09 陰謀は影に
夜も更けた宮殿の一室。俺はひとり机に向かっていた。書類の山を前に、溜息が漏れる。
政務、政務、また政務。俺の日常は、権力と欲望に塗れた政争の日々だった。けれど最近は、その合間にルォシーの顔が浮かんでくる。純粋無垢な瞳、優しさに溢れた微笑み。
──ああ、また会いたい。
恥ずかしくも、数分ごとにそう思う自分が居る。だがそれは、隠し事にしなければならない。皇太子である俺が、貧民の少女と交流を持つことなど、宮中の人間に許されるはずもないのだ。
そんな思いを振り払うように、俺は書類に目を通す。すると、ある一通の報告書が目に留まった。辺境の反乱とは違う、宮廷内部の動きに関するもの。
──側近に、影あり。
ダレスの報告書だった。忠臣からの言葉だ。雲行きが怪しいとは聞いていたが、裏切り者、或いは腹心に何かを持つ者がいるのかもしれない。
「……クソ」
机を叩きつける。いつから宮廷はこうなった? 俺が産まれるずっと前からだ。わかっていたはずなのに。
俺が皇太子の座に就いた日から、宮中は俺に取り入る者と、俺を陥れようとする者に分かれた。だが、側近が毒されていれば、対処の使用が無い。
「ふぅ──」
酷く重い溜息をついて、廊下に出る。生ぬるい風だ。リューシエの中枢は、こんなにも腐敗している。スラムの方が、ずっと風通しがいい。
疲れ切った身体を引きずるようにして、俺は自室に戻る。何もかもが嫌になる。この濁った世界から、逃げ出したい衝動に駆られる。
ベッドに倒れ込み、目を閉じる。すると、ルォシーの面影が浮かび上がった。無垢な笑顔で、俺を癒してくれる。
──いつか、この檻から解き放たれて、君と共に自由に生きていきたい。
囁くように呟いた言葉は、虚しく空気に溶けていった。
「俺はダメだな」
俺には皇太子としての責務がある。民を導き、国を守る義務が。
わかっているのだ。叶わぬ恋など夢に見ても、意味が無いことくらい。
「でも、それくらいいいだろ……」
疲れ果てた身体は即座に意識を霧散させた。
* * *
翌朝。廊下を歩いていると、左側の大臣が話しかけてきた。
「テレンス様。伺っておりますよ。最近、よく宮殿を抜け出されているとか」
「──何か問題でもあるか?」
「いえ、お忍びの外出も結構かと。ただ、お相手が庶民の女とか」
「……!」
反射的に、俺は相手の胸倉を掴んでいた。剣を引き抜きかける。
「余計な詮索は無用だ」
「は、はい。へへへ。失礼を……」
大臣は蒼白な顔で、そそくさと立ち去って行った。どうやら、俺とルォシーの事は、すでに漏れつつあるらしい。問題視され、それが提起されるのは時間の問題だ──。
──このままでは、ルォシーにも危険が及ぶ。
そう直感した俺は、ダレスを呼び出した。信頼できる家臣は彼しかいない。
「ダレス、頼みがある」
「珍しいですね、テレンス様。『頼み』などと仰るとは」
真剣な目つきに何かを察してくれた彼は口を謹んでその先を待った。
「ルォシー・リンという少女を、密かに守って欲しい。彼女は──……俺にとって、特別な存在なんだ」
覚悟を決めて打ち明ける。するとダレスは、しばし無言で俺を見つめ、それから静かに頷いた。
「かしこまりました。私に任せてください」
「すまない」
「主人からの、初めての『頼み』ですからね」
微笑んだ好青年が、家臣でよかった。
言葉を交わし、宮殿の狭間で思う。俺の立場、俺の一挙手一投足、俺の全てが、どれだけルォシーを危険に晒すか。
もう恋などとは言っていられないことはわかった。だが、この気持ちを捨てることが出来ずに苦しむこの激情は一体なんなのか。
責務を体のいい言い訳にする自分がひどく醜く思えて、廊下の壁に背を預け、俺はそのまま座り込んでしまった。
夕暮れが不気味な笑みを湛えている。
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