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7話 竜の石.1

 店内は賑やかだった。

 女性の店内アナウンスと心弾ませるリズミカルな音楽が流れる中、私たちは足を進める。軽い身のこなしのマリアと、それにつられて浮かれているお母さんを筆頭にして。


「わお涼し~、人いっぱいね~、なんだかスキップしちゃうっ」


 陽気なマリアは、常夏や南国を連想させた。ゆったり流れる波と心地いいウクレレの音色。あとハイビスカス。

 お母さんがご機嫌な理由もこの影響だった。対マリアの際はいっつもこうで、明らかに南国に引っ張られている。

 ハワイアン音楽でも流がせば二人でフラダンスでも踊りだしそうだ。


「まずはご飯でいいー?」


 お母さんの大きな声に周囲の人たちの視線が一気に集まり、

「ヒュー! なに食べよー」

 マリアの声で、さらに視線が集中した。


「……」


 ——今、この親子に関わってはいけない。

 私は少し距離を取って歩きながら、他人のふりをする。周囲のざわめきとアパレル店員の呼び込みの声が、ふと耳につき始め、私は何となく今年の夏のトレンドを目で追っている。


「そーそー海鮮丼の店が新しく入ったんだってぇー」

「ワーオ! 海鮮丼いいわねー」


 南国気分の二人は周りの視線など、どこ吹く風だ。


「パピちゃん海鮮物好きでしょー?」


 次は、パピヨンに絡み出した。

 お母さんが後ろを向いて訊くと、パピヨンは「はあー?」と茶目っ気たっぷりな返事をする。まんざらでもない表情と、ちょっとばかり嬉しそうなリアクションはチャーミングだった。

 祖父のパピヨンの、本日の出で立ちは、まばらの白髪のオールバックに、手にはセカンドバッグ、服は愛用の、上下、赤色に黒字の入ったジャージで、風貌はVシネマ俳優そのもの。そんなパピヨンに向かって、マリアはいつも黄色い声援を送っているのだとか。

 よく怖い人と誤解されるが、口癖の愛嬌と優しさが溢れ出た、はあー? が私は大好きだった。

 少しだけ、私のコーラにも炭酸の泡がぷくっと上がった気がした。


 エスカレーターを上がりきると、「ワーオ! すっごい人ーー」マリアの言うとおり、千席以上あるテーブルは間違いなく満員で、皆、己の欲望のまま我先にと人と人が不規則に重なっていた。

 その欲を掻き立ている要因の一つの、重なり合う食べ物の匂いにすら、今の私には、ちんけに思えた。


 ——好き放題な大人たち。


 私は黙食教の出だ。

 教室で皆、同じ方向を向いて黙って給食を食べる。私にはまるで三途の川でも眺めているようだった。

 あれは一体、何だったんだろう。謎の制限に縛られた世界だった。目の前で好き放題している大人たちに訊きたい。


 この頃からだ……

 何だか学校に行くのがくだらないと感じ始め、閉塞感がまとわりつきだしたのは。


 新たな聖域と化した口元の布切れに急速に変化する日常に、一般常識を無下にされている感覚。従来の価値観がことごとく崩壊していく未来。

 私は本当に正しい知識を学べているのだろうか?

 この行き場のない気持ち。

 ここ数年感じている自身の喪失感も、ひょっとしたら、そんなところからきているのかもしれない、などとふと、考えているときだった。

 頭を殴られるように、現実世界に引き戻されたのは。


「ちょっと早めにきたのに、がっくしぃ~」

 キョロキョロと落ち着きがないマリアと、

「毎度毎度サバイバルだわ……席探してくるわ」

 と言う鼻息荒いゴリラ。


 そして、私は一つ次元を落としてから、心の内で吐き捨てた。

 まあ、この人たちにとっては、どこ吹く風なんだろうけど。


「皆んなーーこっちこっちーー」


 ——ここにいた。

 私は、ひときわ大きな声で、誰よりも我先にと必死な人が、一番身近にいるという現実に気づいてしまう。

 だれかこの怪獣を(なだ)めてくれと、私は見て見ぬふりをした。

 でも、不覚に思ってしまう。冷ややかな視線に全く動じず、羞恥心(しゅうちしん)をものともしない様は(たくま)しく、これはこれで長所なのかもしれないと。


「やるぅ~」


 マリアは手を叩いて軽快に歩き出した。それは幼稚園児が始めてピクニックでも行くかのようだった。

はあ、一度でいいから、この人たちと入れ替わってみたいわ……。


 呼ばれるまま向かうと、テーブルでは、幼稚園児位の女の子が満面の笑みでソフトクリームをほうばっていた。

 ピンクの水玉のヘアゴムで二つにまとめた髪の毛が可愛らしかった。

 隣に座る「みーちゃん早く食べなさい」と女の子を急かす女性が目に映った。母親だ。父親だろう男の人は食べ終わった器を片付けていた。

そして隣のテーブルでは仲睦(なかつむ)まじい老夫婦が「もう少しお待ちくださいね」と微笑ましく言う。

 ああ……と、私はつい今さっきお母さんに感心したことを後悔した。

 辺りを見回すが都合よく席が空きそうな気配はない。この、早く食べろと圧力をかけている感じ。たまらなく嫌だ。このまま消えてしまいたい。


「ごめんなさいねー。なんだか急かしちゃって」


 丁重に頭を下げるマリアが、私には何だか薄っぺらい社交辞令に見えた。

 家族が足早に立ち去ると、よーし、とマリアは手際よくテーブルを拭き始める。

 この、あっけらかんとした様。やはり、これも長所というのだろうか。私はその訳をまだ上手く言語化できない。

 憧れからの肯定感とも少し違う。ただ、この乱世——これくらい図太くないと生き残ることはできないのかもしれない。私には、全くもって生きてく自信はないけれど……

 面白そうだから、頭の中で波音とハワイアンミュージックを流してやった。豊かな自然に恵まれた南の楽園で、大海原へと冒険に出たヒロインの帰りを待つ老婆。


 ああ、なんとも絵になる……


 私はあっけらかんと眺めてやるのであった。

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