第三章 天照
僕等は病院を出て駐車場に止めたあった車に乗る。
「どこに行くんですか?」
僕は助手席でシートベルトを締めている先生に話しかける。
「仕事着を新しくします。」
そう言った先生の顔は何故か微妙だ。
「仕事着?」
「別になに着てても仕事は出来るんだけどな。」
晴明さんは苦笑いしてアクセルを踏んだ。
「出来るのは出来るんですけどね。」
先生は微妙な顔のままだ。二人はそのまま黙った。
車を30分程走らせた場所に見た目は普通の家がある。何か特別な物を作るなら特別な場所で特別なもので使って作るのかと思ってたから結構意外だった。
「おーい。」
なんだか晴明さんも先生も大人しい。声も小さい。
「ごめんください……。」
何かに怯えているようにさらに声が小さくなる。
「どなた?」
出て来たのは長い黒髪のお姉さん。くりっとした瞳。甘いフルーツみたいな香り。柔軟剤だろうか。表情は少し疲れたような顔をしていた。
「いよぉ、仕事着を……。」
晴明さんは完全に下からいっている。
「前のは?」
お姉さんは少し固まった後、静かに聞いた。
「いやぁ、破けちまっ」
晴明さんの言葉は途中で遮られた。
「は?」
空気がかたまった。誰も動かない。誰も動けない。動くことが許されてるのは多分お姉さんだけ。ゆっくりと晴明さんに近づいていく。
「先月お作りしたばかりですよね?」
「はい……。」
晴明さんは微動だにせず瞳だけを逸らした。
「何度もお作りできませんと申し上げましたよね?」
お姉さんの顔は僕からは見えない。でも晴明さんの顔が恐怖に染まっていくのはよく見える。
「はい……。」
お姉さんはしばらく止まっていたが、ふいに少し傾く。
「この頭は飾りか?」
晴明さんは頭を鷲掴みされた。晴明さんは慌てる。
「ごめん!悪かった!」
涙目だ。晴明さんのこんな姿は初めて見た。面白いけど。
「椎名ぁ!!」
お姉さんの今度の標的は先生に移ったらしい。
「ひっ!」
先生はこっちに振られると思ってなかったらしく嫌な顔をしている。
「あれだけ言われてまだわからないの!?見張ってろ!」
今にも胸ぐらを掴みかかりそうな勢いで先生に迫る。
「いやぁ無理ですよ、普段仕事はお互い別の事してますから。」
先生は面倒そうに目を逸らす。なんなんだこの大人達は。瞳を逸らしても何も解決しないというのに。面白いけど。
「男が言い訳すんなぁ!!」
「ごめんなさい。」
先生はとりあえず謝った。
「作るか!ボケぇ!!」
お姉さんは怒りMaxのようだ。
「お願いしますー!!」
先生が珍しく下手に出ている。そんなにすごい人なのだろうか。
「お前のは特別なんだよ!」
大の大人が二人して荒れ狂う夜叉のようなお姉さんにやり込められている。
「お前じゃなきゃだめなんだよ!」
晴明さんが叫んだ瞬間、お姉さんは止まった。
「注文は受けてやる。私は私のペースでしか作らないからな!」
一呼吸おいて一言呟いた後、怒って家の中に入った。僕はその光景を一通り見た後、ゆっくり先生の方を振り返る。
「先生?」
先生はため息をついて言葉を漏らした。
「相変わらずだな……。」
唐突にドアが開きお姉さんが顔だけ出す。
「それより少年、君誰?」
遅っ!気がつくの遅っ!
