第七章 日常とその先に
僕等三人は先に教室を出た。教室には黒岩先生と生徒達だけが残った。もしかしたら彼等には彼等の絆みたいなものがあるのかもしれない。僕は先生を見る。先生はいつもと同じ表情で歩いている。
「黒岩先生は改心したんですかね?」
先生は両手を軽くあげ、首を傾げる。
「さぁ?どうせ次の日には今度の生け贄は晴明様くらい言ってますよ。」
後ろから晴明さんが嫌そうな顔でついてくる。
「そりゃ嬉しいね。」
とことん先生は黒岩先生を信用していないのかもしれない。
「先生、これからどうするの?」
その質問には晴明さんが答えた。
「仕方ねぇ。あいつに聞いてみるか。」
僕がここに来るのは二度目だ。あの時は何もわからなかったけど今ならこの大の男二人組が少し身構えるのもわかる。
「おぉーい……。」
晴明さんは小さな声で声をかけながらノックをした。
「どなた?」
扉が開くと甘い匂いと長い髪。天照さんが顔を出す。晴明さんと先生の顔を見た瞬間扉を閉めた。
「うぉい!何で閉めるんだ!」
晴明さんが扉をドンドン叩く。
「あんたがその顔してるときは何か厄介ごと抱えて手を貸して欲しい時だからよ!」
扉の向こうから怒鳴り声が聞こえる。
「あー、読まれてますね。」
先生が呟く。
「椎名ぁ!さっさとそれ持って帰りなさい!」
「嫌ですよ。」
「あんたねぇ!」
僕は扉の向こうにお願いする。
「お願いします!御厨君が扉を開けに行ってしまったまま帰らないんです!どうしたらいいですか!?教えてください!」
僕は思わず下を向いて唇をかんだ。
「貴女の後輩なんです……。」
しばらく静かな時間が流れた後、天照さんがそっと扉を開ける。
「それ、かなりの問題よ?もしかしたら手遅れかもよ?」
少し溜息をついて天照さんが僕達を中に招く。天照さんは僕達を椅子に座らせ紅茶を淹れる。そして自分も座ると僕を見て間を置いた。
「ちょっと説明するわね。悪魔のいる世界とこの世を繋ぐ扉は一度開けるとそのままあちら側の悪魔に喰われてしまってもおかしくないの。言ってる事は解るわね?」
僕は頷く。そりゃそうだ。悪魔一匹でも人をいくらでも簡単に喰える力があるのにこちらから来た餌を逃しはしないだろう。
「道は一つでは無いからもしかしたら一生探し当てられないかもしれない。」
あぁ……絶望的だ。
「彼が帰って来られる確率の方が探し当てる確率より高いかも。何もしなければこちら側の道にしか繋がらない訳だし。実際はどこに出るかわからないわけだけど。」
つまり扉は一つ。帰る道は無限にある。どこに出られるかわからない。まるで……。
「まるで神隠しよね。」
僕の先を天照さんが呟く。『神隠し』。相手は『神』ではなく、『悪魔』だが。
「僕は何もできませんか?」
僕はどうにかして彼を取り戻したかった。天照さんは困ったように先生を見る。
「できなくはないけど……。」
晴明さんが先生を肘でつつく。
先生は少し溜息をつく。
「あまり気は進みませんねぇ。」
僕等が次に向かったのは黒岩先生の場所だった。
「黒岩先生!儀式のやり方、教えてください!」
同じ場所、同じ方法ならもしかしたら同じ道に辿り着けるかもしれない。
「あと御厨君の私物を貸してください!」
黒岩先生は少し考えて、生徒に指示を出した。椎名先生は形代を一枚取り出すとふっと吹く。可愛らしい狐がぴょんぴょんしている。狐の額に札を貼り剣印の法にて印を組む。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女。」
狐が大きくなり、金色に光る。
「急急如律令、汝御厨なる者見つけ出し守れ。」
生徒の持ってきた御厨君の私物を置く。狐は周りをうろうろしている。晴明さんと天照さんが狐に札を貼りエネルギーを編み込んでいく。僕も真似をしてエネルギーを編み込んでいく。御厨君の無事を祈って。
狐が高く一声鳴くと、黒岩先生の儀式で開いた道の中に飛び込んで行く。黒岩先生は見届けると道を閉じた。
「これでできることはやったな。」
晴明さんはその場で座り込んだ。椎名先生は未だに浮かない顔をしている。
「上手くいけばよいが……。」
