安易に受けるべきでは無い
喫茶店に着き、私たちは窓際の丸いテーブルに腰を下ろした。
午後の日差しがレースのカーテンを透かして柔らかく差し込み、揺れる光がテーブルクロスの上で踊っている。甘い香りが漂う店内は静かで、先ほどの騒々しい教室とはまるで別世界のようだった。
メニューを一通り眺め、それぞれケーキとお茶を注文する。銀のスプーンを揃えながら、セリカが口を尖らせた。
「さっきの話だけど、どういうこと? 私たち、招待されちゃダメなの?」
その声音には子供のような拗ねた響きが混じっていた。普段は明るく強気なセリカが、こんな風に素直に気持ちを見せるのは珍しい。
あぁ、彼女も本当は参加したかったのだ、と私は初めて気づいた。いつも私に気を使って「行きたい」なんて一度も言わなかったから。胸の奥が少し痛む。
ステラは片頬を小さく引きつらせ、深いため息をついた。
背筋は凛と伸び、気品ある横顔が窓明かりに浮かぶ。侯爵令嬢らしい冷静さと苛立ちが同居していた。
「常識で考えてみてくださいまし。アルファード様のお誕生日パーティーに招待されるのは、他国の要人ばかりですわ。そのような方々は、必ず自国の王族や陛下に信頼されている方、あるいは、王族そのもの。そうでなければ務まりません」
声こそ低いが、その調子は鋭く、冷たい刃のように感じられた。
セリカがきょとんと目を瞬かせる。
「つまり……信頼されてない人が呼ばれるのおかしいってこと?」
「違いますわ」
ステラはすぐさま首を振った。
「信頼の有無ではなく、極端に言えば言葉が通じなくても構いません。問題は」
ステラの目がきらりと光った。
「挨拶、ですのよ」
私も小さく頷いた。彼女の言いたいことは痛いほど理解できた。
「国が違えば挨拶も違う。握手をする国もあれば、会釈だけで済ませる国、あるいは抱き合う国もあります。相手ごとにすべてを覚え、瞬時に合わせなければならない。たかが挨拶、されど挨拶。それを誤れば、不信感は一瞬で芽生え、やがて国交問題にまで発展しかねませんわ」
その言葉は喫茶店の柔らかな空気すら震わせるほどの重みを持っていた。
セリカはスプーンを持つ手を止め、ぽかんと口を開けた。
「……マジ……?」
「ええ、ええ、マジですわ」
ステラは鋭い声音を崩さなかった。
「しかも学生を百人も追加すれば、その分の予算も跳ね上がる。分かりますか? 国費とはすなわち税金。そのお金で賄われるのです。これが陛下ご自身の催しならともかく、まだ正式に婚約すら済ませていないお二人がそんなことを勝手に決めるなど、本来許されてはなりません」
彼女の指が白くなるほど強くカップを握っているのを見て、胸の奥がずしりと重くなった。
私も喉が渇き、慌てて水を口に含む。
ステラの言葉は正しい。痛いほど正しい。
そして、改めて思い知らされる。
私は必死に予算をやりくりし、重鎮貴族の了承を取り付け、陛下の顔を立て、国益を守るために動いてきた。
それなのに、その努力を知らぬふりをして、すべてを踏みにじるようにシルビアは「学生を招待する」と甘い声で言った。
いや、アルファードが最も理解している筈なのだ。
ステラは拳をぎゅっと握りしめ、吐き捨てるように言った。
「カレンは、そのすべてを踏まえて動いていたのです。本当に、この国の行末が心配ですわ」
私は何も言えなかった。ただ胸の奥が熱くなり、目頭がじんわりと痛む。
それでも、ステラはふと表情を和らげ、私の方を見て小さく微笑んだ。
「でも……本当にお疲れ様でしたわ。そして、アルファード様の本性を知ることができてよかった。あんな浮気者で、ばか!だとわかって、本当に婚約解消して正解でしたの」
思わず笑いがこぼれそうになった。
セリカも負けじと大きな声で続ける。
「それは言える! カレンがあんなに必死に支えてたのに、あっさり他の女に乗り換えるなんて最低! しかもあんな上辺だけの女に引っかかるとか、サイッテー!」
二人の声に、周りの客がちらりとこちらを見た。
私は慌てて視線を落としたけれど、胸の奥に広がる温かさは隠せなかった。
ああ、私は支えられている。心からそう思えた。
「ありがとう」
声が震えるのを必死に抑え、微笑む。
ステラの言葉に胸が熱くなっていると、不意に彼女が少し身を乗り出してきた。
その表情は、先ほどまでの鋭さとは違い、どこか楽しげで、女の子らしい好奇心に満ちていた。
「ところで……親友だからこそ、聞いてもよろしいですわよね」
「な、何?」
思わず身構えてしまう。
「決まっていますわ。ゼット殿下のことですわ」
一瞬、考えた。
ゼット?
