男の子だと思っていた従妹が成長したら小悪魔ギャルになっていた
「うぇーい!」
小学校の高学年に上がった頃の俺はゲームが好きなだけの何も考えてないガキだった。
友達を呼んでよく遊んでいたが、その中でも一番仲が良い従妹の『恵』がいた。
「おにい。遊ぼうぜ!」
家が近かったこともあるが、俺の家にはテレビゲームからマイナーな海外のゲームまで遊び道具が一杯あったからだろう。
生意気な小学生だが、低学年ならむしろ元気があったほうが俺の考えた馬鹿な遊びにつきあってくれる。それに俺もどちらかといえば素直じゃないほうだ。
だから、気が合ったのだろう。
「お、いいね。じゃあ、いつものカードバトルでもやるか」
「へっへー。オレ、負けないし。デュエルだ!」
「お、言ったな。じゃあ、勝負だ!」
最近俺たちの間で流行っているのはバトル遊戯という子供たちの間で大流行のカードゲームだった。
「じゃあ、今日は俺が先行な。俺のターン! ドロー! 俺はゴブリンを召喚! 更に女戦士も召喚! ゴブリンの特殊効果発動! 女僧侶が場にいる場合、特殊融合! 現れよ! 荒れ狂う同士と共に! ビーチク・ンホォ・オーク!」
「へー、攻撃力1200? やるじゃん! じゃあ、オレの」
「いいや、まだだ! ビーチクウィーク・オークの効果発動! 女盗賊を山札からダイレクト召喚! 女盗賊とゴブリン軍団が場にいる場合、女盗賊を生贄に神速召喚! 来たれ! 希望を胸に抱いて! シン・NTR・オーク!」
「じゃあ、お」
「いいや、まだだ! キングNTRオークのフラッシュタイミング! キングNTRオークを疲労状態にすることで効果発動! 神聖百合戦士まどか&ほむら召喚!」
「……」
「いいや、まだだ! 神聖百合戦士まどか&ほむらでオーバーレイネットワークを構築! その中年青き衣をまといて百合の間に降り立つべし! 預言よ! 示せ! 種付けオッサン! 種付けおっさんの効果発動! 相手に3000ダメージ! 俺の勝利だ!」
「ずりーじゃん!」
「最近見つけた先行ワンターンキルだ」
「なんだよ。それ。先行が絶対勝つじゃんかよ」
恵はいじけたように唇を尖らせる。
「大丈夫だって。どうせ近々、禁止カードにされるって」
「オレもそれやる!」
「わかったわかった。教えてやるから。恵のエースカードって姫騎士ライトニングだよな?」
「かっこいいだろ!」
「そこに俺の余ったゴブリンを加えろ。コスト0だから神速召喚が可能だろ!」
「嫌だよ! オレ恰好良い系の姫騎士軍団で揃えてるのに!」
「ある意味相性抜群だろ!」
「ふざけんな!」
喧嘩することもあるが、弟が前から欲しかった俺は恵を本当の弟のようにいつしか見ていた。
※※※※※※
だからこそ、恵が調子に乗って木に登って。
「へっへー、すごいだろ。――あ」
落ちた時も自然に体が動いた。
咄嗟に落下地点に滑りこんで体で受け止める。
「ぐえ!」
俺の体がクッションになったお陰で恵に怪我はない。
でも、俺は肋骨を折って入院した。
それから恵が俺を見る目が変わった。
ヒーローのように。
あるいは恋する乙女のように。
※※※※※※
月日の流れというのは不思議なものだ。
過ぎ去る前は長い道のりのように感じるが、過ぎ去ってしまった後はあっという間だった気もする。
目の前の生意気な男子との日々がまさにそうだった。
結局、一年ほどで恵は従妹と一緒に引っ越してしまった。
最後の別れはかなり大変だった。
「うあぁぁぁぁん! いやだぁぁぁぁ!」
恵は別れたくなくて泣きまくった。
「仕方ないでしょ」
「そうだぞ。あまりわがままをいうな」
恵の母親と父親が必死に宥める。
「オレ! おにいと離れたくないよ!」
目に涙を溜めた恵は、今まで見たことがないくらい悲しそうで――必死だった。