「あ……、僕は」
僕の言葉をぶった切って先生が真顔で変な事を言い出す。
「晴明様の隠し子です。」
僕は思わず先生の顔を見る。晴明さんは驚きすぎて目が零れ落ちるんじゃないかっていうほど見開いている。
「おまっ!洒落になんねぇ!!」
「へぇ……。そんな相手がいたのねぇ。」
お姉さんの言葉に晴明さんが青くなる。
「いるわけねぇだろ!」
デカイ音がしてドアが閉まった。それはもう本当にデカイ音で。
「椎名ぁぁ!!」
晴明さんは涙目で先生の胸ぐらを掴んだ。
「天照が天岩戸を閉じたらどおすんだてめぇは!!」
先生はニヤニヤしている。ドアの向こうから声がした。
「出来たら郵送してやる。とっとと失せな!」
かなりお怒りの様で言葉が荒ぶっている。先生はお構いなしにノックをする。
「今回はこの子のも作って欲しいんですよ。」
ドアが開く。僕は少し驚く。あ、そこ開けるんだ。
「私が作るとでも?」
お姉さんは先生を睨んだ。
「作って下さいよ。お願いします。」
先生は睨まれても怖くないといった表情でお姉さんを見ている。先生にとっては通常モードなのかもしれない。お姉さんは僕を見た。
「坊や、ちょっと話そうか。」
手を引かれて部屋に入れられた。そしてそのまま閉めた。
「ちょっと!」
先生の慌てた声が聞こえる。
「ほらみろ。閉めちまったじゃねぇか。」
晴明さんの哀しそうな声が聞こえた。
部屋には大きな織り機があり先程まで使っていたのか乱雑に物が置かれている。お姉さんはソファーを指して言った。
「そこに座って。」
冷たい言い方に僕は大人しく従う。
「お茶を入れるわね。」
言い方は冷たいが紅茶とお菓子を出してくれる。優しいのかもしれない。
「で、あんた晴明と誰の子?」
本気にしてたんだ。僕は少し笑いそうになって我慢した。
「違います。僕は晴明さんの子じゃないです。先生の冗談です。」
「ふーん。」
お姉さんはまだ疑っているのだろうか。
「お姉さんの服、特別なんですね。先生達必死ですもんね。」
僕の言葉には興味が無いようで答えを返してはくれない。
「名前は?」
「大友奏です。」
「私は……太陰名乗ってるけどあいつら天照としか言わないから天照でいいわ。道教ですら無いっての。」
お互いの自己紹介を済ませる。名前はわかった。本名じゃない事も。
「名乗ってるって、本名じゃないんですね。」
相変わらず僕の言葉には反応しない。
「身体のサイズ、測らしてもらっていい?」
「お願いします。」
僕は立ち上がる。服を作ってくれるならありがたい事だ。
「しかしあれね。」
天照さんは測りながら呟いた。
「あいつら貴方を育てる気なのね。」
サイズを測り終わると天照さんは天岩戸を開けた。
「もう帰って。二着も作るの大変だから。」
それだけ言うと天岩戸はまた閉まった。
「天照……。」
晴明さんはドアにもたれている。椎名先生はドアに話しかけた。
「黒岩が生徒を生け贄にしました。生徒は生きています。」
少しの空白の後ドアの向こうから声がする。
「だからなに?邪魔するなら作らないからね。」
「行きましょうか。」
先生は僕の手を引いて車に戻る。
車に向かう途中僕は思い出す。車を運転しているのは晴明さんだという事を。
「先生……?」
「なんです?」
車の鍵、貰ってくるの忘れましたね。
「待ちましょう。」
先生は何も言わないでも答えをくれる。
「天照さんはどういう人なのですか?」
僕の問いに先生は穏やかに答える。
「愛情深く、」
先生は気がついているだろうか、すごく優しい顔をしていることに。
「嫉妬深いです。」
先生は気がついているだろうか、すごく面白がっているであろう顔をしていることに。
「何故黒岩先生の話を?」
僕は諦めて違う話を始める。
「それは……彼女が黒魔術と陰陽道の混血だからですかね。」
「混血?」
先生の表情は真面目な色を取り戻した。
「彼女の黒魔術の成績は黒岩先生黒魔術教えて以来のトップクラスでした。二年の時点で技術は黒岩先生を越えていました。知識は無理でしたが。」
そりゃ高校生になってから始める授業なのだから、大人の知識量には敵わないだろう。
「三年に上がって彼女は初めて晴明様に会いました。一目惚れだそうです。」
「は?」
「年上好きなんだそうで。そこからの彼女は凄かった。黒魔術をやめてさっさと陰陽道に鞍替え。一年間で三年生と同じ知識と技術をものにしましたからね。それだけでは飽き足らず……。」
先生は彼女の家の方を見た。
「晴明様の家に押しかけ、破壊と構築の基礎を毎日習いに来ました。晴明様に会う口実だったのかもしれないですが。」
先生は嬉しそうに笑っている。
「それでも私がいつまでたってもできないそれをいとも簡単に成す素質が彼女にはあるから。」
僕は少しだけ不思議に思っている事を聞いてみる。
「でも惚れてる女の子の態度じゃなくないですか?あれ。」
「だらしないですからね。晴明様。」
「先生よりも強そうですよね。」
