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38話 カレー曜日

 また夢か。


 突然の雨の音で目を覚ました。

 最後は眠っている私の目の前に星が落ちる、という何とも後味の悪い結末だった。


 私は夢をよく見る。

 人よりも寝る回数も多い方なのだと思う。


 でも、ちぐはぐした内容はいつも曖昧(あいまい)で、後味が悪く、意味がわからなかった。

 起きてから、自分の都合の良いように再構築し、これまた都合の良いように納得だけするのだけど、三歩歩いたら忘れている。

 何か……何者かが……

 覚えていてもらっては困ると言わんばかりに。


 ——あ、でも。


 現実とリンクして、ふと思い出すようなことはあるか……ときどき。

 その夢もすぐに忘れてしまうのだけれど。


 雨粒は家中の窓を殴りつけるように叩いていた。


「今日はカレー曜日……」


 私は静かに呟き、ゆったりとベッドから身体を起こした。


 あれからというもの、自分なりにいろいろと思うことがあり、木曜日は私が夜ご飯の担当をしているのもその一環だった。

 

 とりあえず、

 すすめられたことは実行する。

 いまいちならやめてみる。

 また実行してみて、

 駄目だったらやめればいい。


 これらは、数少ない私の長所なのだと思っている。この実験体質な性格は父親譲りなのだろう。

 立ち上がると、階下から咆哮(ほうこう)が飛んできた。


「あとよろしくねーーっ」


 雨のせいで、ぼーっとしている頭には少しばかり(こた)える。「行ってきまーーすっ」

 ドアベルのあとに、玄関ドアが閉まった音が聞こえた。


 毎週、火、金曜日はバレーの練習日で、隔週、土、日曜日のどちらかは試合だった。バレーの日は決まって、お母さんの機嫌が良かった。声の波長でわかる。

 この容易に見透かせる単純さが、何故だか物心が付くにつれ、私の気に障るようになったのかは、いまだに不明なのだが。

 この人はきっと、どこかでこの代償を払うのだろう。

 部屋を出て階段を降りると、玄関に散らかった靴に視線がいった。


『性格は久納(くのう)家の血だから、ありゃあ変わらんよ』


 いつの日か耳にしたパピヨンの言葉が、ふと脳裏を過ぎった。

 そしてリビングに入り、こいつも同じ穴のムジナだな、と思う。

 もはや洗濯済か、前なのかさえ不明だった。

 快晴は、地べたにある洗濯物の山と、脱いだ服を巻き込むように横たわっていた。他にも、当然のように住所不定の細々した迷子らも虫けらのように散らばっていた。

 足の踏み場もないと思うのは私だけだろうか。

 メガネとドライヤーのプラグは、万が一を考えると危険な気もするけど、彼らにはお構い無しなのだと思う。きっと、無敵なのだろう。

 私にできることといえば、頭上にある扇風機が上手いこと倒れて正気を取り戻すことを願うばかりだ。



 食事を終え、勉強も一区切りついた。

 私は机に向かいながら身体を上に伸ばした。


 三度目のカレーライスは上出来だったと思う。

 野菜もしっかりと火が通っていた。料理をするにあたって、人参とジャガイモは曲者(くせもの)なのだということを知った。そのくせ、玉ねぎは火の通りが早いということも。


 ふらりと中二階の和室へ足を運ぶと、窓側の方に間仕切るように置かれた本棚の先から足が少しだけ見えた。

 私がちゃぶ台に向かって足を伸ばして座ると、声が聞こえる。


「そいや、こないだ剣道行ったんだって?」


 快晴が本棚の裏からひょこりと顔を出した。

 まあね、と軽くあしらい、私は自分のためになる本がないかと目で探すが、また快晴に遮られた。


「すみばあちゃん、大丈夫だったか?」

 きっと、ボケてないかと心配なのだろう。

「平気だったよ。地域の人たちとも仲良く楽しそうだったし」

「おう、それなら良かったわ」


 私も一緒だ。

 あれから、すみばあちゃんが言っていた言葉が、ずっと頭から離れなかった。

 新しい記憶は忘れやすいと言っていたから、ひょっとすれば、もう覚えていない可能性だってある。

 そんな中で、伝えたかったこと……


『感謝することかな』


 あの日、すみばあちゃんが言っていた言葉だけど、私には抽象的でわかりづらかった。

 友ちゃんにメールで訊いたその答えは、『とりあえず、ありがとう、と言う回数を増やせば、物事が好転する回数はおのずと増えるよ。素粒子は同じもの同士引き合う性質があるから』だった。