正直言うと、俺も離れたくなかった。
でも、小学生である俺は恵を引き取るなんて出来ない。
だからこそ、兄としての最後の意地で必死に笑いかけた。
「大丈夫。また会えるって。外国に引っ越すってわけじゃないんだからさ」
「北海道って外国みたいなもんじゃん」
それ失礼だろ。
「また会えるって保証ないだろ」
「大丈夫だって」
「でもさ」
「なら約束でもするか」
俺としては恵が少しでも落ち着けばと思っての提案だった。
「どんな約束?」
でも、思った以上に食いついてきた。
「会えたら会うとか?」
「絶対会わないやつじゃん」
「じゃあ、別れて五秒後即再会とか」
「絶対無理じゃん。そもそも早すぎだし」
まぁ、確かにRTAかな? ってくらい早かった。
「それに夢がないから嫌だ」
夢って……乙女みたいな発想だな。
「じゃあ、世界最強になったら再会すっか」
「夢はあるけど馬鹿みたいな夢じゃん」
「頭からっぽのほうが夢詰め込めるからな!」
「いきなり格闘漫画のキャラになるのは駄目。おにい別に強くない。あとそういうのって会うとしても人生の最後あたりじゃん。7点だね」
「ファミ通のクロスレビュー?」
めちゃくちゃ厳しいな。
「文句多いな。どういう約束だといいんだよ」
「例えばさ」
恵が女の子みたいに頬を赤く染める。
「大きくなったら、彼女にしてくれる、とか」
「……」
あれ? ここ抱腹絶倒ギャグ?
と、思ったけど雰囲気的に真剣そのものだ。
「いや、それは無理だろ」
「なんでだよ!」
なんかわからないけど恵が食ってかかってきた。
ときたま恵はこういうわけがわからない態度を取ることがある。
以前も一緒に風呂に入ろうとしたらふざけんなって怒られた。
『ちんこ小さいのか? いいんだぜ。妖精みたいなちんこだとしても俺は気にしないって。ほら、早くそのチィンコーベル見せてみろって』
と言ったら殴られた。
「……オレのこと嫌いなのかよ」
声がいきなり小さくなって、恵は不安そうにうつむく。
恵は一見気が強いガキ大将のようだが、実はメンタルが弱い。気に入った相手から否定的な言葉や態度を取られるとすぐ落ち込んでしまう。
「だって、男同士は結婚できないだろ」
……いや、国によっては結婚できるけど。
「は?」
恵の涙が急に引っ込んだ。
「え、いや、嘘だろ」
父親が実はブイチューバーだったと告白されたときのようなわけがわからないといった恵の様子に、自分が何かを見落としていることに俺は気づいた。
その『何か』は当時の俺にはまだわからなかった。
恵を弟だと認識していた馬鹿な俺はなかなか固定概念を崩せなかった。今となっては自分の鈍さを恥じるばかりだ。
「わかった! ……実はホモだったんだろ?」
時間が止まった気がした。ツンドラよりも凍てついた雰囲気の中、俺に向けられる視線は針のように突き刺さる。
どうやら不正解だったようだ。
「んなわけないじゃん」
恵が呆れたように言い放つ。
「お前なぁ」
「まぁ、恵の恰好もちょっと、ね。勘違いしても仕方ないけどね」
恵の父親と母親にまで呆れられた。
「どういうこと?」
「それはな――」
恵の父親が何か言おうとしたが。
「いいから、そろそろ時間だろ」
恵が急かしたため、言葉の続きは聞けなかった。
「いいのか?」
「いいよ。……どうせまた会うから」
「だな」
恵の言葉には俺も同感だった。二度と会えなくなるなんてことはない。それなら、この話の続きは再会したときの楽しみにしておこう。
また会うきっかけにもなるだろうしな。
「おにい。次に会ったとき、覚えてろよ」
「ああ、またな。また会える時を楽しみにしてるよ」
軽く手を上げて精一杯の笑顔を作った。
悲しい雰囲気のまま別れるのは嫌だ。
記憶の中に残るのは笑顔のほうがいい。
「うん」
