41話 死亡フラグ
コンビニの店の外側で雨を凌ぐこととした。
雨はずいぶんと小雨になってきたが、まだ止む気配はない。
「……最悪」
と、まるで虚空を刻む針に耳を傾けながら、私は思わず口にした。
ああ、喉が渇いた。
叫び散らしたせいだ。
でもお金を持ってきていない。
しかもスマホもないときた。
まじで終わってるわ……
断崖絶壁に追い詰められて、生死の選択を迫られている気分だ。
もう嫌。
意気消沈してしゃがみ込んだ。
——くそっ。
額に張り付いた髪の毛をつたって水滴が落ちていく。
——どうして? もっと早く知りたかった。
お父さんは死んでたって——
一粒一粒、ゆっくりと滴り落ちる水滴は、焦げついた心を冷ましていくようだった。
あの手紙には間違いなく、星宮ひかるは死亡した、と書いてあった。きっと死亡診断書みたいなやつだと思う。翻訳せずとも、その程度は理解できた。
ほんと、お先真っ暗だな……
このまま全て滅亡してしまえ。
一瞬にして目標を失ったことで、私は自暴自棄になっていく。
誰か、この世界線は何かの間違いなのだと言ってくれ——
しばらく、一定のリズムで落ちる滴が、途中で止まらないかな、などと馬鹿げた妄想を膨らませながら眺めた。
そして何人かコンビニを出入りしたときだった。
「あれ、ひょっとして七っ?」
声が聞こえて誰かが近寄ってきた。私は無条件で舌打ちをする。今の私に絡むと◯ぬよ⁈
「あー、やっぱ七じゃんっ。久しぶりじゃないっ?」
言われて顔を上げると、主はエリカだった。幼稚園からの友達。手にはコンビニで購入した傘を持っている。
私は、この状況下で天敵を引き寄せてしまった自分を恨んだ。
「七も傘ない感じ?」
まるでモデルみたいな装いだった。チェック柄のパンツ。水色のオーバーサイズのベストは今年トレンドアイテムで、きっとカジュアルなロンTとの合わせが今の流行りなのだろう。
私が、まあね、とだけ口にして、見るからに不快感を示したにもかかわらず、エリカは私の隣にきて膝を曲げた。
私は、こういうズケズケと土足で踏み込んでくる感じが昔から苦手だった。
「学校帰り? びしょ濡れじゃん」
余計なお世話だった。「まあ。そんなとこかな」と、私は存在感を可能な限り消して答える。
余裕かましやがって。
早く豪邸に帰えればいいのに。
私の頭の中は、下世話な言葉しか構築されない。
それでもエリカは気に留めることもなく話し始めた。
「そういえばさ。うちのママもバレーボール通いだしたんだよね」
「そうなんだ」
「こないだ見に行ったけど皆んな仲良いいんだね? 楽しそうだった」
「まあそうだね」
私は全くバレーボールにいて把握していないが、面倒だからそう答えた。
ふいに自転車が止まる音と馴染みのある声が聞こえた。「あっれー? 珍しい組み合わせ」
美幸だ。
自転車をコンビニの端に寄せると、サドルが濡れないように傘を開いたままのせて、美幸はエリカの横にしゃがみ込んだ。
真由ちゃんと一緒に図書館で勉強してからの帰りなのだという。「あそこの図書館穴場でさ、自習室みたいのが個室になってんだって」
「まじ? どこ? うちもテスト近いんだよねー」
「徳重」
この二人はSNSで頻繁にやり取りしている仲である。つい最近もエリカのセレブリティ投稿に美幸はいち早く反応していた。
どこかの南の国の楽園に行ったやつだったか。
「テストー? エリカの学校はいいよねー」
美幸はため息まじりにささやいた。「私立とか、まじうらやましいわー」
「あー。星中は受験かー」
エリカは悪びれる様子もなく口にした。
エリカの学校は、小中高一貫校である。
——ああ。
何だろ。この苦痛な時間は。
二人の会話ははっきりと耳で聞き取れているのに、私の意識はどこか違う空間にいるようだ。
時間の概念を感じられない。
もぬけの殻とはこういうことをいうんだな——
水の中に沈んだみたいに、聞こえてくる音が段々と靄がかっていく。
ああ……ヤドカリになりてぇ。
「……七海?」
美幸が私の名を呼ぶ。
何度か呼ばれていることはわかったけど、意識は遠く認識に少し時間がかかった。
「おい、どうした?」
私は美幸の方に顔を向け、大丈夫大丈夫と笑みを浮かべて親指を立てた。全てが不自然だったと思う。
さっき聞き流していた会話も徐々に構築させていく。
エリカはダンスレッスンがあると言って先に帰った。
「私もそろそろ行くわ」
私が言って立ち上がると、「行くか。雨止んだし」と美幸も腰を上げた。
またね、と互いに声をかけ合い、私は歩き始めた。
すると美幸の声がした。
「小春には隠し事なしでちゃんと話してやんなよ」
振り返ると美幸は心配そうな表情をしていた。「あんたたちそんな仲じゃないんだから、心配かけんな」
美幸は口調こそとげがあるけど、昔から友達思いだった。
ちょっとした優しさが伝わってきて嬉しかった。
「ありがと」
私は手を軽く上げ、コンビニをあとにする。
——ああ、これはただの嫉妬だな。
歩きながら思った。
エリカとは幼稚園でさまざまなことを競い合った。
勉強から運動、遊びに父親の格好良さまで。
ずっと、あのごく自然な口ぶりは、褒められることになれているからだと思っていた。私はただ単に、マウントを取られるのと、自分自身の負けん気の強さが、そうさせているのだと。
けど違う。
これはただの嫉妬だ。
エリカが立ち去る後ろ姿は、少しばかり大人びていた。
将来、芸能関係の仕事に携わるために真剣にレッスンを習っている、と言っていた。父、母共に厳しいのだとも。
父親がテレビ局のアナウンサーというのも関係しているのかもしれない。
ふと、お母さんが私立に通うメリットの一つとして、受験勉強に左右されることなく好きなことに打ち込める、と言っていたのを何となく思い出した。