2.楽園
Gフォンを機械にかざす。電子音が鳴ると同時に扉が横に開いた。
扉の外はここよりも明るい。そのせいか、漏れ出る光で目がくらむ。
手のひらが、湿っているのが分かる。…少し緊張しているみたいだ。
「よし…。」
覚悟を決め、部屋の外へと踏み出す。
徐々に目が明るさに慣れ、はっきりと見え始める。そこに映る景色を見た瞬間困惑した。
正直、待っているのはもっと暗い雰囲気の場所…廃墟のような場所だと思っていた。
けれど待っていたのは、その予想を裏切る場所。それが目の前に広がっている。
様々なお店が詰め込まれた場所。
部屋から少し出た場所からでも、それが分かるほどいろいろな物が並んでいる。
あたしの中にある知識で一致する場所…それは〝ショッピングモール゛だ。
「…なんで?いやなんで?」
…銃を見た時より混乱した。
誘拐されて記憶なくし、変な場所で目が覚めていざ扉を開けてみたらショッピングモール。
もしかしてあたしは誘拐されてない?買い物している途中で倒れて、従業員の人がさっきの場所に休ませてくれただけ?そんな考えが浮かんでしまうほど、状況がかみ合わない。
「あ!きっとドッキリだ!いや~見事に引っかかったな~。店員さんどこだろ?おーい!」
そんな状況が呑み込めず混乱してしまう。
そのせいかまた、非日常を楽しもうとしてしまう。
のんきに現実逃避をしながら人を呼ぶが、返事はない。
…しかし、
「あああぁぁ!やめ、やめて!痛い!痛いから!やめて!いやぁぁぁぁ!」
女性の悲鳴が聞こえ、一気に現実へと引き戻された。
「悲鳴!っどこから…!」
助けを求める人間の叫び声。
その声からは、今すぐにでも助けてほしいと思わせるほどの、必死さを感じた。
少し意外だったのは、それを聞いてあたしがすぐに動けたことだ。
もしかしたらあたしは、こういう状況に慣れていた?…いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
周りを見渡しても誰もいない。…もしかしたら、下の階かもしれない。
この場所、通路の真ん中に吹き抜けがあるためからか、下からの音も伝わりやすいのだろう。
すぐに中央の吹き抜けに近付き、見える範囲に目を凝らす。
…どうやら、私がいるのは3階みたいだ。1階から順に、見える範囲をくまなく探す。
いた。2階の通路に人影のようなものが2つ。
…いや、正確には…そこにいたのは、1人だったもの。
そして…
「な、なにあれ…」
そこにいた…いやそこにあったのは一面の赤。
熟したトマトを叩き潰したかのように、赤と黒が飛び散っている。
今いる所から見えるそれを理解するのを脳が拒む。
…けれど、そこに転がっているものを見て理解してしまう。
丸い何か。細い糸のような物が生えている。
そう生えている。丸いそれには見覚えがある。…だって、手すりにその正体が映っているのだから。
あたしの顔。丸みを帯びたそれには、細い髪の毛が生えていて…そこであたしは理解した。
…人間の頭だ。あれは、ちぎれて落ちた人の頭部。だから一部分だけ長い。
なぜなら、本来は首があって…そこから体へと繋がっているはずだからだ。
そこまで理解してしまった瞬間、そこにあるものが何なのかを教えられる。
まき散らされているものは…人間だったもの。赤と黒の中に白っぽい物が少し混ざっている。
内臓、骨、血管、神経…人間の中身をまき散らし、砕き、かきまぜた物。
目の前がちかちかとし、これ以上見るのを拒んでいる。
けれど、目を背けることができない。だって…
それをやったであろう〝化け物”もそこにいたからだ。
2メートルを超える人型のシルエット左手には人間の足を持っている。
手に持ったそれを、口元に運んで何かをしている。
断面からは赤い液体が…
そこで…そいつと目が合った。
「うぐっ!…おぇぇぇぇ!……ううう…。」
吐瀉物が流れ出て地面を汚す。それと同時に、足から力が抜け落ちた。
そのまま、うずくまるように地面へと倒れこんでしまった。体が他人の物になったように自由が利かない。
視界に焼き付いたように、さっきの光景が消えない。
そのため、何度もえずき胃液をまき散らしていく。…酸っぱい嫌な味が口の中に残り続けて、気分が悪い。
頭の中が危険信号を鳴らすように、ずきずきと痛む。
心臓の鼓動が周りの音をかき消すように、大きな音を立てて鳴り響いている。
なに…なんなの…?あいつはなんなの!!え…人が死んで…違う…殺されて…!