俺の意図を把握してくれたのか、恵は素直に頷いた。
大人しくなった恵はちょっと可愛かった。
そして、恵は引っ越していった。
後に残った俺の心にはぽっかりと穴が開いた。
二か月くらい満たされない日々を過ごして、ある日、気づいた。
俺は家族を失ったんだと。
※※※※※※
季節は過ぎた。
何度目の春が来た。家を出て大学生になると、記憶の中にいた少年は徐々に風化していく。
だが、ふとした拍子に恵のことを思い出すと、俺の記憶から恵をさらおうとした手が臆したように引っ込んだのを感じる。
まだ忘れていない。
そう思うたびにあの日々を懐かしく感じる。
俺も年とったなぁ。
「あのさ」
そんなとき、一人のギャルが声をかけてきた。
不思議だった。
大学の授業が終わり、アパートに帰るためには人気がない堤防沿いを遠回りしなければならない。
夕暮れ時の堤防は空気が冷たく、好き好んでここを通ろうとするものはいない。
……だからこそアパートを安く借りられたのだが。
「あんた、三田春明?」
「え?」
驚いた。陽キャやギャルとなんの接点もない平凡な俺を知っているとは思わなかった。
「そうだよね?」
「どちら様?」
問い返すと、彼女は明らかにむっとしたように口にくわえた棒付きの飴を齧る。
「わかんないの?」
どこかで会ったかなぁ?
改めて観察してみる。
制服を改造しており花魁の如く胸元が開いた制服を着こなした陽キャレベルが高い美少女だ。
うん。見おぼえない。
「もちろん、わかるよ」
でも、美少女だからとりあえず話合わせておこ。
「ニンゲン観察バラエティモニタリングだろ?」
「テレビ入ってないし」
違うのか。美少女がいきなり声をかけてくるのって『絵を売る』か『どっきり』かの二択だと思ってた。
「……わからん。そもそも君みたいな可愛い子と今まで接点なかったからな」
「かわいい」
「でも、君は俺を知ってる。というか、かなり親しくしていた。つまり」
「かわいい」
「聞いてる?」
さっきから赤い顔でぽーとしてどうしたんだ。
「え、マジで気づいてないってことはチャンスじゃない?」
何か小さな声で呟いてる。
「おーい、効いてんのか?」
「は? 聞いてるけど。つまり、私がかわいくて仕方ない。できれば、もっとお近づきになりたいってことでしょ?」
「そこまでじゃない」
「ふーん、本当に?」
女子特有の甘い香りが鼻孔をくすぐった。
彼女が至近距離まで近づくと、下から覗き込むようににやりと小悪魔めいた笑みを浮かべた。
う、胸の谷間が強調されてる。
「ね、どうなの?」
俺の視線に気づいた彼女が楽しそうに目を細めた。
その表情がなんだか癪に障った。
「ぜんぜん駄目だ」
「ふ、ふーん、強がっちゃってほんとはちょっと興奮したんでしょ」
ツンツンと脇腹をつつくな。……ちょっと興奮したのは認める。
「まず誘い方が駄目だ」
「どこが?」
「もっとアメリカ人っぽく誘え!」
「オーイエス。み、みたいな?」
なんで真っ先に外人のAVが出てくるんだよ。
「違う。もっとアメリカ人っぽく。そうだな。『そこで言ってやったのさ。『その胸はシリコン製かい?』ってね。HAHAHA! 』みたいな感じだ」
「全然わかんないだけど。あとシリコンじゃないし」
俺もわからん。適当に言い過ぎた。
「じゃあ、中国人っぽく誘ってくれ」
「中国語わかんないんだけど」
「中国語風可。我求豊乳手触」
「駄目二人距離縮迄」
「先端限定! 我一生願!」
「不可」
「切実限界!」
「濃厚接触駄目。乞御期待」
言っておいてなんだけど別に興奮しないな。
「……これでいいの?」
不安そうに見てくる彼女にちょっと興奮する。
「合格かな」
「へー、おにい。こういうのが好きだったんだね。変態。よくわかないフェチ。性欲のモンスター」
「然り」
……ん? おにい?
