4.後悔
…今、自分は何をしているのだろう。
起きている?それとも眠っている?視界に映る何もない冷たい床をただ見つめていた。
動く気力がわかない。考えることすらも放棄したい。そんな空虚な感情が全身を凍り付かせる。
半開きの口元から唾がたれ続けているが、それすらもどうでもよかった。
あの後。伸ばされた手…助けを求めている人を見捨てた後。あたしはトイレに駆け込んで吐き続けた。
その後は覚えていない。気づいた時には床で寝ていた。ただ、目元が腫れあがっていることから、一晩中泣いていたのだろう。…そんなことをしても何の意味もないのに。
色々なことが頭の中でグチャグチャになっていて、これからどうしたらいいのか、何をしたら良いのか全くわからない。
今胸に渦巻いているのは、あの時部屋から出るんじゃなかったという後悔。
そして…あの時、引き金を引いてしまった後悔だけだった。
彼はどうなったのだろう。扉を開けたらまだそこにいるのだろうか?それとも…
…いや、よそう。今は…何も考えたくない…。
全てを否定して自分の殻にこもろうとしても、それすら叶わない。
扉が閉まる直前の、彼のすがるような顔が頭から離れない。
聞こえないはずの、助けてという言葉が耳から離れてくれない…。
…誰もいない部屋なのに、何かが這いずる音がする。
「ひっ…!」
もぞもぞとうごめく影。足元に来てようやくそれが何か分かった。
タ・ス・ケ・テ……そう口だけ動かした血まみれの男性が見える。
「うっ!…おぇ…ううぅ…えぐぅ…」
空っぽの胃から、胃酸を吐き出し続ける。
口元を抑えてもあふれ出るそれは、涙と鼻水も混じってぐちゃぐちゃだ。
嘔吐きが収まり、顔を上げる。そこにはもう誰もいない。
…そのはずなのに。部屋からは、這いずるような音と助けを求めるような言葉が聞こえる気がして、耳を塞がずにはいられなかった。
もういい…このままこの部屋にいよう。そうすればきっと誰かが助けに来てくれる。
そうすればもう人を見捨てずに…殺さなくてすむ。
そうだ…もうこのままでいい。
そう考えていた時だった。モニターにノイズが走った。
「…?」
『あーテステス。聞こえてるかね?諸君。』
モニターに仮面をつけた男が映った。
一瞬助けが来たのだと期待したが、すぐに違うと分かった。
『諸君らは今の状況に困惑していると思う。いきなり知らない場所で目が覚めて、記憶もない。そんな状況では動かずじっと待ち続けよう、そう考える者も多いだろう。実際昨日までにセーフルームから出たのは5人だ。たったの5人!いや〜これは実際想定外だった。てっきり半数以上が扉から出ると想定していたのが最近の若い奴らは慎重…いや臆病者が多い。』
乾いた音が手元から聞こえ、衝撃が伝わってくる。
気が付いた時には、モニターに向かって銃口を向け発砲していた。
それもそのはずだ。演技がかったしゃべり方をする仮面の男に、腹が立って仕方がなかったのだ。
「…なんなのこいつ!こっちのこと何も知らないくせに!」
聞こえてないと分かっていても、怒りをぶつけずにいられない。
もう一度発砲。無駄だと分かっても、憤った感情をぶつけずにはいられなかった。
最後にはやけになって、拳銃をモニターに向かって投げつけた。
『まさか今だに助けが来るなどと淡い期待を抱いている者がいるとは嘆かわしい…。そこで君たちには悪いが新たなルールを追加しようと思う。君たちが今いる部屋、セーフルームだが最大で24時間までの利用とさせてもらう。これは君らが悪いのだよ、少しは引きこもらず外に出たまえ。それと24時間を超えて利用した場合自動的に扉が開いた状態になる。あ〜外に出たことのない者は知らないと思うが、我々の実験体がそこらを徘徊している。そいつらはこちら側である程度コントロールできる、もしかしたら扉が開いた状態の部屋に行かせるかもしれないな?』
実験体…そう言われて思い浮かぶ光景。
