求婚
「やっぱりな。全然俺がそんな気持ちを持ってると思ってなかっただろうな。オデッセイも、絶対気づいていないよ、あの女は。私もついて行って、豆鉄砲食らった顔見てみたい!!と言っていたが、残念ながら用事で来られなかった。でも、来なくて正解だった。そんな顔、見られるのは俺だけでいいよ」
ゼットは楽しそうにくっくく、と声を弾ませるが、私はまったく笑えなかった。
驚きだ。
まさかそんなふうに自分を見ていると思いもしなかった。
「既にナギッキュ伯爵様には俺の気持ちは文に書いて渡してある。カレン次第だ、と返答をもらっているから、覚悟しとけよ」
「え…な、な…」
言葉にならない。
人間というのは本当に不思議な生き物だ。頭では会話の意味を理解しているのに、その内容を心が受け入れず、ただ空白になる瞬間がある。今がまさにそれだった。
お父様には言っている。
その言葉になんだか思い当たる節があった。
大きい魚が釣れるかもな。
あれはこういう意味だったのね。
それに、確かに今日は御友人の夜会に参加されていて屋敷にいない。
知らない間にふたりは連絡を取りあっているのだ。
「屋敷に着いたな」
ガタン、と馬車が揺れたかと思うと、すぐにその動きが止まった。周囲のざわめきも、車輪の軋む音も、まるで遠い世界のように感じた。薄暗い夕暮れの光が、馬車の窓から差し込み、ゼットの横顔を柔らかく照らしていた。
「残念ながら今日はナギッキュ伯爵様は留守ということだから、このまま帰るよ。ああ、そうだ、これ」
確かに今日はお父様は前々から招待を受けている夜会に参加している。
ゼットが胸元から一枚の封筒を取り出し、まるで何気なく差し出してくるが、すぐに凍った。
封蝋がべったりと押されており、それだけで妙な圧を感じた。
「必ず出席しなさい、とのことだ。だが、嫌なら、欠席すればいい」
「…オデッセイ…様…」
シャウリ侯爵家紋だ。
手が、震えた。
封筒を受け取るだけなのに、冷たい空気が背筋を駆け上がる。
まさか、まさか、と思っていた可能性が頭をかすめる。
オデッセイは、本当はゼットとの婚約を解消したくなかったのではないか。なのに、ゼットが私に好意を寄せていると知って、無理やり婚約解消したのではないか。それが腹いせとなり、嫌がらせとなり…。
「そんな心泣きそうな顔するなよ。オデッセイは俺との婚約解消に本気で喜んでるんだ。そのお礼をしたいんだとさ。だから、その日付なんだ」
「日付?」
本当はペーパーナイフで封を開けるべきだが、そんな余裕などない。
急いで開け、招待状を広げた。
「アルファードの誕生日パーティーの前日…」
「そう。俺達もそのパーティーに招待されているが、オデッセイが“カレンは面白くないくらいに生真面目だから、私達以上に傷ついているでしょうね。あんなつまんない男だけど、とても好きだったのは見ていてわかっている。だから参加しなくてもいいようにしてあげるわよ。からくり人形令嬢だけど、私よりも愛情あるものね”と、また高笑いしながら渡してきたよ」
「…私のこと、嫌いじゃないの?」
「嫌いだと思うよ。だが、それは、アルファードの婚約者としてのカレン。つまり、からくり人形令嬢だからだろう。もし俺の婚約者になれば、その名前は返上させてやるよ。そうなったら、嫌でもオデッセイに会うことになる」
「勝手に決めないで。それに、そんな軽々しく言うものではないわ」
「そういうと思った。だが、婚約者になってくれなかったとしても、今回わざわざ招待するという事は、何か気にしてるんじゃないか?あの女は損得勘定だけを優先する。ある意味、気に入られてるんじゃないか?」
「…嬉しいような、嬉しくないような…。わかってるでしょ?あの人に睨まれたら、私達、泣いちゃうよ」
私が拗ねるように肩をすぼめると、ゼットはいつものように柔らかく笑った。
「確かにな。だが、ふたりで反論したら少しは大人しくなるんじゃないか?」
「ないっ!絶対に負けるわ!!」
必死に強く言ったつもりだったが、ゼットはますます楽しそうに笑って、私に立つよう促した。
「それならそれで、俺と一緒に頑張ってほしいな。俺はカレンとならどんな事でも立ち向かえる自信がある」
その前向きな言葉に、どう返していいのかわからず、私は視線を落とした。
扉が開かれ、ゼットが先に馬車を降り、私に手を差し出す。
「俺は本気だ。ふたりで泣いたあの時からずっと、カレンしか見えてないんだ。だから、この機会を逃すつもりはない」
その手を取ろうとして、私はふと止めた。まるでその手を取った瞬間、何かに引き込まれる気がしたから。
「いいな、その素直な表情」
ずいっとゼットが身を寄せ、私の手を強く掴んで引き寄せた。ぐいと、外の地面に降ろされる。屋敷前の石畳が、夕暮れの冷たい空気の中でかすかに湿っていた。
「知ってるか?アルファードといる時、いつもカレンは仮面を被っていた。美しく気高い、王太子妃の鏡のような姿」
「だから、からくり人形令嬢、だと言うの?」
「そう、と言えば傷つくのを知っていたから言わなかった。本当にあの女はよく見てるよ。だがな、カレンはいつも俺の前では素直な顔を見せてくれた」
「それは、友人だと思っているからよ」