こんなことを言うやつは一人しか知らない。
「恵?」
って、んなわけないか。
あいつは男で――。
「ようやく気付いたんだ。おっそいー」
「は!?」
マジかよ!
いや、でも、よく考えればその兆候はあった気がする。
まず風呂に誘っても一緒に入ってくれなかった。たまに良い匂いがした。しずかちゃんみたいに風呂が好きだった。
……ヒントだらけだった。なんで今まで気づかなかったんだ。
「え、自分で言っておいてなんで驚いてんの?」
「いや、だって、昔と全然違うから」
男から女になったという意味で言ったつもりだったが。
「でしょ! よーやくわかったんだ。ほーんと、にぶちんなんだから」
綺麗になったというポジティブな意味に捉えた恵が胸を張る。むぅ、昔はぺったんこだったのに今ではおそらくFカップはある。
「よく俺の場所がわかったな。親から聞いたのか?」
「『三田春明 住所』でググったら出てきたけど」
晒されてた。
「でさー。おにいは私がいない間、寂しかった?」
「それは……」
「寂しかったでしょ? でも、よかったね。子供だった従妹がこんなに大きくなってさー。ちょっとドキドキしてるんじゃない? くすくす」
目を細めて得意げに笑いながら、恵は身を寄せてくる。近すぎる距離は一瞬、俺を戸惑わせたが、昔と同じ距離感だったことを思い出して「照れ」よりも「懐かしい」という感情のほうが沸き立った。
「寂しかったよ」
俺が意識するよりも前に、勝手に言葉になって溢れ出た。
本心を聞いた恵は虚を突かれたような表情になって。
「へ、へぇ、そうなんだ」
恵は照れ隠しするように自分の髪をクルクルと指に巻きつける。
「で、どうしたんだよ」
「ん。これ見て」
恵が何かの雑誌を目の前に突き出してくる。
これは……ティーンズ向けのファッション雑誌?
「いや、雑誌はジャンプしか読まないから」
「もっと他の雑誌も読みなよ。……って、そうじゃなくてさぁ。この折り目がついたページ見てよ」
「一体、なんなんだよ」
雑誌を受け取って言われたままにページを開く。
見覚えのあるギャルがポーズを取っていた。
「え、この女子って恵だろ。すごいな。雑誌に載るなんて」
素直な感嘆の言葉に恵は。
「それだけ?」
不機嫌そうに眉をひそめた。どうやら選択肢を間違えたようだ。好感度が下がる音が聞こえてくる。
「ちょっとやり直してしてもいい?」
「……」
無言は肯定ってことで。
「この女子って恵だろ? あ、国籍変わった?」
「最初から日本人なんですけど。というか、そんな化粧のノリ変えた? みたいな感覚で国籍変えられるわけないじゃん。おにい馬鹿なの?」
どうやら更に好感度が下がったようだ。
もはや殺気ともいえる雰囲気に空気は凍り付き、背筋が寒くなった。
とはいえ、何が言いたいのか思い当たらない。
昔はもうちょっとわかりやすかった。
「悪い。何が言いたいんだ?」
両手を上げて降参した俺に対して恵は目を逸らす。
「約束」
ぼそりと恵が呟いた。
「なんか約束したっけ?」
「は? 忘れてんの?」
途端に笑みが消えて、恵は闇のオーラを発した。
どうやら逆鱗に触れたみたいだ。迫力は大人も裸足で逃げ出すレベル。マジで怖い。
「い、いや、忘れてたわけじゃないんだけどさ。ファッション誌に載ったら指つめるとかだっけ?」
「そんなヤクザっぽい約束するわけないじゃん」
俺としても指つめられると困る。
俺の小粋なジョークで一瞬、場は和んだが、再び恵から殺気がにじみ出る。
