その女性とは?
全十話の短編です。
毎日更新を予定しておりますので、皆さまに楽しんでいただけると嬉しいです。
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一個下の彼女は気が多い性質なせいか、就活の時期に会えない日が続いたことから、良からぬ噂を聞くようになった。
「○○と一緒にいる所を見たよ」とか、それ以上の事も……。だからお互い挨拶するように会って、挨拶するように別れた。
今になって思えば、それほど好きではなかったのかもしれない。
縁が切れても惜しいと思わなかったあたり、俺も随分冷たい奴だなと自己分析をしていた。
四月に入社し研修を経て、五月六月は先輩に付いて学んでいく。
昨年入社した人が指導員になるのが慣わしのようで、それを統括するのが椎名課長だった。
椎名瑞希27歳女性、身長は170にギリギリ届かないくらいの痩身、トレードマークのメガネは家庭教師風で是非ともゲフンゲフン。会社の上司を、そういう目で見るのは良くない。
鋭い眼光にショートボブ、化粧っ気がないのかノーメイクと聞かれることもしばしばのようだ。
「淳史、見すぎ」
「あっ、すみません。でも先輩、見ちゃいませんか?」
「まーな。椎名さんは、若くして課長に選ばれたエース。でもな……、結構上がれる奴は早い会社だぞ」
「そうなんですか?」
「あぁ。じゃあ、そろそろ時間だから頑張ってこい!」
「変わった会議ですよね。あっ、ご指導ありがとうございました」
手をヒラヒラというよりかは、フラフラっぽく振っている田淵先輩。
これから始まるのは『新人の育て方』という会議で、椎名課長を中心とした六名+年配者から一名・新人から一名が書記で出るらしい。俺の担当は誰が何を言ったか書き写し、年配者は議事録を作成する。
その後に田淵先輩監修のもと、議事録の書き方を学んでいくようだ。もちろん俺に発言権はなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
会議室でのルールは各種ある。基本的に、お茶は自分で入れるか新人が入れる。
女性だからと言うと、今の時代は一発でアウトな事例はいくらでもあるらしい。
それでも戦力にならない分、気を使うのが新人の役割だ。
外から立って覗き込まない限り、見えないようになっている会議室で、所定の位置に座ると会議がゆるやかに始まった。
六名はまるで討論をしているように、意見が真っ二つに割れていた。
新人擁護派は、「今まで先輩や上司に迷惑を掛けたのは一緒」とし、否定派は「出来る奴を優先的に引っ張っていく」と、早くも選別の矢面に立たされているようで身につまされる。
『それを年配者や新人の前で言うのか?』と思っていると、年配の男性はニコニコと温かい目を向けていた。
会議室のルールとして『制限時間30分』があり、事前にどれだけ用意し、考え・まとめるかが試されているようだ。
そして鶴の一声というかインフルエンサーというか、椎名課長がカッコいい言葉で〆た。
「新人とは玉石混交のような物です。『原石の大きさを評価するのか? それとも特色を評価するのか? 輝けるようにカットするのか? それとも品質を上げるのか?』 私達は職人であり、正しく売り込む商人でもあります。だから、まず私達が成長する姿を見せ、目指すべき存在であり続けることで後続の成長を促しましょう」
まるで称えるように拍手が起こり、丁度30分のタイマーの音が鳴り響いた。
年配の男性は、「緊張しただろう? これが我が社の会議だ!」と優しく俺の肩を叩き、田淵先輩に議事録を渡していた。
こっちは走り書きで追うのが精一杯なのに、あの男性は提出バージョンで仕上げたようだ。
喧々囂々(けんけんごうごう)とした会議を想像していただけに、一人一人のレベルの高さを思い知らされた会議だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
GWウィークも過ぎて、落ち着いてきた六月。社会人になって寮生活を送っていると、どうしても生活は単調になってくる。
週休二日で比較的ホワイトな職場だ。多少、残業は多いとは聞いているけれど、新人の内から残業を強制されることはなかった。
土曜日はブランチがてら11時頃に食事をして、ビデオでも借りてくるのがいつものパターンだ。
彼女と別れてからかなり経つ。一人でいるのは寂しくないと言えば嘘になるけど、よりを戻すのだけは違うと思っていた。
「学生時代なら、『パンを咥えた女の子と、曲がり角でぶつかる』とか考えるんだろうなぁ」
口に出してしまって、慌てて周りを見回す。誰もいないのが分かっている上での発言だ。
丁度すぐそこが曲がり角なので、スパイ気分のふざけ半分で、こっそり覗き込むことにした。
たとえ女の子とぶつかっても、恋に落ちるだなんて思ってはいない。
現に曲がり角の先には…………、怪しい戦闘が繰り広げられていた。
(何が起きているんだ……)
地面に横たわっているのは女性?
