14話 小春ん家
「小春の家行ってくるー」
「ちょっと、あんたお祭りどうすんのー?」
「帰ったら教えるーー」
慌ただしく家を出た。明日は星崎神社のお祭りだった。
今年は大人しくしていようかと思っていたのだけど、
「はあー生き返るーー」
私はちゃっかり小春の様子を伺いにきていた。
「またあ~。出た七の大袈裟。まあ、今年はずっとクーラーつけぱなしだけどねー」
いっとき外に出ただけでこの有様だ。お盆も終わって、暦の上では秋が始まっているというのに外は灼熱地獄と化していた。
「今年、暑すぎじゃん? 毎年こんな暑かったっけ?」
私は中央の丸テーブルに遠慮なく座って足を伸ばし、天井を見上げるように反り返った。
首の後ろが気持ちいい。あー、とだらしが無い声が溢れた。
勉強は机に向かってするなんて、いったい誰が言い出したんだ。勉強のやりすぎで鉛のように固まってしまい、いい加減身体中が悲鳴を上げていた。
「七、これ使って」クマの座布団だ。
思わず、可愛いー、と少女みたいな声が出た。
私は薄いピンク色で、小春のはグリーン色。この座布団は初めて目にした。きっと新しく買った物だ。小春は向かい合って腰を下ろす。
「お祭りだよねー?」
座布団にお尻がつく間もなく、小春は話を切り出した。
顔を見合わせてから、すぐにお互いの情況を察する。
……まあ、お祭りの前日にここにいる時点で必然的ではあったのだけれども。
よし決まり。
私は右往左往なく立ち上がった。「ちょこっと顔出しますかっ」
「よし、決まり!」
小春は応えてテンポ良く手を叩く。
こんな調子になるのも長年連れ添っている親友だからこそなせるわざである。
「快くんの応援もしなきゃだしね」
「まあね。今日も夜まで山車の準備するって言ってた」私は腰を下ろした。
「あー、おじいちゃんも言ってたかも。去年出来なかった分、皆んな気合入ってるみたい」
「気合入ってる重さんとか、やばっ」
私は思わず、ぷっ、と吹きだして笑った。
田中重松。元海軍所属。九州男児。
鼻の下のちょび髭がトレードマークで、常に赤やら黒のスパンコールの服を着用している。移動はもっぱら原付のスーパーカブ。ボディは海に因んで自分で塗ったという青。
あと一文字『蘭』て漢字が描いてあった。
私は、昔のアイドルか何かだと思っていたけど、実のところ、『走る』と、英語のRUN、がかかってるのでは? という噂もあった。
そして、重さんは私の笑いのツボでもある。
「あの原付まだ乗ってるのー?」
「乗ってるー。ほんと恥ずかしいからやめてほしい」
小春は呆れた顔をする。
「まー、事故とかしなきゃいいけどねー。歳も歳だから」
「ほんとそれ」
小春は言葉を捨てるように言ってから「この前なんか寝ぼけて煎餅食べてたら、袋に入ってる乾燥剤食べちゃったんだからっ」
とさらに呆れた顔をした。
「まじっ?」
本来なら笑ってはいけない話なのだろうけれど、私は笑ってしまった。
「もー七ー、笑いごとじゃないんだからー。ほんと大変なんだって。今日もドアに指挟んで爪が割れたーって大騒ぎしてたし」
「やば。それで祭りの準備行ったの?」
「行った行った。マニキュアで接着して、よし、大丈夫や! とかなんとか言って出てった。ラメのマニキュアつけて」
「やっぱ重さん最高だわ」
私は手を叩いて笑った。私は重さんにどハマりしている。
そのとき、コンコン、とドアを叩く音がした。
「盛り上がってるわねー。飲み物とお菓子持ってきたわよー」
小春のお母さん、可奈さんだ。手にしたカフェ風の木製トレーには飲みものとクッキーだろうか。
この香り、クッキーは焼きたてだ。すぐにわかった。絶対に美味しいやつ。おいしそ~、と私のよそ行きの声が漏れた。
可奈さんはトレーごと私の前に置く。テーブルの上からはらコップに注がれたアイスティーにストローがささると氷がカランとした。
可奈さんはほっそりとしていて、面長の顔立ちに、眼鏡がよく似合った。ピアノの先生だからか手が細長くて綺麗に見えた。
「で、明日は決まり?」可奈さんはたわやかな声で言った。
「行くことにした」
小春は少し煙たそうだった。
そのとき私は頭の中で、そうだったと、つぶやいた。可奈さんとうちの母は、ツーツーなのだということを思い出した。全て筒抜けだから下手なことを口にするのは厳禁である。
「あらそう。浴衣はどうするの?」
「もー、あとで話すからあっち行って!」
小春は不快感を隠さなかった。
「あらあら、恐いわねー」可奈さんは怪訝な顔をしてから「七海ちゃん、ゆっくりしてってね~」と、私にニッコリして部屋をあとにした。
コトンとドアを閉める聞こえるか聞こえないくらいの優しい音を耳にして、星宮家との違いをまざまざと感じた。
この所作だけで可奈さんの性格がわかった。
うちの母とは真逆で羨ましい反面、小春を蔓延るオーラに、どこの家もこんな感じなんだな、とも思った。それが何かは私には想像もつかないことだけれど。
「あーごめん。七、食べて食べてっ」
小春はおもむろに立ち上がりカーテンと窓を気持ち程度開けた。すると部屋はもう一段階明るくなり、心中のわだかまりも雲散していく気がした。
窓の外に目をやると、星宮家の庭の木たちがジャングルみたいに茂っている。「そろそろ庭の草む——」と出かけた言葉に蓋をして、私はアイスティーを飲んで、一瞬、電気が走ったような悪寒を相殺した。
——あ、それともう一つ。
「最近やたら黒猫が来るんだけど、小春のところにも来る?」
「黒猫?」
「そうそう」
「来るって部屋に?」
小春はクッキーを口に運び「てか、二階まで上がってくるってこと?」と目を丸くする。
「来るんだってっ、ふてぶてしい魔女の猫がミャオって」
「なにその魔女の猫って」小春は笑い、うちにはきてないかな、と首を傾げた。
「まじかー……」
てっきり小春の家にもきているものだと思っていたから、少し拍子抜けした。
二人で、ずずず、とアイスティーを吸う……
魔女の猫は私の家だけに?
