6 王子一行見学
翌日、フィリッポ王子とアデーレは魔法使い二人を伴ってフレデリカの店を訪れた。
今日はジョシュアもいる。アデーレはジョシュアに目を奪われていたが、フィリッポの手前、チラ見程度に控えている。後ろにいる侍女も熱い視線を向けているが、当の本人はフィリッポから目を離すことなく警戒している。
「このような街の薬屋まで足をお運びいただきまして。早速ですが、まずはペンダントをお返しいただけますか?」
フレデリカは手を伸ばしたが、アデーレがフィリッポに肘打ちした。
「あ、あれは案内が終わってからだ。隠し事をすると戻さないから、そのつもりでいろ」
これは言いがかりをつけて没収する気満々だな、とフレデリカは思ったが、挨拶もそこそこに、早速裏にある小屋に一行を連れて行った。狭い小屋なので護衛や侍女は外で待っていてもらうことにした。
小屋の中には複数のゲージが置かれ、所狭しとスライムが飼われていた。
「す、スライム…」
「これが材料になります」
「わ、私、スライムを顔に…」
アデーレは顔を青くし、同行していた魔法使いも驚いていた。よもや魔物を飼っているとは思わなかったようだ。
「この子達を驚かせないように、魔法使いの方の人数を制限させていただきました。ここでは新鮮な草だけを食べさせ、できるだけ体から瘴気や魔力を抜いています。ここでの飼育期間は個体により異なりますが、頃合いを見て、…これくらい?」
フレデリカは一匹のスライムを素手でつかんだ。途端に周囲から悲鳴が湧き上がったが、フレデリカの手は溶けることもなく、スライムはスリスリとフレデリカに擦り寄っていた。それを見た魔法使いは卒倒しそうになり、ジョシュアは甘えるスライムにキリリと歯噛みした。
スライムを片腕に抱きかかえたままフレデリカはドアを開けた。
「では、次の処理にご案内しましょう」
外にいた護衛達も魔物を素手で持ち運ぶ非常識さに小さく悲鳴を上げたが、青ざめる一行の後ろについて行った。
すぐ隣に貴族の別荘だったと思われる廃墟があり、その中を進むと家の奥に噴水のある広い浴場があった。抱えていたスライムを離すと、スライムは浴槽に張られた水に飛び込み、ゆっくりと自分の重みに任せて沈んでいき、水底でじっとおとなしくしていた。
浴槽の中もスライムだらけだった。色の濃いものもいれば薄いものもいて、青いものが多かったが、ちょっと色目の違うものもいた。大きさも様々だ。フレデリカが草を投げ入れると、スライムたちは池の魚のようにビチビチと跳ねながら草を奪い合った。ひときわ色の濃い新入りは、流れ着いてきた葉っぱを他のスライムと引っ張り合いながら食んでいた。
「ここで透明になるまで飼育します。水は常に新鮮なものを循環させ、食事はここでも草だけです」
フレデリカは引き寄せられるように近づいてきた透明なスライム達を一なですると、すぐ隣にある小さな浴槽に移動した。
そこは一見何も無いように見えたが、時々キラキラと虹色の影が移動し、目を凝らせば透明なスライムがいることがわかった。
「ここで二日間絶食させれば、素材は完成です」
その浴槽にフレデリカは両手を突っ込み、一匹のスライムを素早くつかみ上げた。スライムは何かを感じたのかジタバタと暴れ、溶解液を吹きかけた。フレデリカの腕やその周りに飛び散ったが、フレデリカの腕が溶けることはなかった。
スライムはそのまま近くの台の木の板の上に置かれ、フレデリカの手には包丁が握られていた。
「後は切るだけです。120度の角度で、素早くカットします」
雑魚と言われようが魔物のスライムに躊躇することなく包丁を振り下ろした。ギュルルルルルという耳につく断末魔のような音が途絶えるとピタリと動かなくなり、素早い動きの包丁があの分厚いスライムをいとも簡単に、等間隔にスライスしていった。
台の上にある棚には空の壺がいくつも置かれていた。壺を手に取ると、フレデリカは小さな浴槽の水で中を洗い、スライスされたスライムを素早く壺の中に入れ、蓋をした。
「蓋のある清潔な容器に入れて、おしまいです。以上が作り方になります」
振り返ったフレデリカはフィリッポに手を伸ばした。
「お約束通り、ネックレスをお返しいただけますね?」
「あ、ああ…」
王子は胸の内側のポケットに手を入れたが、つかさずアデーレが
「まだよ。これが本物かどうかわからないじゃない」
と明らかに言いがかりをつけてきた。王子は、
「それもそうだな」
と簡単に同意し、手を引っ込めた。その瞬間フレデリカは無表情になり、壺の蓋を開けると中の一枚をつかみ取り、アデーレの顔に向かって投げた。
作りたてのシートは生温かくべたついたが、それが癖になりそうなほど心地よく、思わず目を閉じて感触に浸っていたが、いきなり顔を鷲づかみするように剥ぎ取られた。
「これでもまだお疑いになると言うのなら、さすがの私もそろそろ我慢の限界かと…」
フレデリカの手の中のスライムの破片が、まるで油を浸していたかのように一気に燃え上がった。その場にいた誰もが魔法を発動する気配にも気付かなかった。
「わ、わかった! これは返す!」
フィリッポはすぐにペンダントを取り出すと、汚れた物でも手放すかのようにフレデリカに向けて放り投げた。フレデリカから大きくそれたペンダントが地面につく前にジョシュアがつかみ取り、鋭い目で王子を睨みつけた。
炎は消え、シートが燃え尽きた後には何も残らず、フレデリカの手にはシートの名残も火傷の跡もなかった。
火が収まってようやく我に返ったかのように、王子の護衛が
「不敬だぞ!」
と叫んで剣を抜こうとしたが、ジョシュアが先に反応したのを見て、フレデリカは剣を抜きかけたジョシュアの右手に手を添えた。
「ごめんなさいね。人の大切な物の扱い方も知らないような方への敬意の払い方なんて、教わってないもので」
フレデリカは口角を上げていたが、目は凍り付きそうなほど冷たく光っていた。
「…約束は果たしました。お引き取りを」
王子だけでなく、アデーレも魔法使いも護衛までもが言い得ぬ恐怖を感じてすくみ上がり、逃げるように帰って行った。
「あれの作り方をあんな連中に教えなくても…。殺しておかなくてよかったのか?」
ジョシュアは怒りを発散できず不機嫌だったが、フレデリカはジョシュアの剣の柄を押し、2センチほど鞘から見えていた刀身を鞘に収めた。刀身からにじみ出ていた黒い煙のような瘴気も鞘の中に収まった。
「いいのよ。まあ、自分たちでやってみればわかるでしょうから。…疲れたわね。お茶にしましょう」