5.2日目
「…よし。」
あたしはGフォンを、扉横の機械にかざす。そこまでかなりの時間が掛かった。外へ出ようと準備をし始めた時から異変は感じていた。
…手が震え、力が入らない。
それはまるで、前に進もうとする自分の意思に反して、ここに留まらせようとしているようだった。
体は正直だ。頭では色々整理をつけた気になっていたが、体は恐怖に支配されている気分だ。
きっと、まだ心の方も恐怖が蔓延しているのだろう。
だけど、それに従ってしまえば、きっと二度と立ち上がれなくなる。
あたしは顔を何度も叩くことで、恐怖をごまかした。
何度もやっていたため、頬が熱い。きっと赤く腫れあがっているだろう。
ピッと機械音と一緒に扉が開く。
…さあ、行こう。
周囲を見渡し、誰もいないことを確認し外へと踏み出した。
外に出て、一番最初にやることは決まっていた。
昨日、見捨ててしまった彼がどうなったか…その確認だ。
昨日、彼がいた場所まで一本道になっている為、扉を開けた時点で、遺体がないことはすぐに分かった。
もしかしたらあの後なんとか移動したのかもしれない。そう思い近づいていく。
何事もなく、最後に彼を見た場所へとたどり着く。
彼の遺体はなかった。なかったが…
「うっ…!なにこれ…」
遺体があったと思われる場所には、おびただしい乾いた血の跡。
それだけでなく、周りにもまき散らすように血が散乱している。
乾いた血に混じり、ピンク色の物体が至る所に転がっており、悪臭を放っている。
…そして、それらが小さなことだと思えるものがそこにはあった。
何かが引っ掻いた…爪痕のような跡がいくつもついているのだ。
自分の腕よりも大きな傷。まるで、大きな獣が地面を抉り取ったようにも見える。
それを裏付けるように、傷跡に沿って血の跡とピンクの物体…肉片が散っているように見える。
…昨日ここを通った時にはこんな傷はなかった。
襲われていたせいで、見落とした可能性も確かにあるが、これほどの傷跡があって気付けなかったとは思えない。それに、前からあったのだとしたら、血の跡の残り方が不自然だ。
そう考えるとやっぱり、昨日あたしがセーフルームに入った後に、何かがあった。
どうしてこんなことに?
昨日の彼が付けたとは思えない。だとしたらいったい誰が?
…昨日見た、人型の怪物がこの傷をつけた?その可能性もあるが、別の考えが浮かんでいた。
怪物は他にもいる。
考えたくないが、これが一番可能性がある考えだと思う。
人型の怪物ではなく、獣型の怪物が傷を付けた。…何のために?
…昨日ここにあったものは…彼の死体だ。
そして、今はそれが無くなっている。…それはつまり…
「なにをそんなに一生懸命見てるの…?」
「ひょえっ?!」
突然背後から話しかけられ、変な声が出た。恥ずかしさで顔が熱い…きっと赤くなっているのだろう。
振り返り声の主を見る。そこにいたのは銀髪の女性。
整った顔立ちをしており、どこか大人びた印象を受ける。おそらくあたしよりも年上だ。
ただ…
「……」
メガネをかけた眠そうな目でジャージにスカート、首にはヘッドホンを付けている。
髪はぼさぼさで、顔立ちとのギャップのせいか気が抜けてしまう。
…欠伸してる…緊張感がない人だ。
それと。タブレットPCを持っているけれど、ネットが繋がるとは思えない。もしかして、武器の代わりだろうか?