全然思いつかない。
「……もしかして、ファッション誌に載ったら恋人とか?」
場を更に引き延ばすための冗談のつもりだったが。
「ふーん」
興味がわいたというように恵が目を細める。まるで獲物を見つけた猫みたいだ。
「やっぱり、おにい、恋人欲しいんだ? そうだよね。どうせおにいは恋人とかいないもんねぇ」
めっちゃマウント取ってくる。
しかも、楽しそうに。
「さびしーんだねぇ。よかったね。従妹がこんなに可愛くなってさー。ちょっとドキドキしてるでしょ」
恵がツンツンと人差し指で俺の胸を指す。
ギャル特有の距離間にちょっとドキドキしてしまったのは内緒だ。
「もっと男ウケするような恰好じゃないと駄目だな。とりあえず『心眼』って書かれた目隠しを巻こうか」
でも、大人としてすまし顔で対応する。
「別に心眼じゃないし。見えないから不便じゃん。そもそも糞ダサいし」
「じゃあ、鎖でも巻いておけよ。おしゃれだろ?」
「もう一人の自分じゃん」
そこで雰囲気がまた元に戻った。
「ま、おにいみたいに恋人いない人なら仕方ないけどさー」
どうやらまた俺をからかうつもりらしい。
さすがにちょっといらっときたな。
「かわいそーだから私が恋人になってあげても」
「いや、大丈夫だ」
「へ?」
「恋人、いるからな」
嘘だけど。
「……はえ?」
恵の丸くなった目に促されて、さっきよりも慎重に、表情に出ないように言葉を続けた。
「あれから何年たったと思ってんだよ。恋人の一人や二人はできるだろ」
いや、ちょっと待てよ。二人できたら浮気だろ。……これ、嘘だとバレたか?
「……」
愕然とする恵は、俺の失言に気づかなかったようだ。
五秒ほどでなんとか気持ちを持ち直した恵が身を守るように腕を組んだ。
「ど、どーせ嘘でしょ」
「マジだ。ほら、この子」
スマホで適当に見つけた女子を見せる。
「な、名前は?」
「『ザ・パワー』」
「外国人なんだ」
外国人でもそんな名前のやつおらんだろ。
「……」
無言で泣いた!?
「いや、嘘に決まってんだろ」
さすがにやりすぎたと思い、正直に話す。
恵の時間が巻き戻ったように涙が引っ込んだ。
「今泣いてなかった?」
「は? 泣いてないんだけど」
とんでもない早業だ。俺でないと見逃しちゃうね。
「やっぱりねー。ほーんとうそつきだよねー。おにいさー。彼女いるわけないじゃん」
妙なテンションでオレの肩をばしばしと叩く恵。痛いからやめろと言いたいところだが、俺も嘘をついたという罪悪感はある。ここは甘んじてライフで受けよう。
「ま、約束守ってくれたのはいいけどね」
約束? なんのことだ?
「にゅふふふ」
めちゃくちゃニコニコしてる。
「さてと、んじゃ、行こうか」
「どこへ?」
「決まってんじゃん」
「天竺?」
「三蔵法師しか目指さないでしょ、そんなとこ」
他の奴らも目指すだろ。
「おにいの家だって」
※※※※※※
歩いて五分の安アパート。
そこの三階の一室が俺の城だった。
六畳一間。かなり狭いが一人暮らしだとこんなもんだ。
「ほら、入れよ」
「お邪魔しまーす。って、汚っ。なんで缶ビールが転がってんの?」
「ファッションかな」
「無理があるでしょ」
恵の眉間に皺が寄った。
「もー、仕方ないなぁ」
そういって、恵は空き缶を片付け始めた。
「こうやって片付けてくれる女の子いなかったから嬉しいでしょ」
どちらかいえば、恵のほうが嬉しそうだけどな。
空き缶を片付けるのが趣味なのか?
