プロローグ
星崎町。名前の由来は隕石。
天地がにわかに震動し、海上が鳴り響き、数多くの星が雷のように光輝いた。
隕石が降ってきた様子は星崎町に鎮座する星崎神社の縁起書にも残こる。社説では六三二年、『七星が降り、神託があったので社を建てた』とされている——
生まれ育った星崎町の星降る伝説。これが頭をよぎると決まって思い出すことがある。
『星が降る日には帰ってくる』
と一言だけ残して消えたお父さん。
小学生になって初めての夏休みが過ぎ、色づいた草木が役目を終え始めた頃。あの後ろ姿——
どこか満たされない私の心は、出口の見えない暗闇を彷徨っていた。
ピコン。
ベッドの上に無造作に置かれたスマホが不快音を響かせ真っ暗闇の四角い空を照らした。
誰だ? 私の時間に干渉するのは。
天井を見上げたままスマホを裏返し、再び真っ暗闇へ身も心も捧げ一体化していく。
どいつもこいつも必死だ。
暇さえあればスマホ。暇さえなくともスマホ。皆、他人の目ばかり気にして、大人たちの作った常識に洗脳された意味のない価値観競争。
いいねを増やす方法? ふん、どうでもいいねをくれてやる。
常に繋がっている毎日。まるで狭いニワトリ小屋にぶち込まれて、互いに頭をつつくり合っているような日々。常に何ものかに見られている感覚。ウンザリだった。
きっと私たちはこのまま、ネットに蔓延る何者かに弄ばれ家畜になったこそすら気づくこともなく死んでいくのだと思う。
何だろう……
この追えば追うほど、何かを忘れてしまっていくような感覚は……
まるで私は、絶望した世界にたった一人だけ生き残ってしまった悲劇のヒロインだ。
……ああ、と、大きく息を吐くと、急に虚しくなった。
大した経験もないくせに、さもこの世の悲哀の全てを背負い、おまえは一体、何様なのだと自分に反吐が出た。
最悪……一人になりたい。
——反射的に身体を横にし膝を抱えながら丸まった。
このままだと涙が流れてしまいそうだった。
押し寄せてくる感情を懸命に押し殺し、何もない、真っ暗な天井を見つめ、意図もなく目の前を凝視する。目をつむり開いてみても、当然のように何も変化はない。何度、試しても同じだ。
ここには共感はなく創造のみが存在している……
何だか、賢者モードみたいになってきた。視界がずっと単色ので、頭がおかしくなったのかもしれない。おそらく、そうなのだろう。
ふと思った。今、何時だろ? と。
……はあ。しょーもな。
ため息混じりに言葉が漏れる。
「……一人か」
ここで、何故か思い立った私は、何となく創造を始めた。
キラキラと輝く流線的なスカートに、雪の結晶のモチーフをあしらったロングドレスを着用したプリンセス。キラキラ光る雪の結晶の模様が重なり合い、雪と氷に閉ざされた世界をロマンティックに演出して、魔法でちょちょいとやれば、輝く氷はのお城の完成だ。
そして——少しも寒くないわ、の決め台詞。
また、しょーもな、と大きく息が漏れる。人類は創造と破壊の繰り返しであ~る——
……バカか。
自分にあきれてぼんやりと目を開くと、部屋は変わらず暗いままで、カーテンからは朝日が差し込む気配はない。まだ朝にはほど遠いのだろう、と察した。
何度、寝返りを打っても変わらぬ景色に覚悟を決めた。
ニ度寝しよう。おそらく深い眠りは期待できないけど。一人投げやりに、あーあ、とつぶやいた。同時に魂も抜けそうになった。
そのときだった。
「……ん?」
ふと見渡すと、そうでもないな? と、またおかしなことを考え始めた。よくよく見ると、部屋の中は単色の黒ではないのかもしれない。灰色でもなく、墨汁色とでもいおうか。
何ともこの中途半端さが、今の自分のように思えて笑えた。冷たく刺すような空気も幾分かまともになった気もする。
——何だろ?
目が暗闇に慣れてきたのか、四方向からの圧を感じる。
……てか、ただの壁なのだけれど。
次第に、天井の存在も認識できるようになり、こりゃあ、黒の四角い箱の中に一人だなと思ったところで、スマホが鳴った。
そして、ばかやろう、とスマホを手にしてすぐに放る。
名前と通知の文面で、メールの内容は何となく把握できた。あと時間も。現在の時刻は二十二時だ。
——一瞬にして、私の頭上に感情が散らばった。
一人でいたいと思う自分もいるけど、一人ぼっちは嫌かもと思っている自分もいる。割れた太陽みたいに、自分でも何がなんだかわからなくなって、疑心暗鬼になった。
どっちの私が自分? 胸が締めつけられた。
皆、こんな矛盾を抱えて生きているのだろうか。
私だって皆から、いいねって言われたい。いつからだろう——
お父さんはいつ帰ってくるの? と、口にすることをやめたのは……
再び仰向けになった。ゆっくり目を閉じ、再び暗闇を求める。すっかり薄暗い天井にも目が慣れてきた。つむる前とさほど変化はなかった。……息が静かに奪われていく。
すると真ん中の方に少しモヤがかかっているものがあるような気がした。
何だろ? このモヤは。目についたゴミ?