人間の体を引き裂いて、喰らう存在。まるで紙でもちぎるように、簡単に命を奪う化け物。
この施設で最初に見たあいつ。…女性を真っ二つにしたあいつしかいない。
最悪だ。あいつにこんな狭い場所で襲われたら、逃げ場なんてない。
つまり、嫌でも外に出なくてはいけない。…化け物に遭わないことを願いながら。怯えながら…
『さて諸君らの奮闘に期待しておるよ。あーそれと食料は外にしかない、せいぜい頑張って探すことだ。このまま部屋にこもって死ぬなんて、つまらない最後は見せないでくれよ?では頑張りたまえ。』
ぷつりと映像が消える。
……………………………………
「………ふざけないで!!」
消えたモニターを殴りつける。
ジンジンと手が痛むが、かまわず2度、3度と繰り返した。
けれど、その行為に応えるものはない。静かな部屋に鈍い音が響くだけ。
…消えたモニターには、弱弱しくて、今にも崩れ落ちそうで、泣きそうな女の子が映っていた。
「昨日だけで嫌な思いをたくさんした!もうこれ以上嫌な思いなんてしたくない!それなのに…!」
溜まっていた物を吐き出すように叫ぶ。
もう押さえておくのは無理だ。
「外に出ればあの怪物に遭うかもしれない。また誰かに襲われるかもしれない。…また誰かを殺すかもしれない。」
ただただ、自分の気持ちを素直に吐き出したかった。
そうすることで、少しでも苦痛を和らげたかった。
「…怖い…。最初に目が覚めた時とは違う。知っているからこそ怖い…。どうすればいい…どうすればいいのぉ……」
でも、その言葉に答えてくれる人は誰もいない。
全てを出し切った後。あたしはうずくまって…泣いた。
あの映像から1時間くらい経った。
涙をぬぐいながら、起き上がる。気分はほんの少しだけマシになった。
色々と考えないといけないが、頭の中は昨日のことでいっぱいで、まだうまくまとまらない。
でも、このままここにいても死ぬことだけはちゃんと理解できた。
『もう…部屋の隅で何も考えないで引きこもろう…。きっと誰かが助けてくれる…。』
そんな考えが常に頭をよぎる。
今のあたしは、気を抜けばその甘い誘惑に落ちそうになる。
だけどそれは…全てをあきらめて死ぬことを意味する。
…それは嫌だ。こんな目に合わせた奴に痛い目を合わせてやらないと気が済まない。
怒りのおかげもあり、少しずつ体に気力が戻ってくる。
壁に手を付き、何とか立ち上がり一息つく。
…そこで、ようやくあたしは部屋の惨状に気が付いた。
床には吐しゃ物が散乱して悪臭を放っている。
家具も、八つ当たりでもしたのだろう。倒され、壁際に横たわっていた。
「はは…掃除して、シャワー浴びよ…」
苦笑いを浮かべつつ行動する。
幸いタオルが洗面台にあったため、なんとか片付けることができた。
その後、シャワーを浴びたおかげで、気持ちも少し落ち着いた。
その際、初めてまともに自分の顔を見た。
オレンジ色の左右非対称の髪。頭には、オレンジ色の玉を銀色の半円が囲むデザインの髪飾りがついている。
顔は…多分いい方だと思う。目立った傷もないし、手入れもしていたようだ。
服装はジップパーカーに、カッターシャツとスカート。シンプルで動きやすい服装だ。
こうやって自分の事を確認できるほどには、落ち着くことができた。
あたしは転がっていたソファーを直し座る。
そして、昨日の反省会を始めた。
まず、昨日一日外に出て思ったのは…情報が全く足りないということ。
だけど現状、その情報をくれる人がいない。
誰かに聞くか、施設内で探すしかないのだろうけど、あてもなく探し回るのはリスクが高い。
ここは、何かに絞って行動した方がいいだろう。
それで一番に思い浮かぶのは、セーフルームの位置を把握すること。
昨日みたいに、時間ギリギリでセーフルーム探しは危険だ。
あんなことを続けていたら、そのうち時間内に見つけられないという事になりかねない。
それに、同じ場所を続けて使えない以上、最低限セーフルームの場所をいくつか知っておかないといけない。現状、これが一番優先度が高い。