「あ、えっちな本みっけ。『姫騎士~ゴブリンの巣穴に入ったら五秒で全裸腰ヘコ命乞いダンス~』へー、こんなの見るんだー」
「いや、それは友達のものだ」
「こっちも? 『やめるナリ。そっちの穴はうんちを出し入れする穴ナリ』? ……入れはしないでしょ」
「いや、そっちも友達のもので」
「ふーん」
何かを悟ったように意味深に笑う恵。……バレてる。でも、認めるわけにはいかない。認めたら俺がスケベだって証明したようなもんだ。
「で? 友達ってどこにいるの? それとも本当にいるの? 実はいないんでしょ?」
「いるって」
「じゃあ、見せてよ。スマホに友達登録くらいしてるでしょ?」
「それは」
俺の一瞬の戸惑いを察知して。
「見せられないの? どーして? ねー、どーして?」
恵が畳みかけるように問いかけてくる。……背中に黒い羽が見えてますよ。
「友達、登録はしていない」
その一言に恵は喜色満面の笑みを浮かべる。
「え、ってことは嘘ってこと? おにいってばさー。嘘ついてまで隠したいんだー」
「勘違いするな。友達登録はしていないだけで友達はいる。そう、ここにな!」
「は? どこ?」
この場には俺と恵しかいないように見えるのだが。
「ほら、そこ」
壁の黒いシミを指さす。
「よく見ると人の顔に見えるだろ? ロドリゲス君だ」
「こわっ!」
「怖いなんて失礼なこと言うな。でも、ゴキブリと同じで無害だ」
「一緒にすんなし!」
恵が台所から塩を持ってくる。
「この!」
黒いシミに塩をかけるが。
「やめろ!」
咄嗟に俺はシミを庇う。
「霊を庇うなし。つか、除霊したほうがいいでしょ」
「そうじゃなくて、部屋に塩まくな! 部屋汚れるだろ!」
「ええ~、友達設定じゃないの?」
忘れてた。
「友達は友達だけど除霊したほうが現世のためだろ」
俺、すっげー適当なこと言ってるな。
でも、良い感じでエロ本のことを誤魔化せてるから話を元に戻すことはしない。むしろこのまま突き進む!
「でもさ、塩駄目ならなんか方法あんの?」
「とりあえず、ファブリーズかけておくか」
シミに向かってファブリーズを吹きかける。
「絶対効かないでしょ」
「除菌もできるんだから除霊もできるだろ」
「菌扱いは無理があるでしょ」
と思ったが、『あああああ』と断末魔の声を上げて消えていく。
「……」
「……」
思わず無言になった。
「こっわ! おにいの部屋こっわ!」
きゃーきゃーと恵は騒ぎ出した。怖がるわりには出て行く気配はない。
「……俺の部屋見て満足したなら帰れよ」
「え、帰っていいの? ほんとにぃ? せっかくこーんな可愛い子が来たのにさー。ただ帰らせちゃうなんておにいの意気地なし。ほんとはもっといて欲しいんでしょ?」
恵はぴったりと俺の胸板にくっついて豊満な胸を押し付ける。
「……それは」
視線を下に下げると、胸の谷間が見えてしまっていた。
とんでもない眼福だ。今年一年のおっぱニウムを摂取できそう。
「んふふふふふ」
視線に気づいた恵が更に笑みを深める。
「ね。もっとすごいことしてあげようか?」
そっと胸に手を這わせる恵。やばい、このままだと向こうのペースだ。相手が恵でなければ、嬉しいのだが、元弟分だった相手に振り回されたままなのは悔しい。
