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蛇が動目く

 「僕は君を殺すから」

オロチの言葉が、静かな教室でさざ波のように広がる。

殺す。冗談としてよく使われる、ごくあり触れた言葉。しかし今の『殺す』には、あまりに非日常的な響きが込められていた。

シキは困惑を隠しきれず、恐る恐ると言った様子で喋る。

「そ、そんな真面目な顔で冗談言われても、困るんだけど」

「冗談じゃないよ。丁重に育てられてきた王女様には、こうでもしないと分からないか」

オロチはそう言うと、シキの色白な足を蹴る。その動作は、まるで路上に落ちている石を蹴飛ばすかのように、なんでもないことのように行われた。

シキの身体にバキィッという音が走る。あまりに強い痛みに、シキは絶叫する。

「今ので足の骨は折れた。これで君は逃げられない。じゃあ改めて、自己紹介といこう。ま、自己紹介というか事故紹介って感じだけど。僕はテロ組織”蠢く蛇”の首領にして、天下に轟く大悪党”怪物”。学校が襲撃されているのも、ハブに君を殺すよう命じたのも、全部僕の仕業だ」

オロチはニヒルな笑みを作り、あっけらかんと言う。

「どういうこと!?何の冗談よ!!!」

「まだ冗談だと思う?もう1本の足も折っておこうか?」

オロチはシキを氷のように冷たい目で見る。人に向けるにはあまりに冷たすぎる視線に、シキは完全に委縮して、奥歯をガタガタと鳴らす。

慄くシキを見て、オロチはがっくりと肩を落とす。

「やっぱり君は駄目だね。君は弱すぎる。戦闘面じゃなく、精神面が。ちょっと本気で殺意を向ければ、すぐに臆病さが顔を出す。何を呑気に震えている?攻撃されたら、反撃の算段を整えろ!相手を殺す覚悟もないのなら、無抵抗に殺されてろ!」

オロチの剣幕に、シキは圧倒される。

「どう言い繕うと、理想を叶えるためには、誰かを傷つけるねばならない。『身分制度を廃し、国の在り方を変える』。君のバカげた夢を実現させるには尚のこと、多くの者が血を流すことになるだろう。だが君にはその覚悟がない。君は自分が泥を被る覚悟など、微塵もない。弱者に涙を流す自分に酔っているだけの偽善者だ!」

異論を許さない強い口調でオロチはシキを(なじ)る。別人のように威圧的なオロチにシキは臆し、言い訳をする子供のようにつっかえながら反論する。

「私はそんなんじゃ…。本気で国を変えたいと思っているわよ!」

「確かに、君の願いは嘘ではない。嘘ではなく妄想だ。シキの願いは本心だが、やることは願いを掲げるだけ。君は夢を追うポーズをとることに満足している」

オロチの痛烈な言葉がシキの言葉を鋭利に抉る。

『夢を追うポーズをとることに満足している』。シキにとってこれ以上に相応しい表現はない。いいや、多くの者にとって身に覚えのある言葉だろう。

歌手に憧れるも、身を削ってまで練習をすることはなく、有名歌手となった自分を想像して有頂天になるように。ダイエットの計画を立てるだけで、痩せた気分になるように。

人は願いを掲げた時点で、一定の幸福感を得る。そうして言葉ばかりの努力を重ね、やがて仕方ないと悟った顔をして願いを捨てる。

その事実を指摘された時、多くの者は不快感と、それに付随して相手に対し強い怒りを覚える。

だがしかし、シキが感じたのは不快感などではなかった。

自分に対する不甲斐なさ。それに付随する、自分に対する度し難いほど強い怒り。

無論、オロチの言葉はシキにとって耳が痛いもので、非常に聞き入れずらいものだ。それでも、シキはオロチの指摘から目を逸らすことはしない。

シキが”神童”と評されるほど優秀な理由は、ただ天才であるからではない。多くの凡人に取って向き合い難い自分の浅ましさと向き合い、成長の糧に変える精神性をシキは持っているからだ。

オロチの意見は辛辣で痛烈であったが、シキの目を醒ますに足るほど適切で的確であった。

目の色を変えたシキが、威風堂々と宣告する。

「私には、地位と才能がある。だから夢を叶えられると漠然と信じていた。でも、あんたに言われて、当たり前のことに気付いた。夢を叶えるには、揺るぎない覚悟がいる。屍の山を乗り越える覚悟が。私はたった今、夢を叶える覚悟を決めた。だからもう、私はあんたを殺せるわ、オロチ」

シキの『殺す』には、冗談や空脅しでは醸し出せない、非日常的な響きがあった。

「僕ももうとっく覚悟を決めている。僕も君を殺せるぜ、シキ」

「残念だわ。殺したくはないのに。氷魔法+水魔法”永遠の氷槽”」

シキは教室を満たしてしまうほどの大量の水を生成し、同時に氷魔法で水を氷結する。瞬く間に、教室内は凍結した水槽と化す。有無を言わせない高速かつ広範囲の攻撃により、オロチは何もできずに氷塊に閉じ込められる。

シキの魔法は、見事であった。その時点でシキに出来る最大値を叩き出していた。

しかし悲しいことに弱者の会心の一撃というものは、圧倒的強者の前には無意味である。

シキがオロチを氷漬けにした次の瞬間、教室全体に及ぶ氷は(たちま)ち砕け散る。

シキは、どうして氷が砕け散ったのか、見当もつかなかった。何故ならば、シキの目は何も映さなかったからだ。シキの目には、何の前触れもなく、氷が勝手に砕け散ったようにしか見えなかった。

シキは混乱を極めながら、思わずオロチ問いただす。

「いったい、何をしたの!?どんな魔法を使えば、指一本も動かさずにこの大氷塊を破砕できる!!?」

「僕の得意魔法が何なのか、教えたことなかったね。僕の十八番は音魔法。音そのものに力を与え、その音を増幅・操作する。僕は僕の心音を増幅し、それを氷に伝えることで、氷の水槽をぶっ壊した。音魔法により凶化された僕の音は、音そのものに火や雷のような殺傷能力がある。音という形の凶器だと認識してくれればいい」


音魔法は攻撃に秀でた魔法では決してない。隠密や支援に特化した魔法である。だがオロチは膨大な魔力により、音そのものに破壊力を付与するという荒唐無稽な事象を成立させた。


1気圧の乾燥空気が15度の時、音の速度は約340.5m/s。空気だけでなく固体も液体も伝わるため、壁も盾もすり抜ける。その上、不可視。

つまり音による攻撃は、回避も防御も(あた)わない。最高で最上で最悪の武器だ。


オロチは親指と中指を擦り、パチンと指を鳴らす。

子気味良い音が、シキの鼓膜を揺らす。その瞬間、シキは頭を直接殴られたような感覚に陥り、失神する。

シキが倒れた教室で、オロチは静かに言い放つ。

「君への葬送曲(レクイエム)だ。演奏代はまけてやるよ」

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