ああ!ゼットね。
すかさずセリカもにやりと笑い、身を乗り出した。
「それ! 私も噂で聞いた。言い寄られてるんだって?」
「良かった、噂になってるのね」
苦笑しながら小さく肩をすくめる。二人の視線が熱っぽく突き刺さるのを感じ、居心地が悪い。
「とりあえず、言い寄られてるのは本当だけど……正直、全く興味はないの。今は考える余裕がなくて」
カップに視線を落とし、紅茶を一口。
その表情を見た二人は、さっきまでの茶化す雰囲気を消し、神妙な顔つきになった。
「……そうだよね。ごめん」
「短慮でしたわ」
ふたりが同時に謝るのを見て、私は慌てて首を振る。
「気にしないで。実はね、この噂はお父様がわざと流させたの。まだアルファードとの婚約に戻したいって言ってる人たちがいるから、って」
ステラとセリカが顔を見合わせる。
「知ってますわ。私の耳にも届いております」
「うん、私も何度か聞いた」
「だから、ゼットとの噂があれば諦めてもらえるかと思ったの。少なくとも"戻れ"って声は弱まるはずだから、という策なの」
私がそう説明すると、二人はようやく納得したように頷いた。けれど、その眉根はまだ僅かに曇っている。
「でもゼット殿下は、本当に心配してくださっているのではありませんか?」
ステラがじっと私を見つめる。
「え?」
「何度かしか見たことはありませんが、何時もカレンの事を心配そうに見てましたわ」
「そうなの?いつ?」
素直に聞くと、ステラが呆れ顔になった。
「そうですわね。カレンはそういうのは疎いですわね」
「なによ、その言い方。でも、私、恋愛だとか婚約だとか、そういうことには。今はただ、目の前のことに集中したいの」
自分でも驚くほど、しっかりとした声が出た。
セリカとステラがわずかに目を丸くし、それからふっと笑う。
「……本当に前向きになったね」
「ええ。もう少し引き摺るかと思ってましたわ」
「実はね、楽しみにしてることもあるの。オデッセイ様から個人的に招待されたの」
「ええ!? あの毒舌女に!?」
「泣かされたのに!?」
二人の驚きように思わず笑ってしまった。
「そうなの。でも、彼女はただ意地悪で呼ぶような人じゃないと思う。事業もされていて、私も興味があるし、ゼットも"心配しているんだよ"って言ってくれたから、とりあえず会ってみようと思ってるの」
「なるほど……」
ステラが顎に指を添え、感心したようにうなずく。
「顔が、すごく楽しそうだよ、カレン」
セリカがじっと見つめてくる。
「うん。楽しみにしてる。それにね、わざわざ招待日をアルファードの誕生日パーティーの前日にしてあるの」
私がそう口にすると、セリカが目を丸くした。
「それは……本当に心配してるのかもね」
「そうですわね。では、カレンは参加されないおつもりですの?」
ステラが慎重に問いかける。
「分からないわ。……行く気持ちになれば、当日の朝早くに出ても間に合うから。まだ迷ってるの」
自分でも、答えがふわふわとしているのが分かった。




