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発症とは?

 職場に戻ると、すぐに椎名課長を見つけることが出来た。

いつものキリッとしたスーツに、何故か野暮ったいメガネ。

たった一箇所違うだけで、こうも印象が崩れてしまうものか……。


淳史あつし、見すぎ」

「そういう先輩こそ……」

「まあ、そういう時もあるわな。仕事に支障はないだろ?」

「そうですね。先輩、今日も宜しくお願いします」

「田淵、村上。課長が呼んでるぞ!」

「「はい!」」


 親指で「会議室だ」と指示を受け、田淵先輩と一緒に歩き出す。

中には椎名課長がいて、今日の予定変更についての連絡だった。


「それで田淵くん。村上くんは、大丈夫かしら?」

「はい、研修では優秀な成績でした。そろそろ、お客さまに挨拶させようとしていた所です」

「分かりました。では、今日は私について貰います」

「えっ……?」


「何か問題でも?」

「いいえ、大丈夫です。敦史、頑張れよ」

「んっんー」

「あっ、村上くん……。えーっと、頑張ってくれたまえ」


 急に挙動不審になった田淵先輩は、変なエールで俺のことを応援して退室していった。

ドアが閉まった瞬間、椎名先輩・・・・がクスッと笑った。


「良いかしら? 敦史くん」

「椎名課長……。いえ、椎名先輩」

「何かしら? 敦史くん」

「いえ、何にも……。あっ、そういえば、何か変わった事はありませんでしたか?」


 メガネが変わっている事以外、椎名先輩におかしな所はないと思う。

そのメガネも一言で言えば、度が合ってないように感じていた。


「先週の心配をしてくれたのね。ありがとう、特に何もないわ」

「そう……ですか」


 Sに散々脅されたけれど、必ずしも『乙女回路』を埋め込まれている訳ではないと思う。

視線がメガネに行ったのが分かったのか、そっと外して潤んだ瞳でこちらを見てきた。


「じゃあ、接客用語を大きな声でね」

「あっ、はい?」


 一瞬、スイッチが入ったのかと身構えてしまったけれど、求められたのは研修で学んだことだった。

メガネをしている人がメガネを外したんだから、すぐにピントが合わないのも当たり前だ。

その顔を惚けて見てしまいそうになるのを、咳払いをして正気に戻すことが出来た。

『おはようございます』から順番に、椎名先輩に伝わるように大きな声で届ける。

頷いている先輩は静かに上着を脱ぎ始め、接客用語が終わる頃にブラウスのボタンを上から二つ外していた。


「椎名……先輩?」

「接客用語は問題なかったわ。次は名刺交換よ」

「あっ、はい!」

「あら、何かおかしな事でもあった?」


 期待……、していないと言えば嘘になる。

だけどここは会議室。制限時間30分で……いやいや、そういうことじゃない。

今、大きな声で接客用語を言わせたのは、会議室の外向けに対するアピールのはずだ。

じゃあ、何でブラウスのボタンを二つ外したのか? それは、すぐに分かった。


「村上と申します」

「頂戴いたします」


 たった、これだけの名刺交換なのに……。

なるほど……。顔を上げた瞬間、椎名先輩は合格点を出してくれたようだ。

最後にもう一度、接客用語を大きな声で披露している間に、椎名先輩は身支度を整えていた。

自覚症状は出ていたのだろうか? 少なくとも、お互いに凝視することはなかったはずだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あっ、俺が運転します」