なんで!なんなのここ!!ダメ!今すぐ戻ろう!じゃないと!
「ガァぁぁァぁアアアアア!アアアあアァアァア!!!」
「ひぃっ!と、扉!」
動けない体を無理やり動かそうとし、四つん這いのような情けない体勢で扉へと向かう。
さっき出てきた扉にGフォンを!くっ!手が震えてポケットのGフォンが上手く出せない!
早く!早く!!早く!!!やっと出せた!これで!
【ビー!こちらセーフルームはお使いのGフォンでは開錠できません。再利用可能まで72時間です。】
「……は?」
今起こったことが理解できず、間抜けな声が口から漏れ出た。
…嘘でしょ。嘘、嘘嘘嘘!なんで!聞いてない!お願い開いて!
起こったことを必死で否定し、望みを託してGフォンをかざす。
【ビー!こちらセーフルームはお使いのGフォンでは開錠できません。再利用可能まで72時間です。】
だが、開くことはない。
焦りと、混乱。そして迫りくる恐怖で視界の色が変わっていく。
ツッ…!だめ開かない!どうする?!け、拳銃で撃てば開く?!
いや、大きい音でさっきの声のやつが来るかもしれない!またあの声が聞こえる…!
………………逃げないと。そうだ、逃げないと!やつが居ないところに逃げないと!!
真っ白になったあたしの頭は、ただ目の前の状況から逃げ出すことでいっぱいで、わけもわからず、その場を逃げることしかできなかった。
…背後で、怪物の笑い声が聞こえた気がした。
気付いたら狭い場所に居た。
どうやってここに来たか覚えてない。
カーテンに仕切られ、壁に設置された姿見鏡。…おそらくここは、洋服店の試着室だろう。
「はぁ…はぁ…つぅ!…はぁ…げほっげほ…!」
どれくらい走ったのだろうか。体内に酸素を取り込もうとするが、上手く呼吸ができずせき込む。
疲労と恐怖で足が震えている。いや、全身が小刻みに震えまともに立つことすらおぼつかない。
なんとか呼吸を落ち着けようとするが、さっきの光景が脳裏から消えてくれない。
もし、一瞬でも目を閉じれば、さっきの怪物が目の前に現れそうで…そんな想像ばかりが浮かんでしまう。
「いずれ見つかる…。そうなったら…うぅぅぅ。」
どうしよう…どうしたらいいの…。出口を探そうにもあんな怪物がいるんじゃどうしようもない。
見つかったら間違いなく殺される。きっと女の人と同じように真っ赤な血溜まりになる。
頭をもぎ取られ、体をゴミのように投げ捨てられるだろう。
きっとすごく痛い…あんなふうに死にたくない…。そう思うと体が震える…。
「…ぐす、なんで…なんでわたしがこんな目に遭うの…ほんとぉ?!」
突然、ポケットから音が鳴った。
完全に不意を突かれたせいで、飛びはねた拍子に壁に頭をぶつけてしまった。
しかしそれが功をなし、少しだけ落ち着くことができた。
恐る恐ポケットを探り、入っているものを取り出す。
出てきたものはGフォン。どうやらこれが鳴ったようだ。
その時ふとそれの異変に気が付いた。
「…メール?」
画面には【新着メール1件】と表示されている。
部屋で触った時には名前が表示されるだけで、操作することができなかった。
試しに、通知をタッチしてみるとメールの内容が表示された。
おそらく、機能が制限されていたものが、今解除されたのだろう。
少し気になったけれど、ひとまず今はメールを読むことにした。
『件名:おめでとう!勇気あるあなたに贈り物を差し上げます!
おめでとうございます!
