2-50.境界線を踏み越えて
相手が提示してきた、取引の内容はこうだった。
向こうが送り込んでくる部下と一緒に、雨宮雫を捕らえること。
その際、必要な装備はすべて向こうが用意する。そして、彼女を捕らえるまでわたし達の安全は保障される。
捕らえた後は、条件を無視してわたし達4人を施設の外へと出す。…ただし、この施設で起こった全ての記憶消して…
その内容を話している間相手は、いやらしい笑みを含んだ声で話してくる。
それがとても不快だった。それに言われた内容も相手の都合ばかり。
終わったら全てを忘れて捨てられる。そんなのは道具と変わらない。いや、それ以下だ。
『考えがまとまったら、連絡してきたまえ。』
黙っているだけのわたし達に、一方的に話し続け電話を切られた。
電話が切れた後も誰も話そうとしない。全員が、取引に乗るべきなのか判断できないようだ。
わたしは乗るべきじゃないと思う。…でも応じなかったとして、何かができるとも思えなかった。
それはみんなも分かっているのか、ただ重苦しい空気だけが流れ続けるだけだった。
結局何も答えは出ず、ひとまず取引のことは後回しにして、神代さんが動けるのを待って移動することに。
「ほ、本当に動けるようになるんですか?」
「ええ…首を折られたときに脊髄神経が損傷したようね。そのせいで再生に少し時間がかかっているみたい…悪いけどそれまでは待ってほしい。」
「…分かりました。」
治ると言われて半信半疑だったけれど、さっきよりも流暢に話している様子から間違いないのだろう。
よく見ると、首にあったあざも薄くなってきている。
わたしも傷がかなり治ってきていて、動くだけなら問題ないほどに回復した。
…このことも、どうしてなのか分からない。本当に分からないことだらけで、先のことを考えると不安でしかない。
考え事をしていると、龍之介さんが話しかけてくる。
「なあ舞。まだ時間かかりそうだし、その間に…あ~…その…」
「?なんですか?」
歯切れが悪い言い方。わたしを見ては目をそらし、困った様子。
なんだろうと思っていると、視線をわたしから外し、頭を掻きながら言った。
「……着替えて来いよ。」
「え?」
そう言われて、自分の格好を思い出した。
全身血まみれでお腹には大きな穴。背中には靴跡もついていることだろう。
…そして、スカートが湿っていてそこから独特な匂いを発している。
…そう、危機的状況が続いていて、完全に忘れていた。いまわたしがどんな状態なのか…
「っ~~~~~!!」
「あっおい!」
彼に返事をせず、その場を走り去った。顔から火が出るとはまさにこの事だろう。
そして、目に入った店に駆け込みすぐに着替える。
高校生にもなって、漏らしたところを見られたなんて…恥ずかしさで顔が熱い。…泣きそう。
けれど、その熱もすぐに引いていく。…わたしは、電話で言われた言葉が引っかかっていた。
わたし達が育てた。あれはどういう意味なんだろう。
言葉通り受け取るなら、わたし達が雨宮雫さんを怪物に育て上げた…ということなのだろう。
でもそんなことはしてない。…そのはずなのに、とげが刺さったように引っかかり続けている。
もし本当にわたし達のせいで、怪物になったのなら…どれだけひどいことをしたのだろう。
それに、そのせいで彼女は狙われている。謝っても謝り切れない。
…これからどうするのが正しいのだろう。
龍之介さんと未道さんに聞いたけど、おそらく雫さんはもうこのフロアにいない。
だから、すぐにでも上階に行って彼女の後を追うべきなのはわかってる。…でもその後は?
仮に、彼女を見つけたとしよう。どうやって彼女を止める?…はっきり言って無理だ。
わたし達の中で、一番強い神代さんが手も足も出なかった。そんな相手をどうやって止める?
それに止められたとして、どうやって正気に戻す?
