりが、嫌だったんだ。
プライドを傷つけていたのかもしれない。
あなたの為、と思ってしていた事が本当は心を蝕んでいたのかもしれない。
だから婚約解消されたのね。
チャイムが鳴り、授業が始まる。
だが、教壇の声も、黒板の文字も、ほとんど耳に入らなかった。
休み時間のたびに私はトイレに立った。そうすることでしか、教室に居続ける自信が持てなかった。
逃げていると思われても構わない。
でも、あの場に居続けるのは、もう無理だった。
誰かがひそひそと話しているような気がして、胸がざわつく。
「捨てられたんだって」
「やっぱりね」
「婚約者だからって、調子に乗ってたんでしょ」
「ただの幼なじみだものね」
「上手く騙してたって、事だよね」
声にならない声が、全身を這うようにまとわりつく。
私は、
ただ、
心からアルファードを愛しただけなのに、
責められる気持ちに、
気持ち悪かった。