「じゃあ、お願いね」


 出掛ける時に、「まだ早いんじゃないか?」とか「課長に迷惑を掛けるなよ」と言われたが、田淵先輩は「しっかりやれよ」と送り出してくれた。

カバンと名刺を武器に、営業の雰囲気を確かめるのが目的らしい。椎名先輩の指示で車を走らせた。

一軒・二軒と回り訪問先をメモ帳に残し、途中でメガネ屋さんに寄る。

外回りをしている時は、裁量を個人に任せているらしい。今回の寄り道は、十分許容範囲のようだ。


 椎名先輩が物色している間、長椅子に座って『訪問先で、どんな話をしたのか』メモを読み返す。

運転前後に軽くまとめる時間を取ってくれたので何度も見直す必要はないけれど、メガネを選んでいる椎名先輩が可愛すぎて……ついつい凝視してしまいそうになる。

極力見ないようにして、選んで貰えたら良いと思っていた。


「これなんてどうかな? 敦史くん」

「えっ?」


 油断していたらこれだ……。

椎名先輩は最終候補の3本を持ってきて、俺の前でファッションショーを始めるようにスチャっと装着し始めた。

メガネを外した容姿は甘さが残り、普段のメガネ姿では出来るビジネスマンを演出している。

そして最初に見せてきたメガネは赤のフレームで、家庭教師風のいけない作品を醸し出していた。


 おのずと目が合う。しかも、椎名先輩の瞳のとろけ具合がヤバい。

考えてみれば、度が合っていなさそうなメガネをしていたはずだ。

どれだけ見えていたかは分からないけど、クリアな視線で椎名先輩が俺を見たのは、あれ以来初めてかもしれない。

『乙女回路』の影響が出たのか? そもそも、それに罹っているのか?

心配なので、思わず立ち上がって身構えた。


「一緒にお店に入ったんだから、見てくれないと困るなぁ」

「あっ、すみません。とても……とても……」


 椎名先輩が距離を詰めてきた。

会話をするには十分な距離にいたのに、少し息遣いがヤバくなってきて……ヤバいって何だ?

歩みを止めない椎名先輩が、真正面からしな垂れかかってきた。

その体を受け止めて、小さな声で「大丈夫ですか?」と囁く。


「お客さま?」

「あ、すみません。少し貧血気味のようです」

「大丈夫ですか?」

「少し椅子を、お借りします」


 呼吸が荒くなっている椎名先輩から、メガネを取り上げ一旦店員さんに返却する。

すると不思議なくらいに徐々に落ち着いてきて、店員さんが右往左往している所で「大丈夫なようです」と伝えた。


「椎名先輩、メガネはどうしますか?」

「そう……ね。いつもと同じような物を選ぶわ」

「そういえば、あの時のは?」

「メンテナンスして貰っているの。折角だから、スペアを作ろうかなって」


 椎名先輩はスタスタと店員さんの所まで行き、ガードが固そうなタイプのメガネを選択していた。

「後で取りに来る」と言い会計を済ませ、次の一軒訪問した後お昼休憩を挟むことになった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「本当に、お蕎麦で良かったの?」

「ええ、最近運動不足でしたから」

「お蕎麦じゃ、運動の代わりにはならないわよ」

「じゃあ、サラダだけにしましょうか」

「女子か!」


 さすが椎名先輩、ツッコミまで出来るとは思わなかった。

社内でも空気が張り詰めているとか、冗談を言ってはいけない雰囲気とかはない。

そもそも対人関係が苦手で、若くして課長まで登ることは出来ないと思う。


「そういう先輩だって、サラダ蕎麦じゃないですか!」

「ここはバリエーションが豊富なのよ。冷やし中華と思えば、それほど変り種ではないと思うけど?」


 俺は天せいろを前に、音を立てずに蕎麦を楽しんでいる。

こういう場合『音を立てるのがマナー』かもしれないけど、国際化が進んでいるので気をつけるに越したことはない。

あまり多くない量を手繰たぐりながら口に運び、途中で噛み切るような見苦しい真似はしなかった。


「それで、話って何かしら?」

「はい……。あの、先輩って……パートナーはいますか?」

「……遠まわしすぎて、何を言っているのか……」

「じゃあ、ストレートに聞きます。彼氏や将来を約束している人はいますか?」


 度が合っていないメガネの奥でも分かる、驚いた顔だったと思う。

……それでも聞かずにはいられなかった。

これは俺の誠意でもあり、もし成功したなら別れなければいけなくなるからだ。

行くも地獄・戻るも地獄なら、せめて先輩の事を一番に考えたいと思う。


 これからする告白。

蕎麦屋でするのも、ありなんじゃないかなと思いながら、まずはリサーチを再開した。

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