 それ以上は——さらに学術的な回答が続きそうだったから訊くのはやめた。


 ただ言われてみて、自分の素行はどうなのかと考えてみれば、感謝の、か、の字も意識をしていなかったように思えた。

 そこで試みた一つが、カレーだった。

 少しでもお母さんの負担を減らしてみようと考えたのだった。それによって家の中が少しでも片づくのであれば、私にとってはメリットの方が大きいし、後々は朝食も担当しようかとも思っていた。


 毎回あのくっちゃくちゃのキッチンに立つのは、時間的にも精神的にもしんどくて(かな)わん。


 そもそも、あの人に家事をやらせること自体ナンセンスなのだろう。やってみて思った。

 そろそろ、当たり前のように親が料理をする、という常識ってのも考えものなのかもしれないな……


「その本……」

 立ち上がった快晴が手に持っていた。

「ん? リザ・カスミール知ってんのか?」快晴は本棚に本を戻す。

「この前、会った」

 快晴は、はあ? と目を丸くして「何で?」と訊いた。

「なりゆきで」と、私の抽象的な返事に、追撃の様子は無さそうだ。

「快晴こそ何で?」

「何でって、おれは来年会うことになるんだから、最低限は踏まえておかないと駄目だろ」


 この人も私と同じ受験生なのだということをすっかり忘れていた。


「もし受からなかったら?」


 口にして、自分でも嫌な質問をしたと思った。


「そんなもん、終着点までの手段が変わるだけだろうが。(はく)のついた大学行けば年寄りたちは喜ぶだろうけど」


 私も、まあね、と追随の意思は示さなかった。


 わずか三歳しか違わないのに、ずいぶんと大人に見えた。

 今では人参とジャガイモみたいな扱いをしているけど、いつも追いかけていたのは自然にお兄ちゃんの背中であり、ちっちゃな頃から幾度(いくど)となく救われた思い出があった。


 快晴も、お父さんが居ないことで悩んだりしたのだろうか?


 兄という理由だけで、私にはそのような素振りを見せないようにしているのか。快晴の振る舞いはいつだって幼少時代から変わっていなかった。


 そのまま私の後ろを通り過ぎて行く快晴を待って、私も立ち上がった。そろそろお母さんが帰ってくる時間だった。


 すると、あーそうそう、と何かを思い出したように快晴は振り向いた。


「リザ・カスミールと友ちゃん。この二人、繋がってるからな」

「はあ? そうなん?」


 驚いた。そこも絡みがあるのかと。


「父さんが学生んときからの関係みたいだぜ」

「友ちゃんも研究者みたいな感じなの?」

「詳しくはわからんけど、自分で問題定義を掲げるの苦手だって言ってたから、頼まれると引き受けるみたいな感じだったんじゃん? 私は記憶することはできるけど、(ひらめ)かないって」


 そのあと、快晴は口を閉じ少し考え込んでから言った。


「だから星宮ひかるのファンなんだってよ」


 私は、そのほくそ笑んだ表情を目にし、お前もな、と思う。

 そして部屋を後にする快晴の背中に、心の中で小さく、ありがとう、と呟いてみた。

 試しに。



 ベッドの上であぐらをかき、黙想をした。

 これも試みの一つだった。

 寝る前に数分ほどのことで大層な口は利けないのだけど、このあとに布団に入ると不思議と落ち着く感じがあった。


 何ていうか……

 真ん中にいる感じが好きだった。

 感情の浮き沈みがないというべきか。


 そしてこのあとは電気を消して、仰向けに目をつむり、暗闇と向き合う……

 これは瞑想みたいな感じなのかもしれない。

 軽く息を吐いた。


 明日も学校だ……


 こんなことを自慢するのはおかしな話だけど、九月の始業式から休んでいなかった。

 正直なところ、一期一会みたいな言葉は苦手だったけど、小春以外の友達と話を試みるのも悪くはないのかもしれない、とは思った。

 近頃は、小春、美幸、真由ちゃんの四人で行動することが増えた。皆、それぞれ違った悩みを抱えているのだ。


 というのは建前で、神沢と会えるのを少し期待しているのだけなのかもしれないけど。

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