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「その先を口にしたら這い上がれた者はいない」と告げたら急に理想の男性になってしまった話

作者: 井伊佳奈

流行に敏感な婚約者。

 ベイク侯爵の令息ショコラータはその夜、胸に決意を秘めて婚約者であるソルベ伯爵の令嬢ソレイユと向かい合っていた。


「ソレイユ、キミとの婚約を破……」

「お待ちになって」

「むぐ」


 美しい指先が彼の上唇を押さえつける。もう少しで鼻の穴に突き刺さる勢いで。


 ショコラータはソレイユではない女性と学院内で秘密の関係を持っていた。

 半ば公然の秘密と化している下位貴族の令嬢との触れ合い。


 聡明なソレイユがそのことを全く知らないとは考えにくい。

 恋の病に冒されたショコラータは適当な時期に自ら秘密を打ち明け、婚約者との関係を見直そうとしていたのだが……


「急に言葉を遮るとは無礼ではないか。僕がキミを愛すっすぅぅ!?」


 今度は二本指。


「だからお待ちになって」

「……ソレイユ、君という人は」


 のけぞるようにしてショコラータは婚約者の指から逃れ、眉間に皺を寄せてコホンと咳をする。


「だがここは言わせてもらおう。私はしん…」


 その瞬間、ソレイユの瞳がギラリと輝いた。


「待て」

「……はい」


 ショコラータは沈黙せざるを得ない。ソレイユの家系はもれなく目力が強い。

 それが巷で「魔眼持ち」と囁かれる所以でもあった。

 生来の糸目男である彼が叶うはずもないのだ。


「ショコラータ様に申し上げます」

「急に改まって何を」

「呪言について」

「ジュゴン?」


 聞き慣れない言葉にショコラータは首を傾げる。

 ただなんとなく不穏な響きだと感じた。


「昨今の学院伝説をご存じないですか?」

「知らんな」

「でしょうね。三大呪言というものがありまして」


 学院伝説というのはおよそ見当がつくが大仰ではなかろうか。

 そんな思いで沈黙する彼にソレイユが続ける。


「婚約中の相手に向かって『婚約破棄』『真実の愛』『お前を愛することはない』のうちひとつでも口にした殿方は……ランキング入り確定ですわ」

「なんだそのランキング、とは」


 本当に貴方は何も知らないですねと言わんばかりにソレイユが大きなため息を吐く。


「破滅と不幸のどん底ランキング」

「それは……うん、嫌だな……」


 自分がまさに口にしようとしていた言葉が全て当てはまる。

 ソレイユは「その先を口にしたら這い上がれた者はいない」と婚約者に警告しているのだ。

 ショコラータは無意識に安堵していた。


 しばらく黙していた彼を見つめていたソレイユが動く。

 ショコラータの手を引いて二人で並んでソファに腰を下ろした。


「思っていても口にしなければ大丈夫ですわ……とお伝えしたいところですがそうともいい切れないので私からの質問形式にしましょう」


 先ほど「待て」と口にした彼女とは違う穏やかで冷ややかな声だった。


「まずショコラータ様をメロメロにした『お相手』の魅力について。あ、名前は言わなくてけっこうです」


 ソレイユが目線を合わせてきた。

 全て把握してますのでと言わんばかりの表情で。


 黙っていても仕方ないでのショコラータが口を開く。


「……相手はひとつ年下で、人懐っこい性格と笑顔が素晴らしく」

「外見だけですか?」


 はぁ、というため息が妙に大きく聞こえた。


「そんなことはないが」

「では私よりも美しいと?」


 うぐ、と息を飲み込むショコラータ。素直に「ソレイユよりも美しい」とは絶対に言えない。彼の目の前にいる婚約者は生まれ持ったものだけでなく、あらゆる意味で磨き抜かれているのだ。


「それも、ない……」

「嘘でも美しいと言ってあげればいいのに」


 ここで三度目のため息。


「私はソレイユに嘘はつけない」

「今更ですね。じゃあ学業の成績や内面はどうですか」


 意地の悪い質問だなと思いつつ彼は答える。


「……成績はそれなり、だ」


 ショコラータの密会相手は勉強嫌いで有名だ。


「私は常に首位ですが」

「ひ、人を惹きつけるのはそれだけではないだろう!」

「そうですか? 話が通じない相手、最低限の知識や教養のない者と長く寄り添うのは苦痛ですよ」


 ソレイユは婚約者の言葉を打ち砕くように、もはや回数を数えたくないほどため息混じりに痛いところを容赦なく突いてくる。


「見た目は良いとして中身はそれなり、他になにか取り柄があるのですか」

「そんな言い方をしなくても」

「あら失礼。私も無意識に嫉妬しているのかもしれませんね」


 ソレイユはその言葉を発したあと、急に視線をそらして顔を横に向けた。


「ん……?」

「なんでもありませんわ」

「キミが私に嫉妬……?」

「あちらをお向きになって」


 突き放すような言葉に混じった彼女の焦りを感じたショコラータは、婚約者の「魔眼」を恐れることなく正面に回り込む。

 果たして、手のひらで口元を隠し耳まで真っ赤に染まったソレイユが小さく震えていた。


「さっきは私の言うことを聞いてくださったのに……」

「勝手に淑女の顔を覗き見てすまなかった」


 そう言ってショコラータは前を向き、ソレイユが落ち着くのを待ってからあらためて問いかける。


「ソレイユ、こんな私でもキミは愛してくれるのか」

「はい」


 即答だった。迷いのない愛情を感じる。


「ひどい言葉を言おうとした私を?」

「まあ弱みを握ったと思えば」


 涼しげな声。でもどこか悪戯な雰囲気が憎めない。


「男としてどう思う」

「出会った時は感動レベルでしたが今は最低レベルです。ただ鍛え直せば当初よりもいい感じになるのではないかと」


 なんとも微妙な判定をくだされた。


「救いはあるのか」

「それはショコラータ様次第ですわ」


 何故か誇らしげに鼻を鳴らすソレイユを見て、ショコラータは自分の婚約者があらためて素晴らしい女性であることに気づいた。


「キミは美しい」

「そうですね」


 否定なし。だがそれがいい。


「頭も良いし非の打ち所がない」

「それは違いますね。婚約者の心をつかみきれてなかったのですから」


 さらに褒めてみると逆に落ち込ませてしまった。しかしその仕草すら今のショコラータには愛しく思えて仕方ないのだ。


「……拗ねてる?」

「回答を拒否します」


 プイッと横を向くソレイユを見て彼は小さく笑う。

 そして優しく手を握り、心を込めて提案する。


「もう一度やり直せないだろうか」


 握った手のひらが小さく震えた。

 やがて彼の手の上にソレイユのもう片方の手が重なり――、


「まだ何も始まってませんわ」


 振り向いたソレイユの瞳に涙は浮かんでいなかった。


お読みいただきありがとうございました。

※このお話は、「小説家になろう」「ピクシブ」両方に掲載しております

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