仏壇のカーネーション
よく晴れた初夏の頃。霊を慰める花と言えば菊が思い浮かぶが、その仏壇にはカーネーションが供えられていた。
「今年も見守ってくれてありがとう。お母さん」
カーネーションといえば母の花。その日は母の日であった。仏壇に手を合わせる女性はまだ若く二十代に見える。彼女は数年前に母を大病で亡くしており、今はこの一軒家で一人暮らしの身だ。
母親が存命だった頃から、その女性は母の日にカレーを作り、母と一緒に食べるのを通例としている。彼女の母はもういないが、今年の母の日もカレーを作り、いつもは食事を取ることがない仏間で、母の写真を見ながら母直伝のカレーを一人で黙って食べた。
翌日の朝。
(ふふ……やっぱり残っちゃうな)
会社へ出勤する準備をしながら、昨日作りすぎた残りのカレーを見て、その女性は少し寂しそうな微笑みを浮かべる。テキパキとスーツに着替え、化粧も済ませると、さっきの考えを忘れるように彼女は会社へ向かって行った。
医療機器メーカーの経理事務員として働いているその女性には気になっている……好意を寄せている男性がいた。研究開発部で働いている、ある青年がそうだ。どんなことでも真面目にひたむきに取り組む彼の真摯な姿勢に、その女性は惹かれていた。
「鹿野さん。ちょっと頼みがあるんだ。聞いてくれないかな?」
「えっ……どうしたんですか? 倉吉さん?」
その女性……鹿野は、意中の倉吉に頼み事をされて、非常にドキドキしていた。頼みというのは研究関連の勉強会がある会場が鹿野の家の近くなので、明日の昼に少し休憩と食事を取らせて欲しいということだった。明日はちょうど、鹿野が有給休暇を申請していた日で、休めることになっている。有給休暇を取るとはいえ、インドアな鹿野は、家で一人ゆっくり過ごすくらいしか、時間の使い道が思いつかなかったところでもあり、彼女は快く倉吉の頼みを受けた。
「本当に何もかまってくれなくていいんだけど、カレーか何か食わせてくれたら有り難いな」
「カレー……昨日作っちゃった……。明日、また作り直します」
「ん? 残りがあるんじゃないのかい? じゃあそれ食わせてよ。むしろそれが食いたい」
(相変わらずちょっと変わった人ね……倉吉さん……)
妙なことを言う倉吉だったが、鹿野は彼のそういうところも嫌いではない。
その翌日。勉強会の昼休憩に入った倉吉が鹿野の家にやって来た。鹿野は本当にこれでいいんだろうかと思いつつ、冷凍保存していた母の日に作ったカレーを温め、倉吉に振る舞う。彼はそれをさも美味そうに食べてくれた。
「ん……そうか……お母さんに供えてるんだね」
部屋で寝そべって仏間を見ていた倉吉は、仏壇のカーネーションに気づき、鹿野を気遣うように優しく尋ねる。彼女はそれで今まで我慢していたものが、堰を切ったように溢れ出し、涙を流しながら倉吉に母のことを止めどなく話し始めた。
「そうか……そうだったのか……」
倉吉は鹿野の心をいたわるように、優しく彼女を抱きとめている。
(辛かったんだろう。俺に打ち明けてくれてよかった)
華奢な体を震わせて泣く鹿野が、落ち着きを取り戻し安心するまで、倉吉は両腕で彼女を包み込み、その背中をさすり続けた。
そのとき、仏壇に供えられたカーネーションの花弁が、思いを通じ合わせた二人を見守るように、一瞬きらびやかな光を見せた……そんな気がした。
運命的なその日の出来事がきっかけとなり、鹿野と倉吉は恋人として付き合い始め、半年後に結婚した。母の花と母直伝のカレー……そして母の愛情が二人を引き合わせたのかもしれない。
(この人なら大丈夫)
鹿野の母の御霊も、倉吉の誠実さを見てそう感じたのだろう。娘を見守る母の目というものは、どこまで行ってもお節介なものだ。
もっとも、ゴールインした二人の笑顔を見る限り、今回は、良いお節介だったようだが……。