あの時の彼女は、今まで私が一緒にいた結さんではなく、私の知らない…全くの別人とさえ思えるほどの人だった。
そんな状態なのに、どうやったら正気に戻せるのか…全く思いつかなかった。
これからどうしたらいいの?……そう考えると、どうしても最悪の未来しか浮かんでこない。
……雫さんと戦うことになり、そして……それだけは絶対に嫌だ。
でもそうなる確率は非常に高い。それだけは自分でもわかっている。
彼女を正気に戻して、みんなで生きてここから出る。…どうやったらその未来にたどり着けるのだろう。
「結さ…雫さん…」
まだこの呼び方に慣れない。
突然別人のように変わってしまった彼女に、どう接するのが正しいのだろう。
結局、どれだけ考えても答えは出なかった。
着替えを終え、みんなのところへ戻ると、
「ふざけんな!」
龍之介さんの怒号が聞こえてきた。
何事かと、急いで駆け寄る。彼が、未道さんの首元をねじり上げていた。
「ど、どうしたんですか?」
「ああ?!こいつが取引に応じるって言ったんだ!ふざけんな!」
「…ですから、今は取引に応じるふりをしましょうって話ですよ。じゃないと僕らが先に消されかねない。」
「じゃあ、あいつが言ってた部下は信用できるのか?取引したらそれで終わりだろ!」
「け、喧嘩はやめてください!とにかく落ち着いて話を…!」
仲裁しようと間に入るが、言い合いは止まらない。
「…それにお前、結を切り捨てようとしたんだってな。」
「切り捨てようなんてしてません。変な言いがかりは」
「あいつが捕まった時、助ける気なんて無かったんだろ?一緒に捕まった奴がいたから、仕方なく助けようとした。違うか?」
「…それは否定しません。ですが」
「自分が得するからだろ!あいつが怪物や邪魔な奴を殺してくれる。だからそれを利用したかったんだろ!」
「…それはあなたでは?」
「っ!」
「図星ですか?…やっぱりそうですか。彼女、とても辛そうな顔してましたよ?あなたどれだけ迷惑をかけたんですか…」
「こ、この野郎!」
「そこまでです!!!」
「「っ!」」
大きな声を出し喧嘩を止める。
あれ以上続けても、ろくなことにならない。今はそんなことをしている場合じゃない。
わたしはできるだけ、低い声を出してふたりに話かける。
「…龍之介さん。まず未道さんを下ろしてください。」
「だ、だが!」
「下ろしてください!」
「っ!……わかった…」
不満そうに彼を下ろす。
未道さんは、当然だと言わんばかりにふぅ…と一息ついている。
「ありがとうございます雪原さん。まったく…変な言いがかりを」
「未道さん。申し訳ありませんが、わたしも取引に応じるべきでないと思っています。」
「…分かってますか?今の状況でそれを選ぶ意味を。」
「……分かってます。」
「いえ、分かってません。本当に理解しているなら、向こうに従うしかないと分かるはずです。」
「なにをっ!」
彼の言葉に食って掛かろうとする龍之介さんを、わたしは手で制して止めた。
未道さんは、最悪な状況でも落ち着いて考えている。
そんな彼なら、打開策を思いついているかもしれない。
「聞かせてもらえませんか?未道さんの考えを。」
「まず、ここで取引に応じなかった場合、向こうが危害を与えてくる可能性が高いです。」
「どうしてですか?」
「目的を邪魔する存在を放っておきますか?僕なら、邪魔される前に始末しますね。」
物騒な考え方だと思うけれど、確かにそう思える。
わたし達は、施設の人の目的を知っているし、雫さんを取り戻そうとする以上、いずれぶつかることになる。
それだったら、邪魔される前に何かしてくるかもしれない。
「それに神代さん。あなたは向こうにとって、脅威だと思われています。脅してあなたを手中に収めているのはそれが理由でしょう?」
「…そう思われているでしょうね。」
「僕が知る限りでも、戦闘の面で神代さんは脅威ですし、邪魔される前に始末するでしょう。…それに…」
「…それに、なんですか?」
顔を背けて、言いよどむ彼。
何かを言おうとして、言葉を選んでいるのだろう。
気まずそうにこちらを見ていった。