次に脱出方法。これがわからないとどうしようもないし、今後に希望が持てない。
…けれど、それを知る方法が分からない。
さっきの映像では、生き残れとは言っていた。当然そのつもりだ。
だけど…脱出しろとは言ってない。つまりそれは…いや、決めつけるのはまだ早い。
さっきの放送みたいに、情報を後出しする可能性はある。…諦めるわけにはいかない。
後は…
「一緒に行動してくれる仲間かな…。」
必要だとは思う。探し物をするにも、人手があった方が効率がいいし、なにより安心できる。
…だけど、正直なところ全く気が進まない。
なにせ外であった初めての人が、昨日の男の人だ。人を殺しただけでなく、あたしも襲うような人。
他の人もあんな状態かもしれない、そう思うと気が重い。また襲われるかもしれないという、不安が付きまとう。
一緒に行動する以上互いに信頼できないとだめだ。
それに…
…また誰かを殺すことになるかもしれない。そう思うと…。
頭を振って考えるのをやめる。
こうやって、必要なことをまとめていると暗い気持ちも少しは紛れてくる。
「さて、これからどうするか…」
口に出したが、答えは最初から決まってる。
外に出て施設の探索をするしかない。それしかないことは…もう分かってる。
行くしかない…また外へ。あの、恐怖が蔓延する場所へ。
けど昨日とは違って、今回は少し希望もある。
あの仮面が言ったルール通りなら、昨日部屋にいた人達も、今日は部屋から出て来る。
どれだけの人数になるかは分からないけれど、もしかしたら話が合う人がいるかもしれない。
昨日みたい、にいきなり襲われる可能性もある。だけど、最初から諦めていたらダメだ。
また失敗するかもしれない。…後悔することがあるかもしれない…。
けどそれで足を止めるわけにはいかない。それに覚えてないはずのあたしが言っている気がする。
他の人達にあたしと同じめにあって欲しくない、と。
あたしもそう思う。誰かを傷つけて、殺すなんてことは絶対に経験してほしくない。…あんなのを何度も味わったら、きっと心が壊れてしまう。
床に転がっている拳銃を手に取る。
…これを手に持つと、昨日の事を思い出してしまう。手が震えて、気分が悪くなる。
震える手で、眼前に構える。が、
「っ!」
捨てるように銃を手放す。
…昨日の男の子が見えた。頭から血を流して、こちらに手を伸ばしてくる幻。頭では幻覚だと分かっても、心はそれを現実だと思ってしまっている。
かがみこんで銃にそっと触れる。
…冷たい。それはまるで、その時には心を凍らせろ。…そう言っているようだ。
いっそ置いていく事も考えた。こんな状態じゃあまともに扱えない。持っていても邪魔になるだけ。
けど、怪物と会った時間違いなく必要になる。今邪魔だと思うのは、ただのエゴだ。
…再び、銃を手に持った。
必要なのは覚悟だけ。これを正しく扱う、冷静な判断を下せる心だけだ。
「……ふぅ。」
昨日目が覚めた時はもっと楽観的だった。のんきに箱を開けていたのが懐かしい。
…知らずにいれば、どれほど幸福だっただろう。こんな思いをしないで済んだならとどれほど願ったか。
…けど、知ったからこそ前に進める。
「よし…」
まだ、完全に覚悟が決まったわけじゃない。
風が吹けば折れそうな、脆い覚悟。
…でも今はそれでいい。前に進めるだけの覚悟は決められた。
「やれる。あたしはまだあきらめ(ぐぅ~~)…」
自分を鼓舞していた時、お腹の虫がそれを邪魔した。
…思えば、昨日から何も食べてない。今までは緊張状態のせいで、それにすら気づかなかったのだろう。
「はは…ほんっと締まらない…」
そう言って、荷物から食べ物を取り出す。
その時、ようやく気が付いた。自分が笑えるようになったのだと…
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