連絡先とは?
この話で折り返し地点となります。
引き続きお付き合い頂けたら嬉しいです。
皆さまのご意見、ご感想をお待ちしております。
「椎名先輩、俺……」
「ちょっと、淳史くん。みんなが見てるよ」
いくらテーブル席についていても、お昼時ともなれば混雑は避けられない。
Sから時間がないと聞いていたので、焦りすぎたのだろうか?
先輩とは向かい合って座っているが、二人とも蕎麦を食べる手が止まっていた。
「その話は後でしましょう。とりあえず、フリーとだけ言っておくわ」
「本当ですか?」
「今日は外回りの初日よ。余裕ぶっていられるのも、今のうちだけだからね」
「あー、そういうつもりではなかったのですが……」
周囲からのチラ見が、段々と減ってくる。
蕎麦屋だけあって客層は高めだけれど、その中にも一定層の若者は存在していた。
二人で蕎麦を完食して営業先を回った後、15時くらいを目安に帰社することになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おかえり、敦史。どうだった?」
「あっ、田淵先輩。やっぱり椎名課長って、凄い人なんですね」
「ほう。どう凄かったのか、俺にも教えてくれよ」
「梶原先輩! それは俺の役割ですよ」
「後輩の面倒を見るのは、先輩みんなの仕事だぞ。それで村上から見た、椎名課長の凄さを教えてくれ」
いつの間にか俺を、田淵先輩と梶原先輩達が囲んでいた。
立って説明した方が良いのかなと腰を浮かそうとすると、周りにバレるからと肩を押さえられてしまった。
一人に四人が囲んでいる時点で、バレるも何もないと思うけれど……。
とりあえず訪問先でどんなことをしたのか、梶原先輩を中心に報告することにした。
椎名課長は見た目が堅いのに、客先をズンズン進む姿に各所から声が掛けられていた。
仕事の話はもちろん美容・流行に、担当者の子供やペットの情報まで話題に事欠かなかった。
それがとても自然で、しかも相手がサボっているように見せないあたり、話の持っていき方が上手かった。
時々聞こえる、椎名課長の下の名前。
それが『瑞希ちゃんコール』であり、小さく・でも相手に届くように振る手は、ファンを増やしているようにも見えた。
「まあ、一言で言えば『人タラシ』だな」
「あれで彼氏の影も見せないってことは……」
「不思議と、口説かれたって話は聞かないんだよな」
「そうなんですか?」
「『高嶺の花』って奴でしょうか?」
「田淵は、そう思うのか?」
「いや、目の保養にはなりますけど……」
「そうだな。ある意味、現実的じゃないのかもな」
少し離れたところから、椎名課長がこちらに向かってきた。
ゼスチャーで異変を伝えると、少しずつ散っていく梶原先輩達。
一人腕を組んで『うんうん』と頷いている、田淵先輩だけが残ることになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「田淵先輩、すみません」
「いや……、かろうじてセーフだった」
「いや、アウトだろ? まあ、順当に行けばお前の仕事だったけど」
「そんなぁ、梶原先輩。助けてくださいよ」
スタスタやってきた椎名課長は、俺と田淵先輩の所で「話に華が咲いているわね」と声をかけてきた。
一人だけ気がつかなかった田淵先輩はしどろもどろになり、そのまま新しい仕事を仰せつかっていた。
それは新人歓迎会の幹事であり、このチームに配属になった俺を祝うものだった。
ざっと10名くらいの宴会だけど、色々気を使うことは多いらしい。
田淵先輩がカタカタ書類を作成している間、俺は今日の営業先の印象を報告書に残していた。
社名・担当者・見た目の年齢・性別・印象など、確定事項と予想事項を分けて記していく。
これについては、正解とも不正解とも言われることはないらしい。
後々担当になった時、笑い話にでも出来るように目を養うのが目的のようだ。
「おっし、一斉送信!」
「田淵先輩、もうですか?」
「あぁ、こういうのはテンプレがあるんだよ。後は前任者から、よく教わること」
「ということは、これもデータで残しておくべきですね」
「そういう所が評価されるんだな」
田淵先輩は感心していたけれど、もう企画書を作成して社内メールを回している。
その内容を確認してみると、元になる雛形があるとはいえ、こんな短時間に仕上がるものではないと思った。
今週末に行う俺の歓迎会の為に、チーム一丸となって仕事を早く仕上げようと書いてあった。
この後メンバーの確定・飲酒の有無・アレルギー他など、色々な手配が待っているはずだ。
「敦史の予定が一番先だな。強制ではないけど、大丈夫か?」
「はい、喜んで参加させて頂きます」
「食の好みとかはあるか? 今回は、新人を持て成すのが目的だからな」
「特にはないです。あ、アレルギーも。田淵先輩は、何をリクエストしたんですか?」
「あー、あの頃の俺は空気が読めなくてな。船盛を食いたいって言ったわ」
新人歓迎会は会費制で、俺は出さなくても大丈夫なようだ。
参加者のトップは椎名課長で、その上からは寸志が出るらしい。
限られた予算から、店を選ぶのは大変だと思う。
田淵先輩がリクエストした船盛は、かなりの豪華さだったようだ。
梶原先輩がこっそりやってきて、その時の宴会風景をスマホで見せてくれた。
「あの時は、無理を言いました」
「それで、村上はなんてリクエストを?」
「あ、俺好き嫌いないので」
「まぁ、普通そう言うよなぁ」
今日はまだ月曜日、週末まではまだ遠い。
見たところ椎名先輩に異変は……、正直判断するのは難しいところだ。
あの行動が本来のものか、『乙女回路』が働き出したのかは正直分からない。
ただ言えるのは、椎名先輩は仕事で『女』を武器としていないことだった。
梶原先輩は田淵先輩をいじり倒し、「村上のこと見習えよ」と言っていた。
報告書は田淵先輩に提出する。この会社は、横と縦の繋がりが凄いと思う。
アドバイスは的確だし、見ていない所を指示出来るのは、誰でも出来ることではない。
今日の目標は、後一回椎名先輩に会って連絡先をゲットすることだった。
「はぁ、難題だなぁ」
「村上なら余裕じゃないか?」
「梶原先輩って、敦史の評価高いですね」
「それだけ期待してるってことさ」
ゆるやかな職場でも、誰も注意したりはしない。
それぞれ、時間の使い方が上手い証拠だ。
それは息抜きのやり方も含まれているんだろう。
「じゃあ、これで椎名課長に提出してみたらどうだ?」
「あ、はい! 田淵先輩ありがとうございます」
「村上、週末まで仕事頑張れよ。折角の歓迎会だ」
「はい! 頑張ります」
「敦史。一芸の発表があるかもしれないから、何か用意しといてくれ」
椎名課長の席まで歩き出した俺に、田淵先輩が不穏な言葉を残していった。
宴会芸なんて、寒いコンパでしか経験したことがない。
歌は人並みには歌えるけれど、多分そういう店では歓迎会をやらないはずだ。
椎名課長の席までたどりつき、今日の報告書を提出する。
忙しそうにしている課長に、プライベートな質問を出来る雰囲気ではなかった。
「どうだった? 敦史」
「特に見ないで受け取っていました」
「そっちにも信用されてるってことだ。そういえば聞いていたアドレス、グループ登録していいか?」
「週末用ですね。はい、お願いします」
田淵先輩の素早い操作に、グループ内からは「ようこそ」や「Welcome」の文字が流れ出す。
その中の一人に、しっかり椎名課長の名前が残っていた。