「…僕らじゃ、雨宮さんを止めるのは不可能です。」
「……。」
「そんなのやって見なけりゃ」
「真壁さん。あの惨状を見て、本当にそう思っているんですか?」
「っ!」
「…一人で何十人もの人や怪物を殺し、神代さんを殺しかける存在ですよ。どう考えても、僕らじゃ手に負えません。」
痛まないはずの傷が痛みを発している。…お腹を貫かれたときのことを思い出してしまったせいだろう。
彼の考えは正しい。取引を断って、わたし達だけでもう一度相対したら…待っているのは同じ結末。
正気を失った彼女に、一人…また一人と殺されていく。そんな未来になるだろう。
けど、取引に応じてしまったら?わたし達はどうなるか分からない。…最悪、囮にでも使われて終わるかもしれない。
「今僕らにできる最善の手は、取引に応じ隙を見て逃げ出す。…これしかないです。」
「…逃げられると思いますか?」
「可能性は低いでしょうね。向こうも僕らの狙いは分かってますし、監視の目がついて回ることになると思いますから。」
「………。」
「…残念ですが、もう打つ手がないんですよ。」
「なければ作ればいい。私が何とかするわ。」
「!神代さん…」
「なにをするつもりですか?」
「…取引に来た奴らを、全員殺す。そうすれば、その場で始末されることはなくなるし、武器も手に入るから雫を止めれるかもしれない。」
ゆっくりと立ち上がり、わたし達に告げた。
あまりの暴論に、全員が言葉を失ってしまった。
…でも。
「それ、わたしも手伝います。」
「雪原さん?!」「舞?!」
わたしが賛同するとは思わなかったのだろう。男性2人が驚いている。
正直、わたし自身も驚いている。…でも、彼女の言うとおりだ。
手がないなら、新しく作り出す。向こうに従うなんてまっぴらごめんだ。
諦めて向こうの駒になるくらいなら、わずかでも可能性がある方にかけたい。
「…お二人はどうしますか?」
「俺はもちろんやるぜ!黙って手下なんかになれっかよ!」
「…僕は…」
「未道さん。無理して、わたし達に付き合うことはないんですよ?あなたには、あなたの考えが…」
「どいて。」
わたしが話している途中で、神代さんが割り込んできた。
そして、彼に近づき何かを話している。…なんどか拳銃を向けているように見えたが、終始落ち着いて話していた。
数分話したところで未道さんが話しかけてきた。
「はぁ…やります。僕も、参加させてください。」
「…わかりました、ありがとうございます。」
さっきまで反対していたにもかかわらず、考えを変え協力してくれることに。
ただ、彼の態度からそれが本位でないことが分かる。…神代さんは一体何を言ったんだろうか。
「よしっ!そうと決まったら、準備しようぜ!」
「すみません。その前にやることがありますから、一度僕らの基地に向かっていただきますか?」
「え?はい、わかりました。」
「…んだよ。盛り上がってきたのに…」
彼の言葉通り、全員で基地へと向かうことに。
むくれている龍之介さんの背中を押し、前を歩いている2人について行く。
その時、わたしはあることを思いだした。
「…あっ、そうだ。すみません先に行っていてください。」
みんなを先に行かせ、わたしは瓦礫と化しているフードコートを探索した。
気を失う前に、確か…
未道さんに連絡し、入り口を開けてもらい中へと入る。
テーブルを囲んで、重苦しい空気が流れている。
それに、ソファーで筒浦さんが眠っていた。前に見た時は目を開いていたが、今は閉じている。
神代さん曰く、前と違って、今は眠っているだけだらしい。
いずれ目が覚める…ただそれがいつになるか分からない。ゆすっても、声をかけても目が覚めることはなかった。
どうしてそうなっているのか探ろうにも、精密検査をするための機材がないためどうすることもできない。
わたしにはどうすることもできない。
ともかく、みんなに何かあったのかを聞いてみることにした。
「何かあったんですか?」
「…あったというか、これからあるというか…」
「?どういう意味ですか?」
濁すように言う龍之介さんに困惑していると、未道さんが声をかけてくる。
「雪原さん、Gフォンを出してもらえますか。」
