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52話 ムシノシラセ.2


「ほっ星宮っ……」


 おいおい、どうした? こんなに朝早く、しかも雪の中そんなに息を切らして。神沢は両膝に手をついて背中を丸めている。

 どれほどの勢いで走ってきたのかは吐く息でわかった。外気によって急激に冷やされた白い息は、何度も何度も小さな水滴となって寒空の中へ消えいく。

 唐突に私の脳裏をかすめた。

 

 巨大隕石——


 私はまるでこの世の終わりを告げにきた使者により、一瞬にしてまた違う世界線を(また)ぐこととなる。

 ……それと、この世界線で直面していた糸口も、ぱっと閃いた。

 去年やってくると聞いていた巨大隕石。

 多少予想が前後することもあるのかな、と何日か夜空を見上げて気にはしていたけど、星は降ってはこなかった。

 私はゆっくりと顔を上げる神沢を見た。


「もしかして、神沢?」


 私は最悪の事態を想像していた。


「何だか虫の知らせがしてさ——」


 このあとの神沢の台詞は私が予想していた言葉とはまるで違うものだった。

 神沢は私の顔を見ると目を柔らかく細める。それからほっとため息みたみたいなものをついて言った。


「髪切ったんだね」


 私は、呆気に取られる。

 まいったな。

 あどけない笑い顔がそう思わせた。

 それと、まぶたの奥に透き通った朝の光がじんわりとしみていく。

 小鳥のさえずりが一つ、そっと私の心に足跡をつけた。



 これが神沢が言ってた……

 と、小春からの……

 部屋に戻り、今さっき小春から送られてきたリンクをタップして開くと、スマホの画面のSNS上では次から次へとその記事が拡散されていく。言語は様々だけど、日本語は見当たらなかった。


 日本では全くだけど海外の一部の人たちで騒ぎ出したと、神沢は言っていた。


 返信する間もなく、『これ、七と神沢くんが話してたやつでしょ?』と小春からメールがきて、すぐに既読がつき、私は返事を送る。『そうです』

『これほんとなん?』

 悲壮感全開のウサギのスタンプのあとに『やばいじゃん隕石』と返信がきて、涙を流しながら豪雨に打ちひしがれるウサギのスタンプがきた。

 そのあまりにも激しい雨に、私はちょっと笑ってしまう。

 この感じだと小春はさほど動揺していない。以前、この手の話を本気で話しをしたときもそうだった。オカルト好きは、いくつかの終末論をあらかじめ踏まえているらしい。



 ベッドから体を起こし、階下のリビングへ行くと、いつも以上に騒々しいお母さんがいた。こちらは平地に積もった雪のことで、窓の外を見ながらバイト先の人とスマホ片手に一悶着(ひともんちゃく)している。

 おそらく積もった雪が出勤する頃に、雪が溶けてバイト先に行けるのかどうかを予測しているのだと思う。テレビの画面に映るお天気のお姉さんも、このあとは一日中晴れだと言っている。

 なんて平和なんだ。

 私はテーブルにつき、自ら用意したシリアルに牛乳を注ぎ、器の中のバナナをスプーンで何当分かに切りわける。

 どのチャンネルもテレビのニュースは雪でもちきりだ。海外のネット界隈では、人類の存続について大騒ぎしているというのに。

 呑気だな、と思いつつ、改めて自分の身勝手さに気がつく。

 この大雪がもし昨日だったら私自身も胸中穏やかではなかっただろう。


 巨大隕石か……


 平穏なテレビを眺めていると、いまいち現実味がなかった。

 スプーンを口へ運ぶと、キッチンからお母さんの声がする。


「七、私はバイト行くからあとよろしくねっ」


 きっと、この画面の情報しか必要がない人たちにとっては、どでもいいことなのだろう。

 まあ……言うて私も勉強に必死でそれどころじゃなかったのだけれど。

 そしたら忘れた頃に星が落ちてきたとさ——。

 私は再びスマホをタップした。

 その手の記事はどのSNSでもそこそこ燃えていた。——で、隕石落下はいつなのだろうか?

 小春に教えてもらった記事も、みるみるコメントの数が伸びていき、十分足らずで五千件を超えているが、正確な日にちについては皆、憶測に過ぎなかった。


 ああ……

 この私の心の落ち着きよう……

 どうした? と自分に問う。


 何か騒つくものはあるけど、妙にしんとしていて自分を俯瞰(ふかん)しているような気さえした。


 受験が終わったから?

 燃え尽き症候群みたいな?

 ……いや、違うな。

 

 胸の奥底で、何か沸々と感じるものがあるような、ないような。

 勉強のしすぎで頭がおかしくなったか?