「だろうな。それでも嬉しかった。俺だけに見せるカレン。俺だけが知っているカレン。それは、俺にとってどれだけ心を満たしていたか知らないだろ」
真っ直ぐに私を見下ろす漆黒の瞳が、どこまでもまっすぐで、深く、苦しくなるほどの熱を宿していた。
胸が痛む。この視線から逃げたくなる。けれど、それでも私は目をそらさなかった。
逃げは、一時のものに過ぎない。逃げれば、またいつか、その答えは巡り巡って自分に返ってくる。その時にはもっと大きくなって、より逃げにくくなる。
「…返事に困るわ」
素直な気持ちが、唇からこぼれた。
「その通りだ。困る返事など欲しくない。どんな答えでも、カレンの本当の気持ちが欲しいんだ。カレンは曖昧な事はしない。たとえ俺を選ばない選択をしても、俺はそれでもいい。その答えを出すまでに、本気で考えた結果だと、わかっているから」
晴れやかな声に、一瞬、胸が締め付けられた。なんて真っ直ぐな人だろう。
「手紙を書く。次に会う時は…オデッセイのお茶会だろう。本当は毎日でも、カレンの側にいたいが、時間がない。手紙の返事はなくてもいい。ただ、俺がカレンを想って書きたいだけだ」
ゼットの言葉は、まるで炎のように熱く、真摯だった。
彼は、そっと私の手の甲に口づけを落とし、ふわりと顔を上げて真っ直ぐに私を見つめる。
「私…ゼットを男として見れないかもしれないのに?」
「それでもいい。どんな答えでも欲しいんだ」
まるで今生の別れのように、もったいないほどの優しさで私の手を離した。
「俺は…いや、これは俺の我儘なんだ。俺の気持ちに区切りをつけたいんだ。俺がカレンに想いを寄せているのを知っても、オデッセイは婚約解消をしなかった。政治的な婚約だから、と言うにはあまりに卑劣で失礼なことをしていた。オデッセイは…俺が伴侶となるにはあまりに理想とかけ離れていても、一度も婚約解消をしたい、とは言わなかった…」
「ゼットは言ったのね」
「ああ…。感情が昂ったとき、“だったら婚約解消すればいい”と何度も口にしてしまった。けれど…オデッセイはいつも冷静に、“その言葉を2日後に言ってみなさい”と言って静かに去っていった。そうして2日後に、俺はいつも謝罪していた。…感情に走る自分が本当に愚かで、オデッセイがどれだけ大人なのか思い知らされる。そんなオデッセイが、婚約解消を初めて言ったんだ。勿論オデッセイ自身がやっと自由になれると思ったのかもしれないが、それでも、オデッセイは自分の立場を弁えて側にいてくれた。彼女の為にも、俺は、自分の気持ちに正直に動きたい」
一呼吸置いて、ゼットは私の耳元に顔を寄せて囁いた。
「覚悟しとけよ」
低く甘い声が、耳の奥を貫くように響いた。
「っ!!」
全身が一気に熱を持ち、沸き立つような感覚に襲われた。
「じゃあな。手紙の返事は欲しいから、出来るだけ書いてくれよ」
ゼットは軽やかに手を振りながら、さっとその場を去っていった。
キャリーが静かに馬車の扉を閉める音が、やけに静かに感じられた。
「では、失礼致します」
無駄のない、優雅な動作で会釈をするとキャリーは中へと戻っていった。
あれが、本来の姿。キャリーは主の側を離れない。そんな彼が私とゼットをふたりきりにしたということは、すでに全ての人が知っているのだろう。
穏やかで理性的なアルファードとはまったく違う、真っ直ぐで情熱的なゼット。いつも私を笑わせてくれて、優しくて、どこか兄のような存在だった。
それが、まさか私に好意を持っているなど思ってもいなかった。
耳の奥がむず痒くなって、私はつい指先で耳朶を擦った。息がかかった感覚が、まだ消えない。
馬車が遠ざかっていくのを見送った後、私は複雑な思いを胸に、ゆっくりと屋敷の中へと足を踏み入れながら、考えた。
ゼットと、私。
有り得ない訳、ではない。
私の立場は低いが、元王太子妃だからそれ相応の教育を受け、他国の要人に顔が知られている。
政治的に考えれば素晴らしくいい事だ。
けれど、そんな事よりもゼットを羨ましいと思う自分がいた。
玉砕覚悟なのに、とても清々しく前向きに自分らしく輝いていた。
私も、自分が出来ることをアルファードの為にしていたが、
それは、
私が前向きになれる事だったのだろうか?
心からやりたかったことなのだろうか?
アルファードの婚約者だったらから、嫌いだった。
ゼットが言った、オデッセイ様の言葉が妙に反芻する。
私は、
アルファードが大好きで大切で、何を犠牲にしても良かった。
けれど、
それは、
私の為?
誰かの為?
アルファードの為だけ?
俺はカレンとならどんな事でも立ち向かえる自信がある。
その前向きな言葉は、私の深い闇をわずかに照らし出す光のようだった。
そんな事アルファードに言われたことがない。
いつも、一緒に、共に、と言う言葉。
でも、
ゼットの言葉はまるでゼットが何時も護ってくれる、という強さを感じた。
そんな事求めていない。
誰かに護られるなんて、考えたことが無い。
屋敷の石畳を踏むたびに、自分自身への問いが深まっていった。
この機会に、
誰かと共にではなく、
誰かに護らのではなく、
私、
私の為だけに生きてみよう。
そんな気持ちになり、なんだかドキドキした。