その言葉に不安を覚える。聞けば見つかるか見つからないか五分五分。見つかっても生きているかどうか。そして生きていても連れて帰って来られるか。可能性は無くはないが、希望を持てるような状況ではない。
「心の準備はしておいて下さいね。」
先生の言葉が頭の中をぐるぐる回っている。人が死ぬ事を覚悟なんてできない。したくない。
「諦めたくありません。」
僕は先生にそれだけ言うと背を向けた。天照さんはにっこり笑って僕の頭を撫でた。
「いいのよ。諦めない心こそが、その言葉がもしかしたら御厨君を救うかもしれないんだから。」
晴明さんは先生の肩をぽんと叩いた。
「お前は心配しすぎなんだよ。あまり考えすぎるな。できる事はやった。」
晴明さんが先生の耳元で囁いたのが聞こえた。
「それにな、死ぬ覚悟ができるのは本人だけだ。病気だろうとなんだろうと失う時に覚悟ができる奴なんていねぇ。わかってても心は崩れるもんだ。わかってるだろ?」
そして振り返り言うのだ。
「いい生徒じゃねぇの。なぁ!椎名!」
その後は日常生活に戻った。先生は暇な折を見ては何かを調べて頭を抱えていたが、ある日からそれもやめて普通の生活に戻った。一度だけその事について聞いてみたが、先生はただこう言っただけだった。
「そういう運命なんですよ。」
全くわからないが、こういう時先生はそのあとを聞いても答えてはくれない。そのうちわかるだろう。日常に戻った晴明さんを見ていると、『五芒星』より仕事を請け負ってはこなしているようだ。たまに連れていってもらいつつ、少しずつ戦いの基礎を学んでいく。弱いものなら倒せるようになった頃、僕は二年になった。そして一つ新しい事を覚えた。
『式神』だ。
「本人の力がもろに影響されますから、心技体どれが欠けてもだめです。」
最初に念をおされた。
「式神には大きく分けて『作る』と『使う』があります。」
他の分類もできるが、要はあるものを使うか自ら作り出すかだ。
晴明さん式お守りや先生の出した狐なんかは元々あるものでは無く、形代に依ってエネルギーを固めた『作る』方の式神。エネルギーの塊なので一般には見えない事も多い。これにプラスして何かで外殻を作ると見える式神になる。もう一つは戦って勝つとたまに仲間にできる使役だ。つまりは某ゲームで仲間になりたそうに見ているってやつ。見ないけど。晴明さんはほとんどが解いてしまうので使役するような相手は少ないが、残念な事に先生は力で瀕死まで捩じ伏せる事が多かったようで使役する相手も多いのだとか。
晴明さんに聞いたら変な顔をされた。
「俺より弱い奴を使役したところで役に立たねぇよ。」
うん、なんか納得。先生がそれを見て嫌そうな顔をしている。
「物量がものを言う時もあるんですよ?」
それも一理ある。単純に晴明さんは余計な所にエネルギーを割きたくないのだろう。
「使える奴なら使うよ。」
けろりとした顔で煙草をふかしている。
僕は一年のあの日作り出した狐を思い出していた。あれは初めて僕が作った『式神』なのだ。すぐに消えてしまう程度の力だった僕が今どんな力があるのか試してみたくなって形代を手に取る。前よりも長く……大きく。深呼吸して心を落ち着ける。今の僕なら前よりも立派な『式神』を出せるはず。それだけの勉強はしてきたはず。そう思って形代を手に乗せた。そして目を閉じる。
目を開けて見たその生まれた『式神』は長く大きかった。胴が。どうなってんの?これ。先生は事も無げにそれを見ている。
「大きく長くね。確かに。」
みょーんと胴の長い狐が先生を巻く。
「心がまだ不安定なんでしょうね。力は成長したけれど、それをうまく操れていない。」
巻き付いた狐をそのままに僕の頭を撫でる。
「狐が貴方ではなく私の回りに来てしまうのも、自分をしっかり主として確立できていない証拠ですよ。」
僕から生まれたはずの狐は僕を見ようとはしない。
「まずは自信を持つ事です。自分は主だと。」
先生は心技体どれが欠けてもダメだと言った。
晴明さんが一人前になるのには10年もかかったって言ってた。僕は一気に不安になってしまった。
「そんなに悩む事でもありませんよ。人とはなかなかに難しく考えがちになりますね。」
晴明さんは黙って顔の前で指を組んで見ていたが、少し間を置いて口を開いた。
「悩めよ少年。今後絶対壁にぶつかる。その時に踏ん張れるのはきちんと悩んだ奴だけだ。」
