3-0.最後の希望
「どこに行きやがった!クソが!出てきやがれ!」
男の人が叫んでいる声が、無人の空間に響く。
わたしは近くの物陰に潜み、息を殺し存在を隠す。
…もし見つかったら、わたしは…そんな恐怖を押し殺し、脅威が立ち去るのを待つ。
「おい、そっちにいたか?」
「いや。クソッ!ほかの奴らは?」
「今のところ誰も。」
「なにやってんだ!分かってんのか!?このままだと俺達!」
「落ち着け、変異するぞ!…気持ちは分かるが、今はこらえろ。」
「うるせえ!」
そう聞こえた直後、鈍い音が聞こえる。…どうやら片方の男性が手を上げたようだ。
その後も、言い合いは続く。
「クソクソクソ!ああ!クソ!これも全部あの女のせいだ!」
「…ああそうだ。だから今は彼女を見つけるのが先決だ。彼女なら、治療法を知っているかもしれない。」
「神代の野郎なんて信用できるか!それよりも…!」
「ああ…そこにいる彼女だろう?」
「っ!」
「そこにいたかクソ女!」
見つかった。そう考えるよりも前に、体が動き出していた。
脇目も降らず、暗い路地裏を駆け抜ける。
設置されている室外機や、段ボールの山をかわし足を動かし続ける。
細い道を何度も曲がり走り続けるが、背後からは荒い足音が聞こえ続け、徐々に近づいてきている。
「逃げんな!てめえの持ってるそれをよこしやがれ!」
「っ!」
…やっぱりというべきか。あの二人はわたしが持っているこれが目的だ。
わたしの左手。そこににぎられているもの。
10センチほどの小さなガラス製の試験管。中には黄色がかかった半透明の液体が入っている。
鞄に仕舞いたいが、背後から迫る存在のせいで仕舞えない。落とさないようにしっかりと握りなおす。
…ダメ。これだけは絶対に渡せない。だってこれは…
そう考えていた時、手元の視線を前に向けた。
「っ!行き止まり!」
前方と左右を塞がれた、袋小路へと入り込んでしまっていた。
考え事をしていたせいで、曲がる前にそのことに気が付けなかった。
すぐに引き返そうとしたが、殺気のこもった足音がすぐそこまで迫っている。今戻れば、鉢合わせになり捕まってしまう。
かといって、わたしの身長より高い壁をよじ登ろうとしても、その間に追いつかれてしまうだろう。
「どうすれば…!どこか隠れられ」
「追い詰めたぞ雪原舞!」
「っ!」
隠れ場所を探している時間はなかった。
背後から聞こえた声に振り返ると、同い年ぐらいの男子が二人立っていた。
先ほど手を上げた方の男子だろうか。息を荒くして、わたしを睨みつけている。
「クソが!手こずらせやがって!さっさとそれを渡せ!」
「だ、だめです!これは渡せません!」
「うるせえ!そいつがないと俺は…!ぐ…ゲホ!ゴホ!」
声を荒げ、近づこうとしてきた時、突然せき込み歩みを止めた。
何度もせき込み、呼吸すらままならない。抑え込もうと手で必死にふたをしている。
その手…口元を抑える手からは、赤い液体が漏れているのが見えた。
再びこちらを見た時、口元が真っ赤に染まっているにもかかわらず、彼はニタニタと笑いながらわたしに話しかけてくる。その姿に戦慄が走る。
「は、ははははは!あー…俺も時間切れか?いや、まだ間に合うはずだ…そいつを飲めば俺は!」
「こ、これを飲んでも治りません!」
「てめえが助かりたいからそう言うんだろ?だってそいつは…1人分しかないもんな!」
「っ!だ、だから…神代さんにこれを…」
「この状況を作った女を信じろって?は!誰が信じるかバーカ。」
「おい。」
「あん?今俺がっ」
彼の言葉が最後まで言い終わることはなかった。なぜなら、もう一人の男性が背中にナイフを突き立てたからだ。
それを見て思わず悲鳴を上げそうになる。
さっきまで一緒に行動していた人を、まるでいらなくなったゴミを捨てるように殺す。そんな彼が恐ろしかった。
「…て…めえ……」
「ん?まだ息があるのか。力加減が難しいな…」
そう言って、再びナイフを突き立てた。
…最初は無表情だった彼の顔。二度、三度…ナイフを突き立てるたび、表情が歪んでいく。
笑顔に。
どす黒いものを含んだ、邪悪な笑みに。
「ふふ…はは…あははははははは!!!」
血を流している人はおそらくもう息をしていない。…だというのに。