月あかりだろうかと思うも、すぐにそれはないと確信した。カーテンはすでに確認済みだった。
再び窓に視界を移してから、目をつむった。その何かを必死に認識すればするほど眉の間あたりに力が入っていき、一点に意識が集まってくる感覚に陥る。段々と眉間にしわが寄ってくる。
……ちょっと力みすぎだな、と思い、一呼吸おいて楽にした。
——何となく白っぽくも見えるけど、徐々に紫と青が混ざったような色にも見える、と思えば黒い渦を巻いて突然真っ黒。
だめだ。
私のボキャブラリーでは言語化できない。すぐに諦めた。
と同時に、さっきまであれこれ考え悩んでいたことも、もうどうでもよくなってきた。呼吸の感覚さえも定かでなかった。
『こらー。快晴、七海、落ち着けー。深呼吸しろー』
これはお父さんの口癖。何度も聞いた台詞だ。
気持ちが行き先を見失い、世間の人たちがいう、おそらく間違っているだろうと思われる方向に一歩踏み入れると、決まってこの言葉が聞こえてくる。
優しい光と懐かしい思い出と共に。
私は、白く清くいたいと思うも、本当の自分は残虐で真っ黒なのかもしれないと、思うことがある。
もし地球上の何もかもを破壊する力を得ようものならば、私は悪魔にだって心を売り渡してしまうかもしれない。
空高く舞い上がり、高らかに笑い、凄まじい破壊力の闇の魔法を乱発し、次々と街を塵にしていく自分を創造したが、決して気持ちのいいもんでもなかった。
ここで、また疑心暗鬼になった。破滅に孤独と失望。そして今、世間で流行りの絶望か。
——ん?
心底、自分のことを面倒なヤツだと思ったとき、疑問が湧いた。
絶望を通り越すと何がある? 通り越すとどうなるのだろうか?
また、おかしなことを考え出した私は、しばらく絶望の先について考えるが、答えは何も出てこなかった。気持ちが右往左往するだけだ。この痒いところをかけない、この感じ……
あああああー、という言葉にならない声が出て、頭が沸騰したところで、両手両足を広げてバタンとした。
そろそろ正気に戻らねば。このままでは普通の生活に支障が出る。
そう思っていると、私の脳も、さすがに自制心が働いたのだろう。お父さんの記憶が頭の中を駆け巡ってきた。一つ小さく息を吐き、頭の中のお父さんを探す。
……お父さんはいつも優しく笑っていた。
思い返すと、ふっと思わず笑ってしまう。
あれは確か、私が幼稚園の年中くらいだった頃で、
兄の快晴は三才上だから小学生なったばかりだと思う。二人して変な歌を歌って踊るは家中走り回るはで、はちゃめちゃしていた。鼻くその歌。うんこの歌。おしっこもあったか。そんなお年頃の時期だ。
この歌が始まると決まって事件は起こり、快晴は猪のように走り回り、つられて私は小猪と化し、そして制御不能に陥った兄猪と小猪は激しく激突し、小猪は物凄い勢いで吹っ飛ばされ壁に衝突した後に大きな音と共に号泣する。
ほんとろくなもんじゃなかった。
当時できた頭のタンコブは今でもあるような気さえしている。本当に痛かったからよく覚えていた。快晴め……
「あ……」
この頃からかもしれない。お父さんのご教授がお約束になったのは。私はベッドから身を起こす。
この日を境に、家の中がテーマパークみたいになると決まって、落ちつけ、とあぐらをかかされていた。
今思うと、未然に事故を防いでたのかもしれないけど。
ふっ。
笑いを堪えきれなかった。二人横並びであぐらをかかされてる記憶が思い浮かんだ。
*****
『……よーし。目を閉じてー。吸ってー』
隣で快晴は、くすくすと笑っている。
『こらー。快晴ふざけるなー』
私もつられて笑ってしまう。お父さんも半分笑っている。
『二人ともー、深呼吸しろー』
思い返すと、快晴とはいつも一緒だった。お父さんも。
お父さんはどこへ行ったの? と、幼い私は問いかける。
すると、お父さんの声が聞こえた。
いいぞー その調子その調子
大きく吸ってー ゆっくりと吐くー
どうだー? 広がってるだろー?
なーんにもない 無限が——
快晴、七海。
おまえたちは自由だっ……
*****
——言葉と共に強い光が迫ってきて、私は目を見開いた。
そして、渾身の息を吐き出し、過去を回想し、ベッドの上であぐらをかいてから、ゆっくりと目をつむる。
そのままお追いかけたお父さんの言葉は、心地が良い。吸って、吐いて、と繰り返す声が優しく響く。
ここからは完璧な沈黙の中で呼吸のみを探すのだ。
呼吸を整えて、肺いっぱいに空気を入れ込み、ゆっくりと吐き出していくと、徐々に広い海の底へと沈み、軽い耳鳴りは、寝る前にスマホでよく流すヒーリングミュージックみたいに変化して、柔らかい音に心を委ねると、いつのまにかお尻と布団との感覚もなくなっていて、もはや呼吸の概念もなくなっていく。
——きたな。
ここで再びモヤが登場。今回は淡いピンク色で、小さくなったり大きくなったり、と思いきや突然、眼の奥に吸い寄せられるように飛び込んでくる。
私は、困ったもんだとあきれた。どうやら、こいつは自分の意志で消したりできるものではないらしい。
これは、しばらく観察してわかったことだった。
——でも、幾分か深く沈むと、身体の感覚さえもなくなっていき、破天荒だったモヤの存在も気にならなくなるから不思議だ。
個体が溶けていくとでもいうのだろうか。恐怖はない。ふわふわした感じ。沈んできたな、と思うと、いつのまにか今度は泡にでもなったかのように、ぷかぷか浮いて、ここに意識はあるけど、他には意識はない。
自分……人間、いや個体じゃなくて。もっと分解して別のなにか……細胞から原子というのだろうか。波動が波のようにゆれて、光の粒子へとなっていくような。
この次元では人間という概念はないのかもしれない。ちょっと気を抜くと一気に別次元へ飛び出して行ってしまいそうだった。
徐々に意識が遠のいていく。そして思う。
ああ。
ひょっとしたら、この先に自由ってやつがあるのかもしれない……