第6話 新たな物語の始まり
アーカスが現れた瞬間、僕たちの時間は完全に停止した。サクリさんとファイスさんが命がけで逃してくれたのにすぐに見つかってしまった。
「兵士の名前はねぇ……。やっぱり君たち自身で確かめたほうが良いかもね」
ドサッという重い音とともに、僕らの目の前に何かが投げ落とされた。本能が見てはいけないと訴えかけてきたのと同時に、見なければいけないという思いも湧き上がってきて、それを見てしまった。そこにはかつて兵士さんだったと思われるものがあった。洗脳された仲間の兵士たちの攻撃を一身に受けたようで見るも無残な姿になっていた。
「あぁ……。そんな……」
「変な声あげてどうしたの? しょうがないなぁ、やっぱり代わりに僕が教えてあげるね。兵士ってね、兜や鎧の内側に自分のだってわかるように名前が彫ってあるんだよー? じゃあ兜の方を見てみようか。よいしょっと、えぇと、この兵士の名前は……ファイスって言うんだって! 君も見てみなよ!」
アーカスが放り投げてきた血で赤く染まった兜に、恐る恐る手を伸ばし確認してみると、そこには確かにファイスと書かれていた。僕の命も残り僅かかも知れないけど、ファイスさんの名前を胸に刻むことにした。
「ねぇ、今僕は君なんかのために名前の見方を教えてあげたんだよ? どうしてお礼が言えないの?」
このアーカス王子はコウイチと同じで、どうしても感謝が欲しいらしい、そもそもファイスさんを殺した張本人なのに……もう完全に狂っているよ。
「ふーん、そういう態度なんだね。雑魚のくせに僕の言う事聞かないなんて。そういえばこの娘も最後まで僕に歯向かってきたんだよね」
先ほどと同じ何か重いものが目の前に落とされた。それはボロボロになり羽がもがれたサクリさんだった。それを見た瞬間、今まで必死に我慢してきた吐き気が抑えられなくなりその場に吐いてしまった。
「うわぁ汚い! これくらいでゲロ吐いてんじゃないよー。この死体をここまで持って来るの結構大変だったんだからさ、羽は邪魔だったから途中でもいじゃったけど。魔物とはいえ一応女の子の体に触れるのは初めてだったからね、ちょっとドキドキしちゃった」
数日前までこんな光景を目の当たりにするなんて想像も出来なかった。僕が好きだった平和な世界とは思っていた以上に脆く儚く尊いものだった。
「僕が追いついた時点でこの二人は無駄な犠牲だったということが確定してとても可愛そうなんだけど……どうする? 君たちもこの二人の後追って死にたい?」
僕たちは絶望のあまり何も言葉を発することが出来なくなっていた。
「さっきからほとんどだんまりだけど、君たちちゃんと言葉話せるの? しょうがないなぁ、じゃあ僕が君たちの運命を決めてあげるよ! そこのムカツク君とゴブリンちゃんは……殺さないことに決定! 君たちには特別腹が立ったからね、死ぬより苦しい思いをしてもらいたいんだよねー。だから、ちょっと眠っていてもらおうかな! 何が起こるかは目が覚めてのお楽しみだよ! 君がどんな反応するか観察したいのは山々なんだけど、僕にはこの世界を正常な世界にするという大事な使命があるからね! 僕にいい暇つぶしになってくれた事感謝しておくね」
アーカスが何かの呪文を唱えると、急に強い睡魔に襲われどんどん意識が遠のいていった。いっそ殺してもらったほうが楽になるのではという気持ちが芽生えたけど、そしたら天国でサクリさんとファイスさんに顔向けが出来ないと思い、すぐにその考えを振り払った。目が覚めた時どんな光景が目の前に広がっているのか想像も出来ないけど、この先どんなことが起ころうとも生きて生きて生き抜きたいと強く思った。今までの僕から変わりたいと、変わっていきたいと強く願った。
気がつくと僕は何も無い暗闇の中にいた。ただただ静かで何も無い空間に一人ぽつんと浮かんでいた。これがアーカスの言っていたお楽しみだとしたら、一体どんな魔法を使ったのだろう。こんなところで一人きりというのはとても耐えられない、死ぬより苦しい思いというのはこういうことなのかと妙に冷静に分析することが出来た。
「あなたは……生きていたいですか?」
どこからともなく声が聞こえてくる。どこか懐かしい感じがする女性の声だ。辺りを見回しても誰もいないからきっと幻聴か何かに違いないけど、僕はどうしてもその問いかけにちゃんとした言葉で答えたかった。
「この先どんなことが起ころうとも生きて生きて生き抜きたい! 今までの僕から変わりたい! 変わっていきたい!」
「わかりました。ではあの光を目指して進みなさい。決して振り向かないように、歩みを止めないように」
いつの間にか目線の先に小さな光が現れていた。それは今にも消えてしまいそうで、どこか寂しげな光だった。
「あなたは一体誰なんですか?」
光に向かって歩き始めてから、誰もいないはずの空間に問いかけてみたけど、返事も何も無かった。それからひたすら歩き続け、ようやく光に手が届きそうな時。
「……ごめんなさい」
その言葉だけが小さく耳元で聞こえた。
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「……ここは?」
暗闇の中で光に触れたと同時に、僕……俺は薄暗い部屋で目を覚ました。アーカスに眠らされた時にいた森とは明らかに違う、どこかの建物の中のようだった。まずは自分がいるところがどこなのか把握しようと体を起こすと、何やら不快な臭いがするものが覆いかぶさっていることに気づいた。暗闇にだんだん目が慣れてきてよくよくその物体を観察してみると、それは体の所々が腐って穴が空き、青白い肌をしている噂に聞いたことがあるアンデッドのゾンビそのものだった。
「ぎゃああああああ!! なんでゾンビが!?」
僕はそのゾンビを振り払い無我夢中でその場から逃げ出した。このセルリタにおいて人間と魔族は皆平等に仲が良いけど、アンデッドに属する魔族だけは、人間と他の魔族含めた生きとしいけるもの全てに害をなす存在として恐れられていた。中でもゾンビは人や他の魔族を食い殺すと言われていて、俺も実物に出会うのは初めてだった。せっかく生きながらえたのに目覚めた瞬間、ゾンビに殺されてしまうのは勘弁したかった。
「――――――」
「今度は何!?」
声のような風の音のような何かが後ろから聞こえてきたので、走りながらチラリと後ろを振り向くと、今度は半透明の何かがフワフワと俺を追いかけてきているのが見えた。あれはアンデッドのゴースト。ゴーストは相手に取り憑いてその生命力を奪い取り殺す存在だと聞いたことがある。ゾンビもゴーストもどちらに殺されるのも勘弁してほしかった。
「なんでここにはゾンビとゴーストがいるんだよ!」
無我夢中で逃げていると、道の先にわずかな光が見えた。アンデッドは太陽の光に弱いと聞いたことがある。このまま外に出れば逃げ切れる! と思った矢先、今度は目の前に違うゴーストが現れ道を塞がれてしまった。なんとか生きながらえたのに、こんなにも早く終わりが来てしまう自分の運命を悲観していると、道を塞いでいたゴーストがこちらに近づいてきて、俺を値踏みするように観察した後大きなため息をついた。
「また人間……。天は我らを見放したぁ……!!」