小石川診療所
古民家の前庭に駐車中の『小石川診療所 往診車』と車体に書かれたスライドドア搭載の軽自動車。玄関のガラス引き戸が開き、白衣姿の亨と往診バッグを持って白衣姿の看護師が、住人の独居高齢者の患者に見送られて出てくる。
「すいません、先生。いつも迷惑ばかりかけて」
「一人暮らしは何かと不安でしょう。だから、気遣いなくいつでも連絡を」
「ありがとうございます」
「それじゃ、お大事に」
と声掛けをして、亨は軽自動車の雨天席に乗り込んで訊いた。
「今日の往診は?」
「残り後2件です」
と、助手席に乗り込んできた看護師が答えた。深々と独居高齢者の患者に見送られて、軽自動車は門から出て路地を走り去って行った。
待合室のソファに座って診療や会計を待っている、多くの患者達。その中の一人の老婦が名前を呼ばれて立ち上がり、カウンターに駆け寄った。
カウンターテーブルの上には『受付』のプレートと、『診察券・保険証入』の文字が書かれたボックスが置かれ、カウンターの中では、事務職に携わっている3人の女性達が忙しなく業務に励んでいた。
廊下の奥から呼びかける看護師の声が聞こえて、老人が立ち上がってそちらへ向かい、入れ違いに診察を済ませた主婦が戻ってきてソファに座る。
老婦人は、事務員から領収書と薬の処方箋を受け取って立ち去った。その背に向かって、
「お大事に」
と、事務員は患者を見送った。
日の沈みかかった空は赤みがかった色に染まり、沈みゆく太陽に合わせるように空の色も変化して、日没後には地平線や水平線はぼんやりと明るく、空全体は青く見えるようになった。一日の中で空の色変わりが、最も顕著に現れる時間帯は日出と日没で、この幻想的な空の色変わりは太陽の浮き沈みの時間帯によって、ゴールデンアワーからブルーアワーへと変化すると言われ、この2つの色変わりの流れを合わせてマジックアワーと呼称されている。
『小石川診療所』の大きな看板が屋上に掲げられている、病室のない鉄筋コンクリートの二階建ての病舎。その前に駐車場。その片隅に設置された屋根付サイクルポートの傍らの定位置に、全ての往診を終えて戻って来た往診車の軽自動車が駐車する。
降車してきた亨と看護師は玄関先で擦れ違い様に、
「こんにちは」
と挨拶を交わして、玄関の中へ入っていった。
「ご苦労様です」
と亨と看護師に言って、事務職員はカウンターテーブルの上の受付のプレートを、『本日の受付は終了しました』のプレートに置き替えた。
夜が明けて東の空が白み、そのあたりが薄明るくなっていった。遠方から聞こえてきたバイクのエンジン音が徐々に近付いてきて、門前で停止した。
門柱の『小石川』の表札の下に埋め込み式の郵便受け。バイクから降車した郵便配達員が、郵便受けの投函口に朝刊を押し込んで、バイクに跨り走り去った。三世代の家族が住むに相応しい広さの二階建ての一軒家。玄関扉が開いて、
「いってきます」
と、身支度を整えた春歌と同じように整えハーフヘルメットを手に持った夏花が出てくる。二人は、前庭を通り抜けて屋根付きのカーポートへと入っていった。カーポートには、原付バイクとスカイグレイ色の軽自動車と紺色のクロスオーバーsuvの3台が駐車されてある。
春歌、軽自動車の運転席に乗り込んで
「お先」
と、発進する。
むっとした顔付きで原付バイクに跨りヘルメットを被って発進する、夏花。
軽自動車とそれを追いかける原付バイクは、隣接している小石川診療所の前の車道を突っ走っていき、『東京大学 小石川植物園』の正門受付発行所の前を走り抜けて、目的地へと疾走していった。
門柱に掲げられた『大学病院』の立て看板。門中の広い敷地には大きな病舎。白衣姿の医師や看護師、外来患者達が忙しなく行き来している。原付バイクが走ってきて門の中へ入る。夏花、原付バイクを停めて満面の笑みを浮かべて振り返り、
「じゃね」
と挙手して、駐車場へと向かった。
少し遅れて後に続くようにして春歌運転の軽自動車がやってきて、門の中へ入っていった。