振り下ろされるナイフが止まることはない。むしろ徐々に勢いが増していく。
より深く切り裂き、えぐり取り、…楽しむために。狂った笑い声と、流れ出る大量の血がそれを教えてくれる。
肉を裂く音が変わってきた時、ナイフを振り下ろす腕が止まった。
…動かなくなったおもちゃに飽きたのだろう。けれど、その目に宿った狂気はまだ消えていない。
その矛先は当然…
「…ああ、もう終わりか。もっと楽しみたかった…いや…まだそこにあるじゃないか…!」
「ひっ…こ、来ないでください!」
わたしへと向けられる。
それに抗うため、拳銃を彼に向け発砲する。
何発も撃ったうちの1発が、彼の方に命中し血しぶきを上げる。…が
「はははははははははは!!!ひゃあぁははっはははははははは!!!!」
「ひっ…!」
まるで変化がなかった。
いや変化はある。着弾した場所は肉が抉れ、白い骨が露出している。
常人なら激痛にのたうち回ることになる。けれど、目の前の狂人には当てはまらない。
狂った笑い声を上げながら、獲物であるわたしへとナイフを向け歩み寄ってくる。
「あーー…君は…どんな感触がするんだろう?」
「い、いや!近づかないで!」
残った弾丸を打ち込もうと引き金を引き絞る。
けれど、引き切る前に衝撃が腹部を駆け抜けた。
「うぶっ!」
ミシミシときしむ音が聞こえ、わたしの体は後方の壁へと叩きつけられた。
叩きつけられた衝撃で肺の空気が抜け、意識が混濁し始める。
しかし、こみ上げてくる熱いもので、意識は強引に覚醒させられた。
「ごぽっ…!…ゲホ!ゴホ!……痛っ…!」
コップをひっくり返したように、口から血があふれ出た。
それと同時に、全身に焼けるような痛みが走った。
体を動かそうとしても、上手く力が入らず、立ち上がることすらできない。
けれど彼には関係ない。
むしろ獲物が弱って満足なのだろうか、とどめを刺すために近づいてくる。
恐怖を煽るためなのか、ナイフに付いた血をなめとり、恍惚とした表情を浮かべている。
「こな…い……で…」
もう声を出すことすらままならない。
手を動かすことすらできず、できるのは彼の狂気に付き合うことぐらいだ。
目が霞む…
瞼が重い…このまま眠ってしまいそうだ…
…その方が痛い思いをしなくていいのかもしれない…
男の笑い声が聞こえる。
もう目の前にいるのだろう。数秒後には、鋭いナイフがわたしの命を刈り取る。
「あはははは……あ?」
突然男の笑い声が止まった。
静まり返った空間に、何かが転がる音が聞こえる。
カラカラと音を立てながら転がる何か。それを確認しようと、わずかに開いた視界で確認する。
それは…わたしの手から零れ落ちた試験管だった。
「ああ…そうだ…僕はこれが目的で……そうだ、そうだ!これで生き残れる!」
歓喜に沸き立つ声を上げながら、地面の試験管を拾おうと手を伸ばした。
わたしから目を離して、無防備な姿を晒しながら。
「うあああああああああああ!!!!」
残った力を叫び声と共に絞り出し、立ち上がる。
そしてそのまま、男性の頭に銃を突きつけ引き金を引いた。
「はぁ…はぁ…うっ…つぅ…!」
痛みで全身が悲鳴を上げている。
今立っていられるのは、火事場の馬鹿力のおかげだろう。気を抜けば意識が飛びそうだ。
…でもいつまでもこうしていられない。すぐにここから離れないと。
わたしは、男性の死体の横に転がっている試験管を拾い上げた。
「…はぁ…はぁ…よかった…割れてない…」
多少傷がついていたが、容器は無事だ。
神代さんが検査した後、割れにくい容器に移したって言っていた気がする。
容器についた血をぬぐい、落とさないようにバックパックに仕舞う。
「…これだけは…絶対に渡せない…」
自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
…そう。これだけは絶対に渡せない。
誰に狙われても、絶対に手放さない。
…だって……これは…
彼女を救う…唯一の鍵なのだから。
キャラ紹介に思ったよりも時間がかかったため、先にこっちを上げます。
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