「交霊術とか? それなら地獄からジョブス呼び出してくれ」
「誰? ジョブスって」
「知らないか? スティーブ・ジョブス」
「友達みたいな略しかたじゃん。ていうか、あの人地獄行ってたんだ」
「じゃあ、24時間マラソンとか?」
「すごいけど愛で地球を救う系じゃないし。……もっと違う感じで……って、もういいや」
桃色の雰囲気では無くなったことは確かだ。
「はぁ、とりあえずキッチン借りるからね」
「え、なんで?」
「そろそろ晩御飯作るからに決まってるじゃん」
勝手に決めるなよ。
と思ったが、腹が減っているのは確かだ。
「ふんふんーん」
恵は楽しそうに冷蔵庫を開ける。
「ビールばっかりじゃん。駄目な大人。このアル中」
「うるせーばばあ」
「この子ったら」
お母さんみたいにため息つくな。
「ま、これならカレーくらい作れるかな」
恵は手慣れた動作で牛肉、たまねぎ、ニンジン、じゃがいもを切っていく。
鍋に投入して煮込むと、灰汁を取ってルーを溶かす。
「できたよ」
皿にカレーを盛り付けて、テーブルに並べる。見た目は普通のカレーだ。俺でも作れそうだが、恵は会心の出来だと言わんばかりの笑みを浮かべている。
「いただきます」
カレーを一口。はっきりいって想像通りの味だ。
それでも、家を出てからはご無沙汰だった家庭の味に不覚にも胸が一杯になった。
そういえば、誰かの手料理って何時ぶりだろうな。
仕事仕事で最近はコンビニの弁当ばかりだった。
「……なんとか言ってよ」
黙り込んだ俺を見て、恵は泣きそうな顔をした。どうやら、カレーが不味かったんじゃないかと不安になったらしい。
「悪い。懐かしくて……。美味しいな、これ」
冗談を口に出すことも忘れて、素直な感想が出てきた。
それを聞いて。
「でしょー」
にっこりと笑う恵。不覚にもその笑みにどきりと心臓が高鳴った。
昔はクソガキだったのに。
「早く食べなよ。それとも美味しくて手が止まっちゃった? 食べさせてあげようか?」
いつの間にか手が止まっていたみたいだ。
「ほら、あーん」
恵はスプーンでカレーをすくって目の前に持ってくる。
さっきまでの微笑みとは違う小馬鹿にしたような笑い方だ。
「ぺろっ」
むかついた俺はあえてスプーンではなく、恵の指を舐めた。
「ぎゃああ!」
悲鳴をあげて恵は飛び上がる。
「馬鹿じゃないの!?」
顔を真っ赤にして恵は叫んだ。
「美味そうだったから」
むかついたなんてことは言えない。適当にその場しのぎで言っただけだ。なのに。
「ふ、ふーん。そ、そう」
なんかまんざらでもなさそうだ。
なんで喜ぶのかさっぱりわからない。
まさに乙女心というやつだ。
……乙女か。
俺が知っている過去の恵はどこにもなく、目の前にいるのは美少女の恵であることがようやく認識してきた。
「実はさ。このカレーは欧州風にアレンジしてるんだよね」
「へー、だからか。俺って欧州火属性だから弱点なんだよね」
「欧州風って属性じゃないから」
恵との会話の中でもなんとなく恵の笑顔が頭に残り続けた。
もう一度見たい。
そんなことを考えているうちに気づいた。
あれ、俺っていつの間にか恵のこと気になってない?
