2-49.失意の中
「…い……おき……い」
…誰かの声が聞こえる。女性の声だ。
聞こえる声が、なぜか遠く感じる。それにうまく聞き取れない。なぜだろう。
目を開けて確認したいけれど、とても億劫だ。眠気が酷く、目を開くことができない。
それに体も動かない。まるで、地面と一体になってしまったかのようだ。
どうしてこうなってしまったのだろうか。うまく思い出せない。
…まあいいか。今は考えるよりも眠りたい。すごく疲れているのだから、もう少しだけ休ませてほしい。
なんでこんなに疲れているんだろう。それに、さっきから感じ始めているこの焦りはなに?
それに、すごく息苦しい。何かがのどに詰まっているようだ。
……何か変だ。どうしてかわからないけど、こうしていてはいけない気がする。
思考を巡らせるため、酸素を求め大きく息を吸う。
「!…げほ!ごほ!」
喉にある異物のせいだろうか。息を吸うと共に咳込んでしまった。乾いて張り付いていた何かを吐き出す。
そのおかげなのか、まともに呼吸ができるように。脳に酸素がいきわたり、活動を再開する。
徐々に眠気が引いていき、曖昧だった体の感覚が戻ってくる。疲労感は抜けていないが、動くことはできそう。
ゆっくりと目を開ける。思わず手で目を覆ってしまった。
まぶしさで目がくらむ。…店内の明かりが点いているようだ。
…わたしが覚えている限りでは、店内の明かりは消えていたはず。それが点いているという事は、時間が経っているという事。
どれくらいの時間…そう考えを巡らしたところで、ようやく何があったのか思い出してきた。
蔓木さんと戦って、なんとか彼女に勝ったこと。
彼女を説得して、協力関係を結んだこと。
そしてその後…彼女が現れて…それで…っ
「っ…わた…しは…!」
なにがあったのか…思い出し、涙があふれた。
ここに彼女がいない。…それはつまり、わたしは彼女を救えなかった…
あの時彼女を説得できていれば、今隣に彼女がいてくれたはず。…でもそうじゃない。
…わたしは失敗した。彼女を止めることができなかった。その事実がわたしをひどく打ちのめした。
「…う…ぐすっ…えぐ…うぅ…」
「?…舞っ!気が付いたんだな!」
わたしが泣いていると、その声を聞いて誰かが近づいてくる。
けだるい体を動かし、見上げると彼らがいた。
「…龍之介…さん。それに、未道さんも…」
二人とも心配そうにわたしを見ている。特に龍之介さんは、涙を流しながらわたしの手を握ってきた。
「よかったっ…本当に!てっきり死んだんじゃないかと思って…!」
「そう…なんですか?少し大げさなのでは…」
「…いえ、大げさじゃないです。むしろこれだけ出血しているのに、なんでまだ生きているのかが不思議ですよ…」
「え?…っ!いぐ…つぅ…!」
突然全身を激痛が駆けめぐった。
あまりの痛みに、その場をのたうち回りそうになるのを二人が必死になって止めてくれた。
何とかこらえようとしているが、痛みがやむ気配がない。
どうしてこんなに痛いのかが分からない。確かに刺されたし、蹴られた。でもそれ以外の怪我なんて…
…そこでようやく、自分が地面に転がっている理由を完全に思い出した。
彼女は、ついに怪物になってしまった。その結果、彼女に殺されかけた。
…いや、殺されかけたというよりも殺されたと言った方が正しい。
あの時。お腹を貫かれ、体の熱が引いていき、自分の命が消えていく…。あの感覚は今でもはっきりと思い出せる。
出血で全身が冷たくなり、痛みを感じなくなっていく。水の中へと沈んでいくように意識が消えていく感覚。思い出すだけでも、恐怖で震えてしまう。
今感じている痛み。これはきっと、あの時感じていなかった痛みがぶり返しているのだろう。
そうだとしたら、どうすることもできない。結局、落ち着くまで歯をくいしばって耐え抜くしかできなかった。
どれくらいそうしていたか分からない。ようやく痛みが和らぎ、動けるようになってきた。
二人にお礼を言い、ゆっくりと体を起こして一息つく。
そうやって冷静になってやっと、わたしが考えるべき疑問が浮かんだ。
…なんでわたしは生きているのだろう。
自分の周囲を赤く染めている血を見て考える。
あの時わたしは、彼女の体から生えた尻尾に体を貫かれ、そのまま気を失った。
貫いたものは、ナイフなんかとは比較にならないほど大きい。
わたしの腕よりも、2周り…いやそれ以上の大きさ。あんなもので貫かれたら…助かるわけない。
だというのに、わたしは生きている。自分でも、どうして生きているのか分からない。
全部幻だった?…いや、そんな都合のいいことはない。
現に体の下には、おびただしい量の血の跡が残っていた。服も血を吸って変色している。