しばらく沈黙が部屋に流れて、小春と目が合った。
「ひょっとして昔からこの地域に住み着いてる猫のことかなあー?」
私の頭の引き出しにはないワードだった。それらしい話も思い浮かばなかった。ひとまずクッキーを一口かじった。
「おいしっ!」一瞬、魔女の猫はどうでもよくなるくらい感激する。
香ばしくて手づくりの素朴な味が感慨深い。
「この地域の家を渡り歩いて生活してる野良猫がいるって聞いたことがある。しかも黒猫。おじいちゃんが言ってたかな」
そう言って小春もクッキーで口をもぐもぐさせる。
「昔って?」
「幼稚園に通ってた頃かな」
見当もつかない話だけど、魔女の猫は昔から星崎町のご当地猫なのだということは判明した。
私は「じゃソイツだな」とテキトーに言うけど、クッキーを口に含みすぎてて上手く言えてない。
「入れすぎやアホたん」小春はそうツッコんで、笑いながら、早く飲みな、と言う。
促されるままに、私はアイスティーを口の中に流し込んだ。
死線を越えると、キラリとしたものが目に留まった。
「それって……」
クリーム色にピンクの水玉のカーテンと、いかにも女の子といったような可愛い小物や小さなウサギとかクマちゃんの人形がたくさん並んだ中に、パワーストーンが輝いて見えた。白いお皿いっぱいに敷き詰められている。
「あー。最近出てきて、懐かしいなって思ったら、つい飾っちゃった」
小春は、へへと照れくさそうに笑い「七との思い出もあるしね」とも付け足す。
私は小春の両手を手にして目をウルウルとさせた。「親友ーー」
何があっても私は小春の見方だと再認識する。
もーお、と手をほどいてから小春は「大袈裟なんだから」と、今度は照れを隠すようにストローを口にした。
「宝石狩り覚えてる?」小春はまだストローをくわえたままだ。
「この前、るるぽーとでイベントやっててさー。ちょーど思い出してたとこ」
「そなん? 奇遇。一緒一緒、私もっ」
小春の表情がパッと明るくなった。「めっちゃ暑かったよねー 」
「ほんとそれ」
「わたしと七は黄鉄鉱で、快くんは恐竜の化石だっけ?」
「うんちだけどね」二人して笑った。
「神沢くんはコンドライトだよね?」
うん、と私はうなずいてから、最後の一口のクッキーを口に入れ、顔の力が一気になくなった。「おいひぃ~」
「あと望遠鏡ももらってたよね? 神沢くん」
私は、ふう~ん、とそれとなく聞き流してはみるものの、ここで初めて小春の話題について考察を始める。
「てか、何で神沢?」私は突拍子もなく訊く。
「ん? 違うん?」
小春は不思議そうな顔をして「てっきりそうだと思ってたけど」と、私を見た。
言っていることが全くわからなかった。同じ学校の神沢飛月のことだというのは間違いなさそうだけど。どいうことだろうか……
この前、屋上で会ったあとに、何かあったっけ?
「だから宝石狩りの話してんだと思ってた」
小春は言うけど、ますます意味がわからなかった。しばらく私の時間が流れる——。
「なに? ひょっとして七、覚えてないん?」
また小春と目が合った。「あの宝石狩りに神沢くんいたこと」
「まじ?」
覚えてないとかではなくて知らないんだけど。記憶喪失か?
「いたじゃん。あの頃は神沢くん眼鏡かけてたけど。七の家の人と交流なかったっけ?」
「あーー!」
眼鏡でピンときた。それで望遠鏡か。「眼鏡かけてた男の子──」
私は慌てて前のめりになり小春の目を覗き込んだ。
「まじか! あのオタク神沢飛月なん?」
「おい、知らなかったんか~い」
小春はおもしろおかしく言って「こっちがびっくりだわ」と心底驚いている。「あのあと、うちのお父さんと神沢くんのお母さん挨拶してたし」とも言った。
ぜんぜん知らなかった。
覚えた歴史の教科書が今になって覆された気分だな——。