家名の始まりは明治時代
1868年9月に元号が「慶応」から「明治」に改元され、ここより時代は明治と相成った。漢方治療が中心だった小石川養生所は、長年独占的に続いた結果、不正を働く輩が横行して腐敗が蔓延るようになり、幕末の頃に台頭してきた西洋医学の勢いに気圧されて徐々に衰退していき、明治に移行した同年に廃止される。
”ピーヒャラ、ピ、ピ。ピーヒャラ、ピ、ピ”
行進曲が、晴れ渡る澄んだ青空に高らかに鳴り響き、群れ集まった大勢の民衆が、大通りを挟んで両側に立ち並び見守っていた。
隊列の先頭を歩く官軍の将校達は、それぞれの藩によって色違い染められたヤクの尾毛を使ったフサフサの軍帽を被っていた。薩摩藩は黒毛の黒熊で、長州藩は白毛の白熊、土佐藩は赤毛の赤熊と呼ばれていた。
官軍は隊列を組んで、軍楽隊が演奏する維新のマーチに合わせて、東へ東へと進軍していった。
「一体全体どうなってるんだ?」
「誰が想像したって言うんだ?」
「江戸幕府が滅亡するなんてことをよ」
1869年5月、箱館の五稜郭に立て籠った旧幕府や反政府軍と新政府軍の戦いで、新政府軍が勝利して一連の戊辰戦争は終わりを告げ、明治時代の事実上の幕開けの運びとなった。
「流れる水は腐らず、ってな」
”ええじゃないか!ええじゃないか!”
どこからともなく歌声が聞こえてきて、それに合わせるようにして、人々が入り乱れて歌い踊り始めた。
木造平屋建ての小石川養生所の病舎が、丁髷を結った職人達によって、完膚無きまでにめちゃめちゃの破壊されぶっ壊されていく模様を、中にはすすり泣く者もいる人集りに混じって、初代肝煎の子孫が凝然と佇んで、悲哀に満ちた哀愁漂う表情で名残惜しそうに眺めていた。
「肝煎さま」
と呼び掛ける声を耳にして、初代肝煎の子孫はその方を見遣った。すると、常幸の子孫が駆け寄ってきて横に並ぶように立ち止まった。
「どうして、どうしてなんでしょうか?」
「うん?」
「患者のことを思えば、小石川養生所は廃止せずに、存続させられたのでは」
「胡麻化していたのかもしれんな。腐りかけていることに気付いていながら、気付かぬふりをして守り続けようとしていた」
と返されて、常幸の子孫は反論の余地もなく押し黙ったまま相槌を打った。
「これから先は西洋医学の時代に」
「やはり」
「君の息子もか?」
「もしや、肝煎さま宅も」
「うん、孫がな」
明治初期には、既に開業している医師にも申請のみで医師免許が認められていたが、1874年(明治7年)医師を免許制とする制度が導入され、1876年(明治9年)には新たに免許を受けようとするものは洋法六科試験合格が必要となることが内務省から通達された。
「いつの世もいつの時代も、子供の生き方というものは、まさしく行雲流水ごときそのものだな」
「はい、肝煎さま」
と、常幸の子孫は頷いた。
二人は、高札場で互いに口々に言い合いながら昔を懐かしみ顧みていた。
「頼みを、聞いてはくれぬか?」
「はい難ありと、お申し付けくださいませ」
「我が人生に悔いはない。たが、心残りが一つだけある。今わの際で初代の肝煎がそう言ったと、私の父でもある先代の肝煎に聞かされてな」
「立派な功績を残された方にも、あるんでございますね・・・。心残りというものが・・・」
しみじみと心に感じるように言って、
「それで、肝煎さまのお頼みと申すのは?」
「あれだよ」
と、初代肝煎の子孫は眺めていた高札に書かれた告知を指差した。
1870年(明治3年)9月19日に公布された太政官布告第608号『平民苗字許可令』
新政府は四民(士農工商)平等の社会を実現するため、平民に苗字を公称することを許可する。
「初代の唯一の心残りは、君のご先祖の常幸さんに、苗字を与えなかったことだ」
「でも当時はそれが当たり前のことで」
「初代は、当家の苗字を与えようとしたらしいんだ。だが、いざそうしようとした時に、どうしてもそれだけはできなかったんだ。武家の誇りと気位が、苗字を与えることを許さなかったんだ。初代の肝煎に代わって、謝罪させてくれ。すまなかった。」
と、初代肝煎の子孫は頭を下げた。
「頭をお上げください、肝煎さま」
と、常幸の孫は有難そうに言って
「常幸も常々語っていたそうです。養女所に捨て置かれた身寄りのないj天涯孤独の赤子を、医者になるようにと教え導いて下さった初代の肝煎さまには、感謝しても感謝しきれない程の恩がある。なのに、その恩をどう返していけばいいのかわからないと」
「これを機に、小石川を苗字に」
「ええッ?」
「そうすれば、養生所は無くなっても、小石川の名は残る」
「はい」
「これでやっと、初代は成仏できるであろう」
「はい、常幸もまた同様に」
と言い合って、二人は天を見上げた。どこまでも青く澄み渡った、雲一つない大空はどこまでも広く続いていた。
1871年(明治4年)戸籍法が施行され、苗字が普及し始める。同時期に郵便制度も施行され、家屋に郵便配達員のための表札をつけるようになった。これが表札の始まりである。
暮れ泥む空。沈み赤い夕陽に映える『小石川』の苗字。門の柱に掲げられている表札の下に、埋め込まれて口金だけが表面に出ている郵便受け。遠方で聞こえるバイクのエンジン音が、徐々に近付き大きくなってきて、門前で停止する。口金に郵便物を押し込んで、郵便配達員は郵便局カラーの赤と白の配達用バイクの郵政カブに跨り走り去って行った。