貫かれた部分には大きな穴が開いてるし、幻というのはあり得ない。
それに、おかしなことがある。…傷がふさがっているのだ。
普通なら、向こう側が見えるような穴が開いている。でも私が見た限り、そんなものはない。
ただ、完治はしていない。ナイフの傷や、蹴られた部分は治ったようだが、貫かれた部分は穴が開いていないだけで、抉られたようにへこみができている。
そのため筋肉が露出しており、空気に触れているだけで激しく痛む。
わたしがお腹を押さえていたがる様子を見たからなのか、未道さんがタオルをくれた。わたしはそれを巻き、簡単な応急処置をする。
…傷を負っても再生する。これはまるで、彼女…結さん…いや、雨宮雫さんの能力だ。
どうしてわたしがその能力を持っているのだろう。それに、お腹を貫かれたこの痛み…初めてじゃない気がする。
前にも同じことがあった気がする。いつだったのか思い出せない。
自分に起こった異変。どうしてそうなったのか知りたい…それを考える前に、二人に聞かなければいけないことがある。
「…結さ…神代さんと、雫さんはどこにいますか?」
わたしの質問に、二人は答えない。
しばらくの沈黙の後、言いずらそうに竜之介さんが口を開いた。
「……結のやつは、おそらく上階へ行っちまった。雨宮は…そこの壁に寝かせてある。でも…」
「…首の位置は戻したんですが、あれでは…心臓も止まってしまって…」
「っ…そん…な…」
二人は黙ったまま、ある場所へ視線を向ける。
…そこには、壁に持たれかかり、うなだれている神代さんがいた。
パッと見ただけでは眠っているようにも見える。けれど、近づいてしっかりと見ればそれが死体なのだと分かる。
右腕は、握りつぶされたせいで歪に縮小してしまっている。
そして首元には、ねじられた結果できた内出血で、黒い首輪をつけた様に真っ黒になっている。
「…」
正直、彼女に恨みはある。憎いとも思っていたし、いずれ報いを受けるべきだとも思っていた。
…けど、実際死んでいるところを見てしまうと、憎しみよりも悲しみの感情が沸きあがってくる。
彼女は、友達を救うために命を懸けて戦っていた。わたしの妹を実験に使ったことへの負い目なのか、わたしを守ってくれた。
言動はきつい言い方が多かったけれど、そこには彼女なりに意味があった。
思い返してみると、わたしは彼女がどんな人物だったのか全く知らない。
彼女が何を思って、どんな考えで行動していたのか。どうしてあそこまで必死になっていたのか…わたしは知ろうともしなかった。
…もっと彼女のことを知っていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。
おぼつかない足取りで、彼女のそばに座る。そして、そっと手を握った。
「…ごめんなさい。わたしがもっと強ければ…あなたの足を引っ張らなければ…こんな事にはっ…」
「あな…たのせいじゃ…ないわ…」
「っ!ふ、二人とも来てください!まだ生きてます!」
わたしの声を聞き、驚愕しながら近寄ってくる。
片目をけだるそうに開け、辺りを見渡している。
「…あの子は…いないのね。」
「…はい…」
「……それ…ならっ…」
全身が小刻みに震えている。歯を食いしばって、体を前へと動かしている。…どうやら立とうとしているようだ。
けれど体が震えるばかりで、立つことができない。それに、右半身が全く動いていない。怪我の影響だろうか。
「っ…はぁ…」
「む、無理に動こうとしないでください。どこかで薬を―――」
「必要…ないわ。しばら…くじっとしてい…れば…治るから…」
「でも…」
わたし達がどうすればいいか迷っているときだ。カタカタと、物音がした。
音がしたところを見ると、彼女のポケットで何かが震えていた。神代さんはそれを鬱陶しそうに見ている。
「悪い…けど、代わりに…取ってくれる?」
「は、はい。」
言われた通り、ポケットから取り出す。
震えていたのはGフォンだった。画面には、通話の表示が出ている。
「出て。それで私の耳に…」
「は、はい…」
言われた通り操作し、神代さんが電話できるように耳に当てる。
『……い。……』
わずかに漏れ聞こえる声。…どうやら男の人のようだ。
電話口の相手と何度かやり取りをしていると、
「は?何を……分かっ…た。雪原舞、悪い…けど…これスピーカー…にして…くれる?」
「…分かりました。」
少し戸惑いながら、Gフォンを操作する。
すると、わずかな雑音と共に声が聞こえてきた。
『くく…やあ、ご機嫌いかがかな?雪原舞。』
「!?」
男性の声。それも、現状に似つかわしくない、こちらをおちょくっているような声。
少しムッとした。…この人は何なんだ?
