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06 蜜

 朝の冷気に包まれ、私は市場へと向かっていた。昨日テレンスと出会った場所。彼が本当に来るとは思えないけど、何となく足が向かってしまう。


 人で溢れる市場に着くと、私はきょろきょろと辺りを見渡した。流石に今日は人が少ない。やっぱりこんなところに、あの人が来るはずがない。私は溜息をつき、買い物を始めようとした。


 その時だった。


「おはよう、ルォシー」


 優しく響く声に、私は我を忘れて振り返った。


「テっ、テレンス!」


 昨日と同じローブに身を包んだ彼が、そこに立っていた。目元だけ出した姿は、まるで変装しているみたいだ。──やっぱり。


「来てくれたんだ……」


 思わず呟いた言葉に、テレンスがニッコリと微笑んだ気がした。


「君に会いたくて」


 一言で言われて、鼓動が跳ねた。信じられない。どうして、私なんかのために?


「でも、私は……だって」

「貧民だから?」

「そう」


 彼の目は見透かしたようだ。


「それを気にするってことは、気づいているんだろう?」


 気づいている。彼がきっと、私とは遠く身分の離れた人だという事は。だからこそ諦めようと思ったのに、なんでまた現れるの? どうして消えてくれないの。希望なんて、捨てなきゃいけないのに──。


「僕は君と話がしたいだけだ」

「ですが──」


 敬語を使った途端、彼の心がスッと冷め、寂しそうな目になった。


「ごめん」

「いや、謝らないで。君は悪くない。誰も。国が悪いんだ」


 彼は苦々しい顔をした。やはり、貴族なのだろう。


「テレンス。……どうして、私なの?」


 小さな声で尋ねてみる。テレンスの瞳が、真剣に私を見つめていた。


「理由なんて、ないよ。ただ、君といると落ち着くんだ」


 ──言っただろ、肩の荷が下りるって。彼はそう続けた。


「そっか……。私もだよ。私だって貴方といるとホッとする」


 素直な気持ちを口にすると、テレンスの目元がパァッと輝いた。意外と子供っぽい所もあるのかな。


「嬉しい。その言葉は、嬉しい」


 彼はそう反復してから「少し歩かないか」と私を誘った。


 私は小さく頷き、テレンスの隣に並んだ。見慣れた街並みなのに、不思議といつもと違う。そして、本当にその先へ、本当なら貧民が歩いてはいけない貴族通りまで来てしまう。


「だめっ、これ以上は──」

「君は今だけお姫様でいい。僕が許可する」


 そう言った彼は、ローブの下に持っていたのか、コートを私に着せてくれた。街行く人の視線は気になったが、一目見ただけで高級だとわかる布地のコートのおかげで、いくらか平気だった。


 二人で肩を寄せ合うように、ゆっくりと歩く。そこはまるで違う世界のようだった。石畳に可愛らしい家並み。小川のせせらぎが、のどかに響いている。


「初めてきた。綺麗な場所だね」


 漏らした言葉に、テレンスが寂しく微笑んだ。


「ううん、この国で一番醜悪な場所だ」


 彼の気持ちまではくみ取れなかった。だが、私の目をある程度買ってここへ連れてきてくれたのなら、その理由はわかる。


「私が鳥なら、この鳥籠は狭すぎるね」


 そう言うと、はっとしたようにテレンスは私を見た。


「──やっぱり、君じゃなきゃダメだ」

「え?」


 真っ直ぐに私を見つめ、彼はそう言い切った。やっぱり、その真意まではわからなかったけれど。


「……なんて、ね。またこうして散歩に付き合ってくれないか? 僕は散歩が好きなんだ」

「ふふ。普段は何をしてるのかしら。ええ、喜んでお付き合いします」


 この一瞬だけでいい。今は二人きりの世界に浸っていたかった。身分違いだなんて、どうでもいいことだと思えた。そしてあわよくば、この脆くて綺麗な祈りが、潰されないような奇跡が起きればいいなとも思った。


 私の小さな願い。鳥ならば、飛び立てるように。


 テレンス、あなたは私の特別。私はあなたの特別になれるかな。


 そう心の中でつぶやきながら、私はテレンスと並んで歩いた。


 二人の距離が、少しずつ近づいていくのを感じた。

貴重なお時間を割いてお読みいただき誠にありがとうございます。

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ご意見・ご感想もいつでもお待ちしております。

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