「どうしたの?」
考え込んだ俺を見て、恵が首を傾げる。
「……いや、料理できるんだなって思っただけだ」
内心の動揺をぐっと抑えて答えた。
「当たり前じゃん。ていうか、さっき包丁使ったけどさー。ぴっかぴかで使われた形跡とかないんだけど。料理してないでしょ」
「仕方ないだろ。忙しいんだから」
「へー、それなら、よかったじゃん。今度からちゃんとした料理が食べられて」
今度? つまり、また作ってもらえるということだろうけど。
男の部屋に入って手料理を作って、となると、それはまるで……。
「嬉しい? 嬉しいでしょ?」
煽るような言い方だが、今度は不思議と腹が立たなかった。
むしろ可愛いとすら感じてしまう。
「なんか彼女みたいだな」
恵は瞬間湯沸かし器のように一瞬で顔を赤く染めて――。
「は!? 覚えてないの?」
今までのメスガキムーブは消えた恵は俺に詰め寄ってきた。視線が怖いんだけど。
「……覚えてるよ」
「嘘でしょ」
間髪入れずに嘘が見破られた。恵のやつ、昔は単純で騙されやすかったのに。
ますます恵の機嫌が悪くなっていく。
「『彼女みたい』じゃないし!」
「どういうこと?」
恵は背を向けて、
「もういい! おにいの馬鹿!」
――マンションから出て行ってしまった。
「あ、ちょ、ちょっと待てって!」
俺が追いかけるが恵は振り向かず、
「もう来ないで!」
と叫んだ。追いかけないわけにはいかないんだが。
初動の差で距離を取られていたが、恵のペースが落ちてくるにつれて徐々に距離を詰めていく。
……昔に比べたら恵はあまり運動をしていなかったようだ。
その代わりに化粧や料理の腕を磨いたってことだろうな。
「ふぅ……ふぅ……」
完全に体力を切らした恵は道路の端でしゃがみこみ、両手で顔を隠した。
「……ふぅ……ぐすっ……ぅぅ……」
息を整えながらも小さな泣き声が聞こえてくる。
「なぁ、恵」
「おにいの馬鹿! どっかいってよ!」
恵が怒った原因は『彼女』ではなく『彼女みたい』だ。
つまり、『彼女』扱いに怒ったわけではなく、むしろ、『彼女』としてふるまっていたのに『みたい』だと言われたことに怒ったということだろう。
……でも、なんで恵がそういう勘違いをしたのか。
そういえば、昔。
「彼女にしてくれる、とか」
そんなことを言われた記憶がある。
……え、マジか。
つまり、恵は俺の彼女として会いに来たってことか。
「……ぅぅ」
背を向けた恵からは悲しそうな泣き声が聞こえてきた。
「……悪い。忘れてた」
「ひどいひどい!」
恵はすっと立ち上がると、150cmほどの身長を目一杯伸ばして、俺の頭をぽかぽかと叩いた。
さすがに俺が悪かったので、素直に謝った。
「ごめんって」
「大体、おにいはさぁ! こっちが誘惑してもすぐにふざけるしさ!」
「ああ、やっぱり誘惑してたのか」
「……だって、おにいのお母さんからはおにいは恋人出来たことない奥手だから煽ったほうがいいよって言うから」
母さんのせいかよ。
「全然効かなかったけど」
「そんなことないって。……はっきりいってちょっとやばかったよ」
「え、ほんとに?」
「ああ、ふざけないと耐えられなかった。あ、でも、寸止めが多かったからな。ふざけなくてもなんとかなったかもな」
すると、恵は泣き止めて俺を見上げてきた。ん? なんか距離が近いような……。
「ちゅ」
唇に柔らかい感触。
「!? お、お、おま、なにを!?」
「どう? 耐えられない?」
「い、いや、それは」
「あれれ~? 耐えられないって顔してるよ。どうしたのかな?」
コナン君みたいな感じで言いやがって。よく考えれば、コナン君のあの煽り方ってメスガキっぽいよな。
「んぐ」
「いいよ」
恵は照れたように視線を逸らす。
「耐えられなくても。だって、私は子供の頃におにいに助けてもらったときからずっとすきだったから」
――それは反則だろう。こんな可愛い子に迫られてぐっとこないはずがない。それでも耐えてきたのは恵の気持ちがわからなかったから。
俺の気持ちは恵が笑ったときにすでに傾いていた。
今まで耐えてきた想いがあふれ出す。
「ん!?」
今度は俺からキスをした。
驚いた顔をした恵だったがすぐに俺の気持ちに気づき目を閉じた。
――恵が目を閉じる刹那、にやりと笑ったことに俺は気づいた。
そういえば、泣きそうな顔をしていたが、泣いたわけではなかった。
もしかすると、全て演技だったのかもしれない。
だとしたらとんだ小悪魔だ。
「面白い!」
という方は、ブックマーク・評価していただけると励みになります。