9 設備一括譲渡
一週間後、結果は自分の手を見ればすぐにわかった。傷は跡形もなく消え、怪我を負った右手は左手以上につややかに、触れば柔らかで、まるで生まれたての赤ちゃんの肌のようだった。
「あーあ、全部あげるんじゃなかった…。左手の分を置いておけば良かったわ」
そう言いながらも、フレデリカは満足そうに笑っていた。
王家からも使者が訪れ、報告と礼金を受け取った。無事解決、と思いきや…。
五日後、フレデリカの店にフィリッポ王子が訪ねてきた。できれば一生会いたくない人物の一人だ。
「父上から、おまえに謝ってこいと言われた」
謝る前に誰かから言われたという時点で、謝る気がないのは明らかだ。
「王妃様には謝られました?」
「…」
一番謝らなければいけない人にさえ謝ってないらしい。
「俺が母上に渡したんじゃないし。…そもそも、おまえの説明が下手なのだ。だから今回のような事故が起こった」
謝りに来たと言いながら責任をなすりつけるフィリッポの態度に、フレデリカはこんな男と話をする時間が惜しいとくっきりと眉間にしわを寄せたが、それにも気付かず、さらにフィリッポは
「城に来て、魔法使い達を指導しろ。それなりの指導料は払う」
と言ってきた。
「…諦めたらどうですか? 薬師が苦労して身につけた技術を、話を聞いてちょっと見学したら再現できると思うその根性をお直しにならないと」
「なにい?」
フィリッポは拳を作ったが、振り上げることなくぐっとこらえた。
「今、アデーレは牢にいる。それなりの功績を挙げなければ、アデーレ共々国から追放すると言われているのだ。おまえのあれなら父も母も認めているものだ。あれを作れるようになり、王家に利を与えることで、父や母を納得させたい」
「作れるように、ね」
はぁ、と溜息をついた後、フレデリカは薬屋の室内を見回した。
あのシートの作製は手順を考えるだけでも大変で、実験を繰り返し、いろいろ苦労したものだ。一応完成はし、それなりに満足している。少し目立ち過ぎてきたところだし、…まあ、いいだろう。
「…わかりました。では、ここと裏の小屋、隣の屋敷を合わせて金貨千枚でお譲りしましょう」
「千枚?」
「もちろん、今飼っているスライム達も全てお譲りします。…いかがです? 育てる環境もそろっていますし、今更城内で一から飼育環境を作り直すより、よっぽど手っ取り早いと思いますが」
その申し出に、フィリッポはぱあっと明るい笑顔を見せた。
「本当に千枚でいいんだな??」
「ええ」
「わかった! では明日書類と共に金を持ってくる。いいか、違えるんじゃないぞ!」
具体的な話を詰めることもなく、フィリッポはるんるん気分で店を飛び出し、帰って行った。
フィリッポを乗せた馬車が視界から見えなくなると、すぐにフレデリカは荷造りを始めた。
出かけていたジョシュアが戻ってきて、せっせと荷物をまとめるフレデリカを見て
「ここも駄目か…」
とぼそりとつぶやいた。
「一年よ。結構持った方じゃない?」
「せっかく薬屋も軌道に乗ってきたというのに。…ここはどうするんだ?」
「あのあほ王子が買い取ってくれるって。金貨千枚で」
「…安すぎるだろ」
「元は廃墟だったんだもの。多少手は加えたけれど」
服もさほど多くなく、薬を作る道具や本、調理器具や食器をまとめても馬車一台分もないほどの荷物だ。ここの暮らしで増えた物はさほどない。来た時と変わらず気ままに来て、気ままに去るだけだ。
「スライムはどうするんだ」
「お世話してくれるらしいわよ。ここで」
「あいつらが? できるわけないだろ!!」
「損はさせてないわよ。今いるスライムを売れば、金貨千枚くらいにはなるはずよ? 何てったって、この私が手塩にかけて育てたんだから。薬草を育てて、毎日新鮮な泉の水を汲み上げて聖水にして…。久々にやりがいがあったわ。スライム達ったら傷も毒も瘴気まで貪欲に食べちゃうんだもの。あんなに治りがいいなんて予想以上。美容の効果はちょっと余計なくらいだったけど」
楽しい魔物の実験である程度の成果を得て、フレデリカは充分満足していた。
「…この国の連中ももったいないことをしたな。おまえがここに定住したら、ずっとあのスライムのシートを手に入れられたってのに…」
「あら、あの施設を使えばまだまだ育てられるわよ」
いかにも簡単そうにフレデリカは言ったが、ジョシュアは知っていた。こんな施設、大魔女フレイ以外に扱える者などいないことを。
「…わざと言わなかったくせに。あのスライムが食ってた薬草がどれくらい稀少なもんかも、浴槽を満たしている水が聖水で遠慮なくかけ流しているのも、あのスライムを切る包丁の素材も…」
しゃべりながらも、ジョシュアもさっさと自分の荷物をまとめ始めた。気まぐれな魔女が引っ越すと決めた以上、明日には引っ越しだ。