アルファードには戻らないわ
屋敷に帰ると、お父様はちょうど王宮から戻ってきたところだった。
まだ外套を脱いだばかりの様子で、使用人に声もかけず、まっすぐ談話室へ向かわれていた。
「カレン、談話室に来なさい」
使用人越しにそう伝えられ、私は静かに部屋へ向かう。
ドアを開けて入ると、柔らかな午後の光がカーテン越しに差し込む中、お父様は深くソファに腰掛け、まるで魂が抜けたかのようにぐったりと座っていた。
「ハリアー様に呼ばれたのですか?」
ソファの前に腰を下ろしながら尋ねると、お父様はゆっくりと無言で頷いた。
やはり、そうだろうと思った。
もしかすると、ハリアー様が一番動揺されているのかもしれない。
「アルファードにはカレンしかいない」と、何度も言っていたのは、他ならぬハリアー様だ。
でも、それは違う。
だって私は、アルファードが好きだったから頑張れたのだ。
それと同じように、シルビアだって、出来る。
だって、私と違って愛し合っているふたりだもの。
「アルファード様とカレンの事を聞いたようで急いで帰ってきたんだと。どういう事だ、と聞かれたが、私も、わからん、と答えた」
しわを刻んだ眉の奥に、深い疲労と戸惑いが見えた。
“疲労困憊”という言葉は、こういう姿のことを言うのだと胸が痛む。
「あの時宰相様がおられましたよね。ハリアー様が知られないということは王妃様がご存知では無いのですか?アルファードの事だから、全く教えない、という性格じゃないもの」
素直で、誠実で、真面目な彼の性格は、私もずっと傍で見てきた。
あの人は家族や私のような親しい人には、隠しごとなんて出来ないタイプだ。
「その通りだ。ポルテ様はアルファード様から好きな女性が出来たと前々から聞いていたようで、ハリアーが出かけるのを狙ってやったんだろう。宰相様は、ポルテ様が口止めしていたらしい。ハリアーから平謝りされたが、恐らく宰相から外そうとするだろうな。ポルテ様はアルファード様にあまり興味がないが、何度も頼まれて仕方なくやった、と言っていた」
お父様は、少し皮肉っぽい笑みを浮かべながら言った。
確かに、王妃様はアルファード様に無関心で、逆に何か頼まれても強く反対するわけではないし、進んで肯定する訳でもない。
対照的に、ハリアー様は非常に教育熱心で、アルファード様に対しても、私に対しても、よく目を配っておられた。
だからこそ、私がアルファードに注意した時、あんなに嬉しそうな顔をされたのだ。
ハリアー様と王妃様は政略結婚だったけれど、それでもお二人は時間をかけて愛を育まれ、中睦まじくされていたのは誰もが知っていること。
けれど、性格は正反対だった。
ハリアー様は、常に国のことを最優先し、情熱的で感情も豊かだった。
一方、王妃様は徹底して自己本位。何よりもまず自分を優先させる方だ。
だけどその違いが、お互いの足りない部分を補っていたのかもしれない。
そして、それを上手く調整していたのが宰相様だった。
「お父様、宰相様は残るようお願いした方がいいと思うのだけれど」
今、宰相様が外されたら面倒な事になりそうだ。
「わかっているよ。そこはどうにか説き伏せたさ。ここで宰相様が居なくなったら、皆勝手な事をし始める。それよりも、ハリアーがどうにか別れさせるから、アルファード様と復縁させろ、と頭を下げられた」
「そんな・・・」
驚きと戸惑いが、同時に胸を締めつけた。
ハリアー様が頭を下げられたという事実だけでも衝撃だったのに、そこまで“復縁”にこだわっているのだ。
目の前で、他の女性を真実の愛と紹介されたあの瞬間。
あれは夢でも幻でもなく、
紛れもない現実だった。
でも、
もしも今さら、
アルファードが「やっぱりカレンがいい」と言ってきたら、
私は断れるだろうか?
