61話 魔界の扉
着いた!
最後の坂を蹴り上げる。
——どこ?
息を弾ませながら周囲を見まわした。
何も見えなかった。暗闇が包み込んでいた。
耳を澄ませても、音は一切聞こえない。静まり返る暗闇の中で何かを探ろうとした。
胸が熱くなる。
ただ、自分の息づかいと波打つ鼓動だけが、不安にさせるほどに大きく響いた。
視界に映ったのは一つ。
ぼんやりと見える大きな木だけ……。
一歩ずつ、ゆっくりと足を進め、木の横を通り越す。
辺りを漂う霧かかった空気は、崇高で無意識に纏っていた化けの皮を剥がされた気分だった。その高潔さは、意識が吸い込まれていくようで、まだ夢から覚めていないような、そんな気にもさせた。
私は魔界の扉を開き、足を踏み入れる。
「——?」
遠くの空で、きらりと星が一つ走り、青白く光った。その光で、一瞬だけ目の前の視界が晴れた。
……人影がある。
そのようなものが見えた。丘の縁に立ち、遠くの空を眺めているようだった。
高ぶる心臓につられるように息が震えた。自然と足が一歩出た。
また光った。
青白く光る星は、一つ、二つ、三つと流れ落ち、その都度に視界が明るくなった。
私は叫ぶ。
「お父さんっ——!」
また一つ星が流れて、人影は緩やかに振り向く。それは、まるで時間が止まったかのようだった。
「お父さんっ! 隕石は——」
今度は小さく星が降った。
「七海か……?」
そっと、鼓膜に響いた。
その声に空気が張り詰める。
「隕石落ちてくるんでしょっ!?」
二つ。
さっきよりも小さく青白く光って、人影はそっと口を開く。
「もう、大丈夫だ」
血液が体の隅々まで駆け巡ったのがわかった。
「……安心していいぞ」
「……っ」
言葉が出ない……
ずっとこの日を待ち望んでいたはずなのに。
その優しく心地のよい声は、りんご飴の香りがした。
大きな火の玉が視界を走り抜けた。
青白い光によって、ぱっと辺りが晴れ渡る。お父さんの顔が一瞬だけ、はっきりと目に映る。
そのときだ。
辺り一帯が突然、青白く光り輝いた。
「——え? 何っ?」
目を見張った、目先の空は輝いていた。
数えきれないほどの星が、青白く輝きながら降っている。
「よくここがわかったな」
お父さんは笑っていた。理由はわからない。
幼なかった頃の私を、あやすように語りかけた。
何故だろう……
言葉を返せないのは。
怒鳴りつけてやるつもりだった。
自分勝手に家を出て行った父親に——
どこ行ってたんだ、と。
耳に蘇る。幼い私の声が。
楽しく、無邪気に、お父さん、と呼んでいる。
私は咄嗟に空を見上げた。
その光景はまさに圧巻だった。
「きれー……」
それはまるで夢の景色のように、ただひたすらに眩しく映った。
数えきれないほどの星が過ぎ去ったあとに、小さな星屑が無数に細かく散らばり、輝きながら落ちていく。
宝石箱をひっくり返された星たちが、粉々に弾け飛んでしまったみたいだった。塵と化した宝石は、空全体を埋め尽くすように広がっている。
ほんとは……
この世界は美しいのかもしれない。
私が思っていた以上に。
ふと意識が遠のいたとき、お父さんの声が届いた。
ちょっとだけ弾んだ声だった。
「ここに辿り着くなんて、さすが七海だな」
——あれ?
何だろ……
ふわついた違和感があった。
「すごいぞっ」
その言葉を耳にした瞬間、何故、星が眩く見えていたのかがわかった。
さっき、お父さんが笑っていた理由も。
枯れたはずだった……
涙なんて。
……おかしいな。
何故だろうか。
さっきから空を見上げているはずなのに、
涙が溢れて止まらないのは。
——きっと、魔法のせいだ。
知らぬ間に氷ついていた私の心は、星が降る日に溶けたのだ。
溢れた言葉は一つだけだった。
「お父さん、おんぶ…… 」