いいこと
「ご機嫌よう、カレン」
「また、来週カレン」
「ええ、ご機嫌よう。バネット様、アルト様」
放課後、廊下ですれ違った二人に声をかけられた。私は軽く会釈して微笑むと、彼らは嬉しそうに手を振って去っていった。
二人とも同じ学年だけれど、クラスが違う。そこまで親しいわけではないが、礼儀正しい態度にはこちらも自然と笑みがこぼれた。
婚約解消してからひと月、急に男性たちから声をかけられるようになった。セリカとステラも、私以上にその変化に驚いていた。
その上、屋敷にもお茶会やパーティーの招待状が私宛に何通も来るようになった。
婚約解消されたからだろうが、招待状の意味が私には理解できなかった。
素直に家族に言うと、気長に探しなさい、と言われた。
招待状で誰を探すの、と聞くとなんだか馬鹿にしたように笑われたからもうそれ以上聞かなかった。
ただ、学園で異性が声を掛けてくるのは納得できる。
婚約者がいる者には異性が軽々しく近づかずこえをかけない、と言う暗黙の了解がある。
特に私はアルファードの婚約者だったから、余計に気を使われていた。
それが無くなったから、声をかけやすくなったのだと思う。
あれから私は、なるべくシルビアに会わないようにしていた。
教室に彼女がいる時はセリカやステラのそばにいるよう心がけていたし、帰り道もセリカやステラと帰るようにしていたが、今日はふたりともに用事があるらしく、一人で帰らなければならなかった。
やだなあ。
夕方の冷たい風が制服の裾を揺らす。
校舎の影が長く伸び、空には赤紫が混じり始めていた。夕闇が忍び寄る中、心がぽつりと沈んでいく。
早く帰ろう。
なんだか、とても寂しい気持ちになる。
「カレン」
背後から聞こえた甘い声に、背筋が凍る。
この嫌なこえ。
「カレン。少し話があるんだ」
もう一つ、違う声が重なる。
それは、かつて誰よりも信じていた人の声。
ずっとそばで聞くはずだったその声は、今は遠く、痛みと共にしか響かない。
「何?」
本当は無視して帰りたかった。でも、そんなことをすれば逃げたと思われる。それも嫌だった。
けれど、もう関わりたくなかった。
「カレン、そんな怒った顔しないでよお。怖いわあ」
シルビアがわざとらしくアルファードの後ろに隠れる。
私は、ぎゅっと体に力が入るのを感じた。
アルファードは困ったような顔で、私のことをじっと見ていた。
「どうしたの?何か用?」
自分でも驚くほど冷静な声だった。
心臓は強く脈打っているのに、声だけは落ち着いていた。
「シルビアがとてもいいことに気づいたんだ」
「いいこと?」
胸の奥がざわつく。嫌な予感しかなかった。
「もう少ししたら、私の誕生日パーティーがあるだろ?」
「そうだったわね。二か月後ね」
色々あって忘れていたけれど、確かにそうだった。
「シルビアが、カレンのパートナーがいないから、探してあげたらって言ってくれたんだ。優しいと思わないか?私は全く気づかなかった」
「・・・え?」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
探してあげたら?
二人は得意げに微笑んで、言葉を重ねる。
「だってねえ、カレンは今までアルファード様の婚約者だったからアルファード様がいたけど、これからはどうするのかなぁって不安になったの。誰もいなくてぇ、適当に男爵とかと一緒にパーティーに来たら、アルファード様が恥ずかしいわ」
「それは言い過ぎだよ。私は別にカレンが誰を連れてきても問題ないけど、確かに誰もいないとなると困るだろうから、私の友人を紹介してあげようと思ってるんだ」
紹介して、あげよう?
「今回、私の誕生日パーティーの準備をしてくれたのはカレンだろ。これまで色々大変だったのだから、お礼、的なものだよ。こういうことを私は考えられなかったんだけど、シルビアに言われて、確かにその通りだと思ったんだ」
シルビアに言われて?
わざわざそれを今、ここで言うの?
国を支えるための教育を受けてきた。お互いに役割があり、それが当然の責務だった。
あなたは国務を。
私は、あなたの傍に立つために、幼い頃から寝る間も惜しんで努力してきた。
それを、
これまで色々大変だったのだから、
その一言で?
この場所で?
誰もいない。
誰にも、認められない。
いや、違う。
誰かに認めて欲しかったわけじゃない。
私は、あなたに。
アルファードに、ただ、認められたかっただけなのに。
あなたの幸せが、どれだけ私の心に鋭く突き刺さるか、思いもしないのでしょう。
そして、私の気持ちなんて、何一つ知らなかった。
同じだと思っていたのは、私だけだったのよ。
自分たちが幸せだからって、私にそれを押し付けてくるなんて、
最低。
「ね、それならカレンも心配しなくてもいいでしょう?婚約解消したとしても、今まで婚約者だったんですもの。あんまりぃ、パートナーのこととか考えてないでしょ?でも、パートナーを探すのって結構大事なんだよぉ」
「そうなのか?シルビア」
「あら、女性の価値が問われるんですよ。もちろんお互いが好き同士でしたら問題ありませんが、そうでなければ、素敵だと思われる女性には爵位の高い男性が声をかけますのよ」
バカバカしい。
自慢げに言っているけれど、爵位なんて関係ない。
実際、男爵でもやり手の方は裕福で、紳士的で素敵な人がいる。逆に、爵位だけ高くても、生活に困窮しているような人もいる。
なんだろう。
とても、自分が遠くに置いていかれた気がした。
いや、違う。
遠くなったのは、アルファードの方だった。
あれほどまでに、国のことを考えて、貴族や庶民の声にも耳を傾け、真剣に討論していた彼が、こんなにもあっけなく変わってしまうなんて。
私の言葉は届いていなかったのだと、痛いほどに思い知らされた。