「え?あっはい。…どうぞ。」
「ありがとうございます。……雪原さんは、一人ですか。これなら、問題ないですね。」
「…えっと、そろそろ説明を…」
「鈴蘭、準備整ったよ。」
「…うん、わかった。では真壁さんと、雪原さんはついて来てください。真那は僕が運びます。」
頭に?を浮かべながら、とりあえず言われた通りついて行くことに。
通路を進み、映画館を奥へと進んでいく。
そして、一番奥の倉庫のへとたどり着く。
「どうぞ、入ってください。」
中へと入る。そこには、
「…これは一体…」
6人の人間が、地面で眠っていた。
それを見て、ますます困惑する。彼は一体、何がしたいのだろう。
彼の方を見る。筒浦さんを壁にもたれかからせると…なぜか拳銃を取り出した。
「!何をするつもりなんですか!」
「舞落ち着け。」
「落ち着けるわけないでしょう!?ちゃんと説明してください!」
「雪原さん、憶えていますか?…上階に上がるには条件があることを。」
「条件?……っ!」
間抜けなわたしは、そこで思い出した。
そう。前のフロアでも条件があったように、このフロアにも条件がある。
…その条件は、
「…人を…殺す事…ですか?」
「はい、そうです。お二人と真那は、まだ条件を満たしてません。そのため規定人数を殺さないと、上階に上がることができません。」
「だからって……こんなやり方は…!」
「これに関しては、他に方法はありません。…もうこのフロアに残っている人は、この人達だけです。今を逃せば、あなたにチャンスはありません。」
「…仲間だったんじゃないんですか?それを…こんな風に差し出すなんて…」
「ではここに残りますか?」
「…それは…いや…です。でも…」
自分でも分かってる。わたしがやっていることは、ただ駄々をこねていることだって。
先に進むためには、この人達を殺すしかない。…でも、どうしても手が震える。涙が滲んで、前が見えなくなる。
上階には上がりたい。でも人殺しは嫌だ。…本当に、ただの我儘だ。
「気持ちのいい行いでないことは分かります。ですが、これは避けて通れません。ですから…」
「未道、銃を貸せ。」
煮え切らない態度を取り続け、動けないでいると龍之介さんが奪うように銃を受け取る。
そして、ためらうことなく…撃った。小さな部屋に銃声が鳴り響き、銃口から煙が舞う。
地面に、無抵抗で眠っている人の頭を的確に打ち抜いていく。ためらいもなく。
撃たれた人は、衝撃で跳ねた後、頭に空いた穴から血を流して動かない。…まるで、まだ眠っているようだ。
「…これで、俺は条件クリアだな。舞、外で待ってる。」
「な、なんで……どうして、そうもあっさり人を殺せるんですか?!こんなの…!」
「おかしい。ああそうだ、お前は間違ってない。おかしいのは俺だ。」
「じゃあなんで!」
「目的があるからだ。誰かを殺してでも、やり遂げたいことがっ…それだけだ。」
「…そんなの…わたしだって…」
「分かってる。お前も、あいつを助けに行きたいって。…だがな舞。これくらいのことが出来ないなら、あいつを助けるなんて無理だぞ?」
「そんなの分からないじゃないですか!誰かを殺さなくても、みんなで協力して…!」
「できると思うか?前のフロアでも、このフロアでも誰かを傷つけずに済んだことなってあったか?それはおそらく、上階に上がっても変わらない。それに、あいつと戦うことだってあり得る。」
「……」
「だからな舞。」
彼が近づいてきて、持っている拳銃をわたしに手渡してきた。
…それはずっしりと重く、まるで…これからする選択の重さを表しているようだった。
「選べ。先に進むために人を殺せるようになるか、諦めてここに残るか。後は、お前次第だ。」
「…わたしは…」
彼は静かに部屋を出て行った。
受け取った銃を見つめ、目を閉じる。
…わたしは……
……その数分後、1発の銃声が鳴り響いた。
ちょっと長くなったので、次回へと持ち越します。
…計画性をもうちょっと持ちたいですね(遠い目
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