 いや、元からだと自分でつっこみを入れて席を立ち、そのままの足でキッチンへ向かった。

 食べ終えた食器を洗っていると、次第に私の思考は一度中断された。この感覚は近頃ハマっている瞑想なるものに近い。ついでにお母さんの分も洗った。

 玄関の方から鍵の開く音がした。

「いってきますっ」すぐにお母さんの声とドアの開閉の音が忙しなく家に響く。

 もう一回、寝よっかな。



 部屋に戻り、ベッドの上であぐらをかいて黙想をする。

 久しぶりにスマホでヒーリングミュージックも流してみた。エアコンもつけた。制限のない癒しはいつになく深く静かだった。

 しばらくして感情が散らばると、いつものモヤかかった深黒いやつが現れ、またかと思う間もなく、神沢の顔がフラッシュバックする。

 ああ、神沢のせいか——

 たく、あいつは人類の一大事かもしれないってときに、何を言ってるんだ。


『星宮のお父さんに会えるかもしれない』


 私のお父さんはとっくに死んでるってのに。あんなに嬉しそうな顔して。小学生か。

 今朝の出来事が頭の中を巡り、思わず笑ってしまった。

 神沢の何気ない小さなこと一つ一つが気になる。

 照れ臭いと頭の後ろをかく仕草。笑うとできる目尻の(しわ)。ほんとはちょっぴりぬけてるのに、ちゃんとしようとしているところ。

 おそらく、神沢は受験勉強をしながらも巨大隕石について調べていたのだと思った。

 あぐらをかいたまま、ばたんと勢いよくベッドに倒れ込む。自分はなんて薄情なやつなんだ……

 きっと、神沢は私のために走ってきてくれた。

 私の願いを叶えるために。

 もう一度まぶたを閉じてしばらく静寂を待つ。

 すると暗闇で様々な神沢との思い出が、ゆっくりとぐるぐる駆け巡る。何となく最初の神沢を探した。


 魔女の猫からのお祭りの日……

 からの中学校の屋上。

 いや、小学生のときか。

 るるぽーとの宝石狩り。当時は認識していなかったけど。


「……あ」


 漏れた声と一緒にいつかの記憶がふいに蘇ってきた。

 メガネをかけた小学生の神沢が思い浮かんでから、記憶がまぶたから目玉の奥へ突然飛び込んできた。


 あの子……

 ——神沢だ。


 小学一年の一学期。休み時間の校庭。私はいじけて端っこにある木の陰で泣いていた。

 神社にまつわる竜の石があるとかないとかで、クラスの子たちと言い合いになったせいで。

 そのとき、そっと現れた男の子が優しく私を慰めてくれたのだった。


『大丈夫。石はあるよ。ぼくがきっと君が泣かなくていい世界にしてあげるから』


 あのとき、ありがとう、とくしゃりと笑う面影が、脳裏に焼き付いていた。私はおかしなことを言う男の子だと思っていた。

 そういえば、その頃の神沢は、病気がちな父親や家業のことが理由で、あまり学校の皆と馴染めないでいた、と小春から聞いた覚えがあった。


「——あ」


 もう一度小さく声が溢れた。

 私は、神沢がよく笑う理由を多分知っていた。

 神沢少年の気持ちを思うと、ぎゅっと胸の奥を締め付けるものがあった。と、同時に当時の自分の記憶も思い起こさせた。

 私は、ふっと息を吐いてから感情を鎮め、横向きに丸まっていた体勢を仰向けにしてから天井を見つめる。

 あの頃の天井は真っ黒だった。

 期待と希望に満ち溢れていた少女の前から『星が降る日には帰ってくる』と 一言だけ残して消えた父親。

 学校から帰宅するたびに、お父さんの部屋に向かい、ただいま、と言った。何日だろうか。

 毎日毎日、部屋で帰りを待った。


『お母さんっ。ひょっとしたらお父さん、どこかに隠れてるんじゃない?』


 次第に探すようになった、私。

 そして、何日か過ぎ、涙は枯れ果てて、寝転んでふと見上げた天井は、まるでバカげた自分をクレヨンで塗り潰したかのように真っ黒だった。

 ぼかしたアホ顔と涙を刺々(とげとげ)しく乱雑に書き殴った。芯が擦り消えるまで、何度も何度も。

 それから何日かは、バカみたいに笑顔を(つくろ)って過ごした。

 ひょっとしたら神沢も父親を亡くしたときは、同じような思いをしていたのかもしれない。

 孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ——byフリードリヒ・ニーチェ


 ——よし。


 私は天井に向かって拳を突き上げた。

 神沢が創造した未来に乗っかってやる。

 そう自分の心に言い聞かせた。

 上げた拳を見ていると次第におかしく思えてきて、吹き出して笑ってしまう。慌てて手を下げる。


 ちょっと格好つけすぎたか。


 今ならいける気がするんだよな……

 あの木に行けばいいんでしょ?


 星崎神社の。


 神沢のおじいさんが言っていた。

 その木の下に叡智とやらが埋まってるって——


 へへへと、思わず得意げに笑みが溢れた。

 何の根拠もないのだけれど、変な自信だけはあった。


 私——


 飛べるんだよね。

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