…本当に、よくわからない人だ。
「なに?そんなに見つめられると照れるんだけど。」
「いやそんな無表情で言われても…。」
見た目だけでなく、言動まで変わっているようだ。
これ以上混乱する前に、自己紹介をしておく。
「えーっとあたしは神代 結です。あなたは?」
「栄華、よろしく…。」
「え、はい…。よろしく…お願いします…。」
そっけない。でも、昨日みたいに敵意を向けられる感じはしない。
…おそらく、単純に面倒なのだろう。会話している間ずっと、視線はタブレットの方を向いているせいかそう感じてしまう。
けど、悪意を持っているわけではないと思う。…興味も持ってないかもしれないけれど…
でももしかしたら、一緒に行動できるかもしれない。こんな人でも、一人よりは心強いだろう。
「それで、なにしてたの?血の跡ずっと見て。」
「えっと、少し気になることがあったので見ていたんです。」
「そう…。」
「えっと、ほら血の周りに引っ掻き傷みたいなのがありますよね?もしかしたら大きな動物がいるんじゃないかな~って思いまして。」
「ふーん、それだけ?」
「う…そ、そうですね…。それだけです…」
本当に会話が弾まない。
どうにか誘う流れに持っていこうとするが、そこまで会話が続かない。
…それに、さっきから気になっていることがある。
なにかこちらを探っているような気がする。
「他に気になっていることがあるんじゃない?」
「え?いや…まあ今のところはないですけど…。」
「そう?例えば…。」
その考えは、次の言葉で確信に変わった。
「昨日撃った人がどうなったとか。」
空気が凍り付く。
全身の血の気が引いて、寒気がしてくる。口が乾き、言葉がうまく出ない。
さっきまでは気の抜けた人としか思ってなかった。けど、今は違う。
悪意を感じなかった彼女に対して、胸の内から感情があふれて警告を発している。
あたしが行ってしまった、知られたくないことを知られた恐怖。
…そして、そのことを知っているにもかかわらず話しかけてくる彼女への恐怖だ。
それらが合わさって、体の不調として表れている。
「なん…でそれを…。」
動揺を隠せず、何とか絞り出したその言葉に、彼女は平然と答える。
…それが、どこか不気味だった。
「昨日見てたから。男の人に斧で襲われて、反撃してたでしょ。」
「あ…う…そ、それはそう…なんですけど…。でもあたし…ホントは撃つつもりなんて…」
言い訳を重ね、無意識に自分を正当化しようとする。
そんなあたしの考えを彼女は、
「襲ってきた相手がどうなったかなんて気にする必要ある?」
「え?」
「殺されかけたのだから身を守るのは当然でしょ?」
あっさりと切り裂いた。
確かに襲われたから、身を守るために拳銃を撃った。
仕方なかったのかもしれない。自分を守るためだった。
正当防衛になるかもしれない。先に手を出してきたのは向こうなのだから。
だからあたしは悪くない、ただ身を守っただけ。…そうかもしれない。…けど…だけど…
「でも…それでも…人を撃ってしまったのは事実です…。もしかしたら殺してしまったかもしれないから…」
「責任を感じているの?」
「はい…」
「無駄なことが好きね。」
あまりにも無神経な物言いに、腹が立った。
「!そんな言い方っ!」
「事実でしょ?責任を感じたからって何かが変わるの?」
「そ、それは…」
「ならさっさと忘れて自分のことを考えたら?それにこの場所じゃあ、誰かを殺すなんて普通のことなるわ。その度に責任を背負うなんて無駄よ?」
人を殺すことが普通?
あたしがまた誰かを殺す…どうしてそう断言できるのだろう。
…この人は何者?
「………あたしはそうは思いません。人殺しを、当然のことなんて思えるようになりませんから。」
「そう…。まあ好きなようにすればいいわ。」
そう言ってどこかに行こうとする。
あたしは後を追わず、立ち尽くし見送ろうとした。
すると、こちらを振り返って、
「けど中途半端に生かすよりも、死なせてあげる方が、相手にとっては幸福かもしれないわよ。」
そう言って主通路の方に去って行った。
一人残されたあたしは、うつむいて立ち尽くしていた。頭の中には、彼女の言葉が響いている。
…彼女の言いたいことは分かる。誰かを傷つけるたび責任を感じていたら、きっと心が持たない。
でも。だからって、自分のやったことから逃げるのは違うと思う。それに死んだ方が幸せなんて絶対にない。
…けど、全部が違うとも断言できない。
あたしは…どうするべきなんだろう…
どうしたらよかったのだろう…
「…あっ、誘ってない…」
…しまった。
色々言われたせいで考えこんでしまって、一緒に行こうって誘うの忘れていた…。
けれど、あれだけ考え方が違ってたら、誘っても断られてたと思う。
さて…。さっき言われたことは、今考えても仕方ない。
どうしたらいいかなんて、考えても分からない。だってあたしは、この施設で何が起こっているのか、まだ何も知らないのだから。知らなければ、どれだけ考えても答えなんて出ない。
それに、今やるべきことをやらないと。
まずセーフルーム探しからだ。昨日みたいに時間ギリギリで慌てたくはない。
昨日はいろいろ受け入れきれてなかった。そのせいで探索もできてない。
まあ、外に出た時間も遅かったから仕方ない。
その反省を生かして、今日は早めに外に出たから時間には余裕がある。
とにかく、立ち止まってても仕方ない。今は、自分がどうしたいか知るためにも、行動するしかない。
ひとまず、今日は探索しよう。まずは3階だ。
下の階も気になる。…けれど、移動する方法がない。
設置されている階段は、ここから見える範囲の物は、すべて崩れて使えない状態だ。
探せば使えるものもあるかもしれない。…けど、下りた先には化け物が待っている。無策で降りるのは自殺行為でしかない。
それよりも、今いる階を調べて物資と仲間を集めよう。
下の階へ降りるのは準備が整ってからだ。物資だけでなく、心の準備も。
何事も着実に進めた方が危険は少なくて済む。危機的状況だけど、焦ったら負けだ。落ち着いて行動することを心掛けないと。
「…よし、2日目開始!」
あたしは鞄を背負いなおし、通路へと踏み出した。
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