たとえ死んでも
クレインと八岐大蛇の死闘は、加速度的に激しさを増していった。あまりに激しい戦闘のため、長続きすれば校舎どころか国そのものが、焦土と化してしまいそうである。
八岐大蛇は8種の魔法を複雑に組み合わせることで、核兵器に匹敵する破壊力が可能した複合魔法で攻め立てる。
一方クレインは、かの魔王が使ったとされる空間魔法で応戦する。
1人と1匹の戦いは人智を遥かに超越しており、これは神々の争いなのではないかと思わされる。
そんな激闘の最中、一人蚊帳の外であった八岐大蛇を召喚した少年に、クレインが声を掛ける。
「なぁ、ちょっと聞いていいか?八岐大蛇は1000年前ついぞ殺しきれることができず、魔界に封印するしかなかった大魔獣。そんな八岐大蛇を使役するには、お前はあまりに力不足過ぎる。一体、どんな手を使ってこいつを使役した?」
少年はクレインの指摘に少し動揺の色を見せるが、すぐに平静を取り戻し、ケロリと言う。
「君の言う通り、僕は八岐大蛇を使役するには弱すぎる。そこで、”生贄の儀”を使ったのさ」
「”生贄の儀”!寿命や体の一部を生贄として失うことで、強力な力を得る悪魔の儀式。倫理的な側面から、既に歴史から消されたはずだが、この時代に知っている奴がいたのか。だが八岐大蛇をお前が使役するには、相当な対価が必要なはず。それこそ、対価が命そのものでも不思議じゃない」
「まさにその通りさ。僕は自身の命を代償に、八岐大蛇を3時間使う能力を得た」
「それはつまり、3時間経てばお前は死ぬってことだよな!?命を投げ出してまで、お前は何がしたい?」
クレインの言葉を少年は嘲笑する。
「僕はもともと奴隷で、僕の飼い主は”生贄の儀”について研究していた。飼い主は奴隷を”生贄の儀”の実験におけるモルモットとして使った。”生贄の儀”を発動するには、それなりの対価を払う必要がある。そこで飼い主は、対価として『死の苦痛』をモルモットに払わせた。上手いことに、『苦痛』は痛いだけで外傷を負うわけじゃない。つまり物理的な損傷は生じず、同じモルモットを何度も実験に利用できる。ただしこの『苦痛』は、掛け値なしに死ぬほど痛い。全身を何時間も焼かれたり、サイコロの大きさになるまでゆっくり圧死したり、骨になるまで鼠に少しずつ食われたり。そういう苦痛を体験する。君のその苦痛が想像できるか?まさに生き地獄さ。度重なる苦痛に心が折れ、自殺を決意した夜。”怪物”が飼い主の屋敷を襲い、僕は救い出された。”怪物”なんて異名だけど、僕にとっては神様だ。何がしたいかって?恩人に報いたいだけだ。普通だろ?」
「折角救わってもらった命を投げ出してまですることか?」
「君も死ぬより辛い日々を体験すれば、僕の気持ちが分かるよ。あの生き地獄と比べたら、死ぬことだって掠り傷さ!!」
少年の揺るぎない覚悟に、クレインは絶句する。
「小僧との話は終わりか?我が顕現できる時間も長くはないのでな。そろそろ我に集中してもらおうか」
業を煮やした八岐大蛇が、辛抱たまらずといった様子でクレインに言う。
しかしクレインは八岐大蛇に見向きもしない。
「ヤダね。勘違いしていないか?これは俺と、お前を召喚したそいつとの戦いだ。お前を倒す必要がどこにある?」
「小僧を殺すつもりか?仮にそうしても、我に命令する者がいなくなり、我が好きに暴れられるようになるだけだぞ」
「オロチが救った奴を殺せば、オロチに会わせる顔がない。ちょっと意地悪するだけだ。”改竄”」
クレインが魔法を唱えると複雑な魔法陣が展開され、紫紺の光を発する。
すると、全長10メートルもある八岐大蛇の巨体が、突然消滅した。まるで最初から存在していなかったように、影も形も無くなったのだ。
狐につままれたような出来事に、少年はポカンと口を開ける。
「はぁっ!?何が起きた!?八岐大蛇はどこへ消えた!!?」
「お前の”生贄の儀”に干渉し、契約時間を3時間から15分に変更した。既に15分を経過していたから、八岐大蛇はこの世界から魔界に還ったんだ」
「他人の契約に干渉しただと?有り得ない!!そんなことが可能なのか!?」
「普通は無理だ。でもお前の儀式は欠陥が多く、契約を改竄する隙があった。まぁ改竄したと言っても、変えられたのはほんの一部分だ。儀式の対価として命を差し出すことに変更はない。儀式の内容が急に変更したからラグが生じているが、そろそろだ」
それはつまり八岐大蛇を使役した対価として、少年はもうすぐ死ぬということだ。
少年は自分が死の間際にいることを察すると、すっと目を瞑って死を待つ。
少年は実験体として死に等しい苦痛を何度も味わってきた。少年にとって、死は既に体験しつくしたもの。今更恐怖など感じない。
少年はそう信じていた。
しかしいざ死を目前にした時、少年の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「…あれ?」
少年は涙はとどまることなく溢れだし、名状しがたい寒気が全身を震わせる。
これらの反応が死に対する怯えから来ていると気づくのに、少年は数秒もの時間を要した。
少年は勘違いをしていた。
死の苦痛を体験したことで、少年は『死』を知った気になっていた。
だが実際は、『死』を理解してなどいなかった。死の本質は痛みではなく、未来を永久に失うことにあるという単純明快な事実を、少年はたった今理解した。
何物にも代えがたい明日を失う後悔に、少年は膝から崩れ落ちる。
だがもう遅い。
儀式の対価として自身の命を捧げたのは、他でもない自分自身だ。今更”生贄の儀”を取り消して死を回避するなど、あまりに都合が良すぎる。
少年の涙が頬を伝って地面へと零れ落ちた時、対価は支払われた。
パンッという無機質な音が空気を震わせ、クレインの上半身が跡形もなく消し飛ぶ。残された下半身はバランスを崩し、糸が切れた人形のように地面に倒れる。切断面から血が溢れ出し、地面に赤い液体がじんわりと染み込んでいく。
しかし次の瞬間、クレインの身体は白い光で包まれ、消えたはずの上半身が元通りに戻る。そしてクレインは、何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がる。
「…はぁ!!??なっ、はぁぁ!!!???」
自分が死ぬと思っていた少年は、あまりにも意味不明な光景を前に、目を皿のように丸くする。
クレインは唖然とする少年を面白そうに眺め、種明かしをする。
「いいリアクションをしてくれるな。実は”生贄の儀”の契約時間を変更したように、対価を支払う対象をお前から俺に変更した。俺が死なないのは、、、まぁそういうもんだと思ってくれ」
クレインの雑な説明に、少年は「意味わかんない」と繰り返す。
「意味わかんない。全部意味わかんないけど、一番意味わかんないのが、僕を助けたことだ。どうしてそこまでして僕を助けた!?」
「だってお前、死ぬのは嫌だろ?」
クレインの芯をついた言葉に、少年は口を紡ぐ。
「そうだね。死んでも嫌だ」




