甘い(sweet)音とは?
「村上くん……」
「椎名課長、好きです!」
「ヒューヒュー……」
「やるな、村上」
多少のリップサービスを含んだけれど、出した言葉は紛れもない真実だった。
でも、ある先輩はバンとテーブルを叩き、「ハシャギすぎだぞ」と一喝した。
その後すぐに梶原先輩に声を掛け、宴会芸を強要していた。
その間に田淵先輩は酒を追加注文し、新しいお酒が届いた頃に椎名課長がスッと立ち上がった。
「村上くん。場を盛り上げる為だとは分かるけど、気を遣いすぎよ」
「はい、すみませんでした」
「村上、ごめんな。椎名課長、すみませんでした!」
「良いのよ、梶原くん。ただ罰として、追加のお酒代は覚悟してね」
「うっす!」
椎名課長は一瞬にして、場の雰囲気を引き戻していた。
テーブルを叩いた先輩も、それからは声を荒げることもなく和やかに飲んでいた。
全体的に酒量が上がっているのが、少しだけ心配になる。
俺は特に酒が苦手ではないので、失態を演じないように気をつけて飲んでいた。
周りを見渡してみても、酔い潰れている人はいない。
さすがに、一次会で潰れるような人はいないだろう。
徐々にピッチがあがる場をよそに、田淵先輩は帰る人用の手配を始めていた。
役職以外の細かい上下関係は分からないけど、机を叩いた先輩が締めの挨拶を行っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「課長、ごちそうさまでした!」
「部長から寸志を貰っているからね」
「はい、今日はお先に失礼します」
「二次会も楽しんでこいよ!」
「はい、ありがとうございます」
店の前に横付けされたタクシーを前に、一次会帰宅組が挨拶を行っていた。
ちょっと怖い雰囲気を出した先輩も乗っており、ギュウギュウで乗って帰るメンバーは四名だった。
普段は帰る椎名課長も二次会に行くようで、梶原先輩・田淵先輩以外はかなり驚いていた。
酔い覚ましがてら、二次会会場まで歩いていく。
田淵先輩は申し訳なさそうにしているけれど、カラオケボックスの予約までは少し時間があるようで、急いで行かなければならないならそれほどのミスではないと思う。
挨拶の時間が長引いた場合は、その時間を見なかった幹事の責任になるはずだ。
「俺達は先に行ってるぞ」
「あー……。言いにくいんだけど椎名課長はかなり飲んでいるようだから、ゆっくり合流してくれないか?」
「梶原先輩、椎名課長はお酒弱いんですか?」
「そんな話は聞いたことないな。おっし、田淵行くぞ。みんなもついてこい」
小声で話してきた梶原先輩達は、先に行くらしい。
営業事務の女の子もいるので、チヤホヤしながらエスコートをしていた。
一方椎名課長は、夜空を見ながらボーっとしている。
一瞬、ワイワイ歩き出す梶原先輩達を見ていたけれど、すぐこちらを見てにっこりと微笑んだ。
「まだ時間はあると思う。行こっか? 敦史くん」
「はい、椎名課長」
「んっんー」
「あ、椎名先輩」
「よろしい。では特別に、一軒お店を紹介します」
「良いんですか?」
「一杯だけだから大丈夫よ。それとも、私のお酒が……」
「それって良いのですか?」
「上司命令なら問題だけど……。さっきの告……」
「と、とりあえず、行きましょうか」
今日の椎名先輩は、野暮ったいメガネをしていた。
今はそのメガネを仕舞っていて、すっと手を差し出してきた。
「カラオケの場所は分かりますが、お店は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。一本道だから」
椎名先輩の手を軽く握ると、二往復ブンブンと振られた。
それが俺をリラックスさせるのが目的か、はしゃいでいるのかは分からない。
それでも椎名課長の手から気持ちが溢れているようで、短い距離だけど幸せな気持ちがしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
到着したのは、オシャレなバーだった。
カクテルを一杯だけという約束で、軽めのショートドリングを頼む。
何故か椎名先輩がロングドリンクを頼んでたけど、一杯だけならば多分大丈夫だ。
「敦史くん。ちゃんと飲んでる?」
「はい、戴いてます。椎名先輩は大丈夫ですか?」
「さて、問題です。私は酔っているでしょーか?」
「えーっと。酔ってはいるけど、意外としっかりしていると思います」
「ぶぅぅぅぅ、正解です」
「どっちなんですか?」
「あっ、今時計見た。いーけないんだ、いけないんだ」
「先輩たちが待っていると思ってつい……」
こちらのグラスは底に数ミリ残っている程度で、椎名先輩のグラスは1/3残っていた。
酔っているか酔っていないかで言えば、確実に酔っていると思う。
でも、ここまで来る足取りは問題なかったし、カクテル一杯が追加になった程度で……。
「ねえ、敦史くん。さっきの……」
「え? 何ですか?」
「本当に……私のこと……、すいとーと?」
「え? スィートって?」
「……んー、もう何でもない。さっ、行くわよ!」
急に残りのお酒をスッと飲み干して、椎名先輩は立ち上がった。
その姿はシャキッとしていて、酔っている雰囲気を微塵も感じさせない。
ただ頬の赤さだけが何だか可愛くて、さっきのスイーツ宣言が〆の甘いものを欲しているのか謎が謎を呼んでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二次会のカラオケは大部屋を借りており、6名にしては広すぎる部屋だと思った。
合流したタイミングは絶妙で、まるで椎名課長が計算しているかのようだった。
こっちは一杯飲んで来たので、三次会……あの一軒を入れるか入れないか微妙なので、2.5次会としておこう。
受付カウンターにもたれ掛かるようにしている田淵先輩をよそに、梶原先輩が労いの言葉をかけてくれた。
「おかえり、村上。そのまま消えても良かったんだぞ」
「梶原先輩。そういうのは小声じゃなく、みんなに聞こえるように……」
「はぁ。田淵と違って、揶揄い甲斐のない奴だなぁ」
「椎名課長にも叱られましたから。それで、こちらは大丈夫ですか?」
椎名課長はフレンドリーに営業事務の女の子と話しており、田淵先輩は合流に気が付いて小さなカゴを持ち戻ってきた。
六名で目当ての部屋に向かうと八人~十人が使うような広い部屋に、一番奥が椎名課長で何故かその隣に俺が座ることになって、田淵先輩が出入り口でドリンクの注文を始めていた。
話題の一曲目を梶原先輩が入れると、二曲目は田淵先輩の微妙なアイドルソングが入ってくる。
「椎名課長も順番ですからね」
「分かったわ」
「敦史、早めに歌った方が得だぞ!」
「はい、選んでおきます」
三曲目は営業事務の女性が熱唱系を入れ、その後に先輩は子供番組系の歌謡曲を歌っていた。
この感じだと椎名課長は一巡目ラストになりそうだ。
俺はアゲアゲな曲を選んでおり、予約を完了しておいた。
すぐに椎名課長が予約をしたところを見ると、俺の歌を見てから入れたと思う。
「テッテテッテテレレレレー」
「「「「「アッフー」」」」」
この中で一番上でも三十代中頃だ。
どうやら全員が分かるようで、台詞つきの歌は正直恥ずかしいけど、そこそこ盛り上がったようだ。
その後の椎名課長の歌は静かな熱唱系とでも言うべきか、とても迫力がありながら涙を零しそうになる歌声だった。