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44話 喉が枯れるまで

 あくる日は少しばかり夜更かしをしたせいか、遅めの朝を迎えた。昨夜の虫の大合唱に対し、ずいぶんと静かだった。

 今更だけど、虫って夜中鳴いてるんだな、などと考えながら一階のリビングに下りてみると、お母さんが忙しなく歩き回っていた。今日は結婚式場のバイトなのだと言う。社交辞令もままならないうちに、お母さんは家をあとにした。


 夢か? 昨日の嵐のような一日は。


 あれは、普段と何ら変わりのないお母さんだった。まだ、雑な波動? 電車が走り去ったあとのような余韻(よいん)が残る中、いつもの日常すぎて一瞬、記憶が飛んだ。

 テーブルの上にあったおにぎりを頬張りながら、昨日のメールを再度確認をして、初めて気がついた。約束の時間までに十分もないってことを。


 徳重図書館は、駅に隣接するショッピングモールの連絡通路と繋がっていて、ついでに買い物もできて便利だと思った。隣には区役所もあり近代的とでもいおうか。


「へー、きれいなんだねー」


 小春はメガネをキラキラさせて辺りを見回している。清潔感あるロビーでは、たくさんの人たちが椅子に座って本を読んでいた。

 小春に誘われて、朝早くから家を出た。

 私たちは落ち合う時間を決め、それぞれ自習室へと向かった。


「美幸の言ってた通りよかったね~」

 私は小春の声に合わさせて「よかったー」と言う。

 私たちは勉強を終え、ロビーにある自販機の長いソファに足を投げ出し、買った飲み物を気ままに飲んで、束の間の時間を過ごしていた。

 自習室は、一般的なフリーデスクに電気スタンドがあるだけだったけど、完全個室で思った以上に集中できた。何よりも自分と同じ境遇の受験生たちが、全ての個室で目をぎらつかせているのだと思うだけで心強かった。



 直通の通路から駅へと戻り、電車に乗る。一駅通過する程度の距離だけど、色々な人たちの表情を見ていると、さまざまなな人間模様が見え隠れして、勝手に考察して楽しんだ。

 地下鉄が目的地へと着いたのは、ほんとあっという間だった。



 暑いね。

 帰り道、小春は袖を捲り、手の平で顔をぱたぱたと仰ぐ仕草をしてそう言った。二人でからっと晴れ渡る空の下を歩く。

 暑さが和らぎ、すっかり秋色一色となったけれど、日中はまだ少し汗ばんだ。


 ——私は昨日の、ひかるの宝物の箱を思い返していた。


 箱には、お父さんのお気に入りの写真が保存されたアルバムも入っていた。私と快晴が0才からお父さんが消えた年までのものまで一通り。どれも微笑ましい写真ばかりだったけど、その中の一枚がどうやっても頭の中から離れなかった。

 今でもトラウマとなっている悪夢のような時間が甦ってくるのは、幼稚園に入園して初めて劇を披露した発表会の記憶だった。

 家族といるときは大声で笑ったり、いたずらをしたりと活発な女の子だったのに、私は人前に出ると臆病で弱虫だった。

 舞台へ出た瞬間の、あの視線。

 私は瞬間的に大勢の視線を手に取るように察してしまうのだった。

 そのあとは恐怖で身体が固まり、そのうえ泣き出したあげく、舞台の真ん中で何もできずに立ちすくんでしまった。只々、孤独だった。逃げ出すことも許されない。

 そのとき視線に映った目の前にいたお母さんの顔は、今でも覚えている。

 カメラを片手にしていた。たまらなく嫌だった。どうして皆と一緒のことができないの、と言われている気がした。

 隣のお父さんの顔は見ることができなかった。

 他の大人たちの顔も、ふつふつと思い浮かんできた。

 あの人たちは、初めこそ笑っていたけど、次第に見ぬ気もしなくなり、最終的には、そろそろうるさいよ、みたいな表情をするようになる。人間が怖いと思った。そして何もできない自分が悔しくて、また泣いた。


 この世から消えてしまいたかった——


 でも、そんな絶望のふちから手を差し伸べてくれたのが、小春だった。


『七ちゃんなら大丈夫っ』


 と優しく私の手を握り、背中を押してくれた。

 おかげで、私は歌うことができたのだった。

 もしかしたら、あのとき逃げ出していたのならば、私は一生、部屋の中に引きこもっていたのではないか、と思うことすらある。


「あの図書館、ちょいちょい使えそうだね」


 小春はにっこりと笑っている。

 小春には助けてもらってばかりだ。

 それもあって私はなるべく心配をかけたくないと思っていた。


 でも、それが逆に心配させてしまった?


 小春の表情を見て、そんなふうにも思う。

 ひょっとしたら、小春はいつも向き合おうとしてくれていたのに、私は逃げていたのかもしれない。過去の自分に怖気づいているだけで。


「どしたの?」


 声をかける前に声をかけられた。ちょっと前を歩く小春はそのままの足取りで振り向いた。

 何も知らない小春はにこやかだった。


「小春……」


 私はきっと不自然な笑みを浮かべているけど、小春は全く気にする素振りも見せずに、ん? と再び訊いた。

 なんだかちょっとだけ照れ臭かった。色なき風と赤とんぼに、そっと背中を押された気がする。私は口にこもった言葉を絞り出すように言った。


「いつもいろいろと、ありがとっ」


 小春は、一瞬きょとんと不思議そうな表情を見せたけど、「ほんと、どうしたん?」と立ち止まり、片方の拳を男まさりに突き出した。いつもの笑みを浮かべて。

 何それ、と私はこそばゆい鼻の下には触れずに、それを楽しむかのような顔をしている小春と拳を軽く合わせた。

 いつの日か、お互いが何者かになれたときにでも、小春の気持ちを根掘り葉掘り聞こう。私はそんな未来を想像していた。


 家に着くまでの道、私たちは必要以上にゆっくり歩いた。

 私は今までのことを話した。都市伝説的なことから、摩訶不思議なことまで。どん引きされる覚悟で全て。思うがままに。小春の気が済むまで。


 二人の喉が枯れるまで。

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