それに、どうして近くにいるのがわたしだと分かった?神代さんは伝えていないのに。
…もしかして、どこかで見ている?
『周りを見ても無駄だ。私がそこにいるはずないだろう?』
「…では、どこにいるんですか?」
『上さ。君らがいるフロアのはるか上。ここまで言えば、私が何者か想像つくだろう?』
上…そこからわたし達を見ている。それで納得した。
人を小馬鹿にするような態度。そして、どこかでわたし達を監視している。
…そんなことができる奴は限られてくる。
「……わたし達をここに連れてきた人ですか。」
『そのとおり!少しは頭が回るようだな。まあ、随分ヒントを与えたのだから当然か。くくく…』
わたしの答えを聞いて、愉快そうに笑っている。半面、わたし達は怒っていた。
わたしからGフォンをひったくろうとする龍之介さんを、未道さんが必死に抑えてくれている。けど、その表情はとても険しい。
正直わたしも、今すぐこの電話をたたき割りたいと思っている。少し話しただけでも、不快感しか沸かない。
なぜこの人はこんなにも笑っていられるのだろう。わたし達をこんな場所に閉じ込めて…そのせいでたくさんの人が亡くなったのに。
『さて、無駄話はここまでにしよう。貴様らにも話が聞こえるよにしたのは、頼みたいことがあるからなのだよ。』
「………」
『頼み事なのだ』
「お断りします。」
そいつが何かを言う前に断った。周りのみんなも驚いた顔をしている。
…こんなことをする奴だ、きっとろくな頼みじゃない。
本当なら、相手のことを探るべきかもしれない。けど、どうしても電話口の奴への不信感と不快感がそれを拒んでいる。
『はっはっはっは!!即答かね!面白い!誰かの後ろをついて回るだけの存在かと思っていたが、これはとんだ思い違いをしていた!』
「なにがそんなにおかしいんですか!あなたのせいで、どんな目にあったか!」
『知っておるよ?私は全部見ておったからな。貴様が人を殺した時、情けなく泣きじゃくっていたのも知っておる。くく…あれは傑作だったわっ!』
「っ!なんなんですかあなたは!いったい何がしたいんですか!!」
そうわたしが問いかけると、笑い声が止む。
黙って返事を待っていると、先ほどとは打って変わって落ち着いた声で語りかけてくる。
『目的か?ああ、それなのだが…もう叶っておるのだよ。貴様らのおかげでな。』
「?わたし達のおかげ?」
『ああ。もう少し時間がかかると思っていたのだが、嬉しい誤算だったよ。…君たちが作ってくれただろう?人間の姿をしたままの怪物を。』
その言葉を聞いて、まるで冷や水をかけられたように寒くなる。
『我々の目的はすでに達成されている。後は彼女を捕らえて、記憶を書き換えるだけだ。本当に、ここまで育ててくれた君らには礼を言いたい気分だ。』
「……」
『だが、問題はどう捕らえるかだ。あの化け物は、正直我々の手にも余ってしまってね。そこでだ、君たちに頼みたいのは。』
「………。」
言葉が出ない。感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、どうするのがいいのか分からない。
わたし達がして来た事って一体…なんだったんだろう。
『君たちには雨宮雫を生きたまま捕えてほしい。報酬は…無事にここから出してやるというのでどうかね?』
聞こえてくる声に、誰も返事を返すことができなかった。
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