ずっと、ずっと彼のことを好きだったアルファードに言われたら、どうする?
でも、
ずっとずっと両思いだと思っていたのに、
砕けさせられてしまったこの心があるのに、
戻れるの?
そんな混乱の中、お父様の静かな声が響いた。
「そんな不安そうな顔せずとも、断っておいた。悪いがこれから先アルファード様がカレンが良かったと言ってきても断るつもりだ。ハリアーにも言っておいた。アルファードの相手はカレンではない、と」
その言葉に、心の中で何かがすっと落ち着いていくのを感じた。
お父様は、私の将来を本気で考えてくれている。
その気持ちが伝わってきて、自然と胸が温かくなった。
「ありがとう、お父様。そうね・・・正直アルファードがやっぱり私が良かったわ、と言ってきたら・・・戻りたいという気持ちがあるの確かだわ。でも・・・なんだか、腑に落ちないというか・・・モヤモヤするというか、それでいいのかしら、と思う気持ちがあるの」
素直に心のままを言葉にした。
お父様は黙って聞いてくれていた。
「カレン・・・」
「それにね、兄様が友人から私を紹介して欲しいと言われているんだ、て言ってくれたの。お父様も、アルファードから離れることを薦めてる。そんな事今まで考えもしなかった。もしかしたら、私の見る世界が狭かったのかもね。これからは、色んな方とお話してもいいのかもと思ってます」
言葉を口に出すことで、次第に自分自身でも気づいていく。
私は、もう前を向けるのかもしれない。
「そう言ってくれるなら、安心だな。ただ、ハリアーの事だ。何か言ってくるとは思うが、何か言われたらすぐに私に言いなさい」
「ありがとうございます。お父様」
お父様の表情がふっと緩み、穏やかな微笑みを浮かべたのが印象的だった。
「ソリオの友人か成程な。誰を紹介したいんだろうな」
「さあ?お昼に兄様とオーリス様にジムニー様とはお会いしましたが、なんだか私には身に余る方の気がします」
「そうか?そんな事考えなくてもいいと思う。何度か遊びに来ているし、お前は王太子妃教育で自国だけではなく、他国の要人も相手したくらいだ。引け目を感じることはないさ。まあ、2人とも家柄もいいし、性格も良さそうだから問題は無いから、候補にあげといたらどうだ。どうせならもっと上の男を捕まえたらどうだ。せっかく王太子妃教育を受けてきたんだ、それなりの男じゃないとこれまでの努力が報われないさ」
慰めるように言ってくれているのだと分かっていても、少しだけ笑ってしまう。
「候補、ですか。そうですねではおふたりを婚約者候補、にしときましょうか」
私がそう言うと、お父様は声を上げて笑った。
「そうだな、誰かみたいに、どこの馬の骨かわからんやつを急に連れてこられて、愛などぬかすよりも、余程節度があるわ」
「でも、それなら、オーリス様とジムニー様も変わりないと思うわ。だって、私は兄様のご友人と言うだけであって、何も知らないもの。ある意味、どこの骨かもわからんやつ、ですわ」
「はっはははは。確かにな。お前にとってはその程度かもしれないんな。だったら、その程度が、どの程度になるか、色々男をしってもいいかもな。もしかしたら思いがけない運命とやらが、来るかもしれんぞ」
「それならそれでいドンと来い、よ。言わゆる、電撃結婚、と言うのをやってアルファードを見返してやるわ」
「はっはははは。それは、それは見ものだな。ハリアーとアルファードの蒼白な顔を見れるわ」
「楽しみにしといて」
胸を張って、ふふんと笑いながら答えた。
その時、心の奥にずっと淀んでいたものが、ふわりと風に流されるように晴れていった気がした。
もう、
何があっても、
私は、
アルファードには戻らない。
そう、
心の底から、はっきりと、思えた。