そう言って両の手を大きく広げ形代を包む。大きく紫色の靄がかかったと思ったら大蛇が生まれる。いつも晴明さんが式神として使っているのは美しく光る蝶などが多い。この大蛇は紫のオーラを放つ、お世辞にも美しいとは言えない恐ろしいものに見えた。
「心が……そのまま式神に?」
僕は晴明さんを見る。
「そうだ。誰が使うかでは無い。どんな心で使うかだ。俺でさえ真っ白な心ではいられない。憎しみや弱さも必ず持っている。」
晴明さんは形代をぴっと真っ二つに裂いた。蛇はのたうち消えた。
「いいか?悩め。それはお前の糧になる。どんな小さな事でもだ。」
僕は式神を少し時間をかけて悩む事にした。焦らず、自分が何者なのか、何がしたいのか。多分それが一番近道なのだ。自分の弱さと向き合う、それが心を見つめ直す。そう決めたら先生に巻き付いた狐がこちらをちらりと一瞥した。先生は太極図を出す。
「物事は陰と陽、二つあってこそ一つなんです。生きとし生けるもの全て、いや、森羅万象全て。」
先生は少し上を向く。
「だからこそ世界は美しい。」
晴明さんは呆れたように笑う。
「でもそれも醜いよな。」
先生は口元を少し上げて笑う。
「えぇ、醜いですとも。私も貴方も。それはもう全てを壊したくなるほどにね。」
きっと二人は何か醜い物を沢山見てきたんだろう。それも無かった事にはできないし、受け入れながらゆっくり歩いて来たんだろう。そしてこれからも人を守って行くのだろう。
でもそれ、つらくはないですか?
太陽が輝くと色濃い影が下に映る。最近は陰陽どちらにも目を向けるようにしている。今まで気がつかなかった陰の部分に気がつくようになった。例えばクラスで笑顔で話しているその人の背中には暗い影のエネルギーがあったり、人を殴っているその人は他の誰かを守る為にやっている事だったり。自分からきちんと目を向けないと気がつかない事ばかりだ。椎名先生が僕の頭の中を覗くのはこの凝視の延長上なのかもしれない。誰にも見せないはずの陰を見ているとやはり物事はすべからく陰と陽に別れていて、しかもそれが少しずつ混ざって一つなんだろうと思う。
「なんだか急に考えが大人になってしまいましたね。つまらない。」
椎名先生が後ろから声をかけてくる。
「前みたいに浅はかな考えも嫌いじゃ無かったんですけどね。」
僕は先生を見つめる。
「大人にしたのは先生ですよ。」
先生は笑って答える。
「子供はね、大人が何をしなくても育つものなんですよ。私達教師の仕事はそれを見守る事です。」
貴方はいつからそうやって子供を見守って来たんですか?
「僕は少しくらい役に立てるようになりますか?」
僕の問いに先生は少し困った顔で笑った。
「どうして君達子供はそうやって人の為に頑張ろうとするんですかね。そういうところが人を好きでいてしまうところなんですけどね。」
先生は大きな掌を僕の頭に置き、ゆっくりと撫で回す。
「もう充分に役に立ってます。君も西園寺も。私達はもうずっと助けられながら生きているのですよ。」
後ろから椎名先生を呼ぶ声が聞こえる。相も変わらず女の子に人気だ。
「椎名先生!一緒にご飯食べましょうよ!」
相も変わらず先生は笑顔で軽く手をあげる。
「いえ、遠慮しておきます。」
女の子達もよく懲りずに誘うものだなと感心する。日常は変わらず毎日繰り返される。あの日起きた非日常で僕の人生はがらりと変わってしまった。それを不思議と後悔したことも嫌だと思ったことも無い。むしろ多分僕の人生に必要な事だったのだと思う。たとえこの先もっと悲惨な非日常が待ち受けていたとしても、僕はそれすら後悔する事は無いのかもしれない。何故ならば世界はすべからく陰と陽で成り立っている。僕がその陰を請け負えば誰かが幸せな陽を満喫できるのだ。今までは二人の陰陽師が陰を請け負ってきたのなら次はそれを継ぐものが必要だろう。
「先生!僕、強くなりますよ!」
僕の言葉に先生は微笑む。
「えぇ、楽しみです。」
空は快晴。穏やかな風が吹いていた。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
見てもらえればわかるようにこれは一之巻。
始まりにすぎません。
ではまたお会いしましょう。