すぐ近くには黒のスカートに白いブラウス姿で……目元に紫の仮面舞踏会にでも行くようなマスクをしている女性がいる。
その二人を囲むように、三人の黒いスーツ姿の男性がサングラス姿でニヤついていた。
カメラも無ければ、スタッフらしい人もいない。映画で言うならば、『M○B』だろう。
こういう時は警察だろうか? 救急車だろうか? そもそも何て連絡すれば…………うん、見なかった事にしよう。
怪しい光線銃は大げさだとしても、見ず知らずの人の為に、わざわざ首を突っ込む必要はない。
最後に見たのは女性の回し蹴りで、男達のスーツには足跡らしきものがついていた。
肩で息する女性は拳を軽く握り、リズムを取っているようにも見えた。
壁を隔てて、こちらから見えてないなら、相手からも見えていないはずだ。
足音を立てないように、ゆっくりゆっくり下がろうとすると……。
「良いのかしら? 目撃者が増えてるわよ」
「チッ……」
「まあ、良い。目的は果たした」
「行くぞ!」
「逃がすと思っているの?」
なんでわざわざ、こちらに聞こえるように言うのだろうか?
それでも反対方向に走っていくので安心していると、何故か壁の向こうが気になってしまった。
好奇心はネコを殺す。……この言葉って、何が語源なんだろう?
そーっと半身を出す。すると仮面の女性が何故か残っていた。
「そこの君、この女性をお願い。私はアイツ達を追わないと」
「え……ちょっと!」
「後で連絡するわ。じゃーね」
口ぶりだけで言えば、今の女性が正義の味方だろう。
紫のラメ入りマスクさえしていなければ……。いやいやいや、今のは何だったんだろう?
とりあえず、横たわっている女性の具合を確認しないと。
「えっ? 椎名課長?」
「……んっ、ふー」
正座をするように膝を地面につけ、椎名課長を抱き起こそうとしている所で覚醒したようだ。
若干寝ぼけているようにも見えるけど、徐々にマブタが開き、こちらを見つめる視線が……潤んでいた。
(眼鏡がないと可愛いな……。あ、そうじゃない)
何も気にしないで起こしてしまったけど、見た感じ怪我をしているようには見えなかった。
こういう時は、不用意に起こしてはいけないと知っていたのに……。
頭の先から徐々に目線が下がって行き、一瞬止まりそうな箇所を強靭な意志でスルーする。
椎名課長が寝ぼけている分、助かったかもしれない。女性は見られている箇所を、敏感に察知しているはずだ。
「椎名課長……、大丈夫ですか?」
「んっ……、え? 村上くん?」
「はい、村上敦史です。怪我はないですか?」
「わ、わたし……何かあったの?」
何があったか、説明する術を持ち合わせてはいなかった。
きっと『何か』はあったんだろうなとは思ったけれど、何かが起こった後なのは確かだった。
周囲を見ても誰もいないということは、交通事故の類ではないと思う。
衣服の乱れ……ごめんなさい、邪な考えではありません。
さっきの女性より、衣服の乱れは全然ないと思う。
休みの日なのに、きっちりかっちりしすぎている方だと思った。
少しだけ離れた場所に落ちているメガネを拾う。
あまりにも潤んだ瞳の目力が、別の意味で破壊力があったからだ。
「ここで倒れている所を、介抱している人に会いました。課長のことを知っていたので、託された感じです」
「ありがとう、村上くん。休みの日なのに、ごめんね」
「謝らないでください。それで課長は、こんなところで何を?」
大丈夫そうなので、ゆっくり起こして埃を払いながら立たせた。
『ふらついている』ということもなさそうだし、起こした後で見えない箇所も確認したが外傷もないようだった。
「(急に触れて……。いえ、ただの介助よね)」
「え? 何か言いましたか?」
「いいえ、大丈夫よ。それで……えーっと」
「あ、先輩……食事は済ませました? 帰るにしても、少し落ち着いてからの方が良いんじゃ?」
「(も、もしかして私のことを心配?)え、えぇ……そうね。じゃあ、お礼に私が奢るわ」
「いえ、こういう時は男が出すものです。気分を変える為にも、少し歩きませんか?」
「村上くんが、どこに連れて行ってくれるか興味があるわ」
「大したところじゃないですよ、椎名課長」
「その『椎名課長』って気になるなぁ。せめて、『椎名先輩』にしない?」
「なら俺のことも、『村上』か『敦史』の呼び捨てにしてください」
「今時、周りが五月蝿いのよね。社外なら良いわ、敦史くん」
「そういうことなら、椎名先輩で」
一応周囲を確認し、怪しい組織や女性がいないか辺りを見回した。
よし、さっきのは見なかったことにしよう。それが心の平穏を保つのには必要なことだと思う。
距離感が若干近くなったので、手作り風で有名なハンバーガー屋に椎名先輩を連れて向かうことにした。