立ちどまることを、やめ先に進まれるあなたにGフォンの機能を解放致します。
機能を活用し、生き残れることを心よりお祈りしております。』
「…チッ!」
ふざけた件名に思わず舌打ちが出た。
それに内容も、こちらを称賛しているような内容だけど、この状況を作った奴からのメールだと思うと腹がって仕方がない。
苛立ちを感じながらも、Gフォンを確認してみる。名前のみの画面から、いろいろなアイコンが表示されている画面に変わっている。
一つ一つ触り、確認していく。使えるようになった機能は以下の通り。
1.プロフィール
自分の名前と、このGフォンの番号しか書いてない。…触っても何も起こらないし、特に使い道はない。。
一応、メモ帳の機能も付いていたので、こっちは使えそうだ。
2.電話・メール
他のGフォンとやりとりできる…らしい。さっきの番号を使ってやりとりすると思われるが、他の人に遭遇していない今は使えない。けれど、この機能があるという事は、ほかに人がいるという事なのだろう。
3.マップ
通ってきたところやセーフルームを自動的に表示してくれる。正直これが一番嬉しい。
使用できないセーフルームには✖︎がついていて使えないのがすぐにわかる。
贅沢を言えば、さっきの怪物の居場所とかを表示して欲しかった。
マップはほぼ空白。自分で歩いて埋める必要があるようだ。
…正直なところ、今役に立つ機能がない。
マップはありがたいが…今ほしいのは現状を変えるような物。
電話やメールも相手がいないと使えない、プロフィールなんて存在価値がない。
結局なくても良いものばかりだ。
それと、メールを確認していた時に気づいた。さっきのメールとは別に、もう一通来ていた。
『件名:EDEN管理委員会より
こんにちは。
こちらEDEN管理委員会です。
当施設をご利用のお客様に注意事項をお知らせいたします。
PM10:00〜AM8:00の時間は外出禁止時間となっております。
上記時間内はセーフルームにてお過ごしください。
なお外出された場合命の保証は致しかねますのでご注意ください。』
どうやらこの場所はEDEN…エデンという名称らしい。心底どうでもいい。
それよりも、重要なことが書いてある。外出禁止時間とセーフルームだ。
セーフルームは、文字通り安全地帯の事だろう。マップを見る限り、あたしが最初に起きた場所がセーフルームのようだ。
けれど、同じ場所はすぐに使えない。
外出禁止時間になる前に、別のセーフルームを見つけないとまずい。
それはメールに記載されている一文を見ればすぐに理解できる。
「…命の保証は致しかねます。か…」
それはつまり、命にかかわるようなことが起きるという事だろう。
つまり、夜10時までに使用できるセーフルームを探さないとそれに巻き込まれてしまう。
Gフォンで時刻を見ると、今は17時ぐらい。後4時間以内にセーフルームを見つけなければ、何が起こるか分からない。
そうなると、ここに引きこもっている場合じゃない。すぐに移動しないと……
…そう頭では分かっているのに、足が動かない。
壁に手をついて立ち上がろうとしても、カタカタと震える手では体を持ち上げることができない。
……………。
怖い…。体が震える。目を瞑ると、まだ一面の赤と怪物が浮かんでくる。
あの赤黒い血溜まりに、自分もなるんじゃないかと…その想像が体を、心を凍り付かせる。
「…………………………っ!」
乾いた音が、狭い室内に響く。
じんじんと顔が痛む。恐怖をごまかすために顔を叩いたが、少し力が入りすぎたようだ。
少し熱を持った頬をさすりながら、心を落ち着ける。
「…行こう。立ち止まってる暇なんてない。」
自分に言い聞かせるように、そうつぶやく。
…少しずつ、体に熱が戻ってくる。
震える足に力を入れ立ち上がる。…まだ恐怖が抜けきっていないためか、震えは止まってくれない。
けれど立つことができた。歩くこともできる。
それはつまり、あたしはまだ生きることをあきらめていないという事。
そうだ。まだ何もかも分からない事ばかりだ。ここで立ち止まってなんていられない。
…拳銃はいつでも撃てるように、安全装置は外しておこう。
もしかしたら、さっきの怪物が追ってくるかもしれない。そうなった時、拳銃があると心強い。
正直撃てるかどうかなんて分からないけれど、無いよりはましだろう。たとえ当たらなくても、牽制にはなるはずだ。
「…よし。」
わたしは試着室のカーテンを開けて外に出た。
セーフルームを探さないといけないのだけど、情報がなにもない。
「…あれこれまずいんじゃ…」
そう。立ち直ることはできたが、肝心のセーフルームがどこにあるのか…それについて何も分からない。
後4時間以内に、セーフルームを見つける。
口にするだけなら簡単だ。…けれどあたしは、これが簡単じゃない事をもう知っている。
ただ施設を歩き回るだけならできる。
問題は、この施設には怪物がいるという事だ。何も考えずに歩き回れば、遭遇率も跳ね上がる。
そうなると、怪物を警戒しながらセーフルームを探すことになるが、そうなると今度は時間が心配だ。
…落ち着こう。こういう時、焦ったらできる事もできなくなる。
焦る気持ちを落ち着かせ、あたしはお店の外へと歩み出た。
大丈夫。まだ時間はある。絶対に見つけられる。
…それと、
「お腹減った…。」
食べ物も一緒に探さないと…。
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