「実際強いですよ。怖いもん。」
二人は少し沈黙する。
「遅いですね。晴明さん。」
「暑いんですよね、外。」
先生は太陽を見上げる。そろそろ夏を迎えようとするこの季節に待ちぼうけはキツイ。しばらくの後、晴明さんが帰って来る。車を開けて乗り込む。晴明さんの表情は読み取れない。
「ちょっとは話せましたか?」
先生が面白がって聞く。
「ん?あぁ。」
僕も晴明さんに聞く。
「天岩戸は開きましたか?」
「勿論。」
晴明さんは煙草に火をつけて煙を吐き出した。それはため息に似ている。
「閉まったまんまだよ!てめぇのせいでな!!椎名ぁ!」
食事をして帰る。晴明さんは家についてからもずっと落ち込んでいた。僕は天照さんの事を先生に聞いてみる。僕は彼女について何も知らない。
天照さんは魔術や陰陽道に携わる者なら大体の人が知っている道具師なんだそう。彼女が作る道具は(主に服や形代等)術師の力を上げてくれるらしい。天照さんが天才なのか秀才なのかは別にして、素質がなければここまで大成しない。
「意外と変な教師から優秀な生徒が生まれたりするものですよ。」
前に先生が言っていた言葉を思い出す。あれは天照さんの事だったのだろうか。彼女はもし晴明さんに出会わなければ黒魔術に特化した人になっていたのだろうか。色々考えながらお風呂から上がってアイスを食べる。
『破壊』と『構築』。
晴明さんのは折り紙を戻すと言うよりは、まるで糸を解くような……。指を動かすと御守りが真似をする。色々見えるようになったとはいえ、御守りはちょいちょい見えなくなる。アンテナを働かせないと見失う。
「お前、どうやってできてるの?」
御守りは首を傾げた。
次の日先生と晴明さんは仕事に行く。晴明さんの仕事着は破けていた。それでもそれを着ていこうとするわけだから、破けていても効能があるんだろう。
「今日は少し遠くにいるから遅くなる。先に寝ていなさい。」
先生は僕の頭を撫でる。僕は頷き二人の後姿を見送る。そして先生達が出て行った部屋に一人、寂しく佇む。この家に一人は広すぎる。誰もいない平屋。ととのえられた日本庭園。植物。池。そして玉石。流したはずの形代は全て無くなっている。音は池に流れる小さな川の流れる音、風の音、鳥のさえずり。ここだけ時が止まったような、そんな空間が広がっている。俗世から隔離されているようだ。いつもあんなに賑やかだから気がつかなかった。
「ちょっと寂しいな……。」
御守りに話しかける。それに応えるように御守りは小さな手で僕を撫でた。暇……。僕は家事を済ませると勉強を始めた。勉強に飽きると先生の部屋を覗く。片付けられた部屋。何一つ無駄がない。
「先生らしい。」
何か面白いものはないかと思って引き出しを覗く。何もない空間にポツンと古びた本。本なら本棚に入れればいいのにと思ったが、何かあるんだろう。ページを捲ろうと本に触れたら声が聞こえた。
「律ー?」
綺麗な声。僕は思わず振り返るが誰もいない。本にまた目線を戻す。
「律、いい子になさいね。」
優しい声。僕は本をじっと見つめた。
「いたずらはだめよ?」
ふわっと頭を撫でられる感触がある。慌てて僕は本を離す。もう一度後ろを振り向いてみても誰もいない。声も無くなった。僕はその本をそれ以上触ってはいけない気がして元の場所に戻し、そのまま部屋を出た。
先生の弱味は握れなかった。無駄な物が無さすぎて成人男性が持っているであろう本やDVDすらなかった。もっともこの家でDVDなんてあるわけないのだが。仕方ないので晴明さんの部屋を覗きに行く。先生は成人ではなく聖人かもしれないが、晴明さんは煩悩の塊だろうから何かしら面白い物があるだろう。期待して入ると汚い。無駄な物が散乱している。知っていたけど、片付けしなくていいの?これ。布団も万年床な気がする。どうする……?干さないとカビる。思考を走らせた僕は諦めて布団を庭に出す。本棚には多分陰陽道の本であろう古びた本や触った形跡もない卒業アルバムが並んでいる。意外にこの学校の歴史は長いのかもしれない。御守りが勝手に机を片付けている。僕は山盛りになった灰皿の灰を捨てた。ゴミであろう物を集めてゴミ袋に詰め込む。お菓子のゴミやら煙草空箱やら日本酒の一升瓶やら煩悩の塊だ。期待を裏切らない。これなら本の一冊くらい、と家捜しするが出てくるのは医療、人体、そして陰陽道の本ばかり。そして引き出しには伏せられた写真立て。一つ手に持って見ると先生、晴明さん(幼い。)、そして知らない女の人。写真自体はもうボロボロだ。もう一つは……と見ようとすると御守りが僕の手を引いて邪魔をする。
「だめなの?」
御守りが頷く。
「大事なの?」
御守りが頷く。仕方ない、いつか晴明さんに正面から言って見せてもらおう。御守りはにこにこ笑っている。結局、晴明さんの部屋を掃除しただけで終わった。諦めて勉強に戻る。気がついたら眠ってしまっていたけれど……。
朝、僕は布団で寝た記憶はないのに布団に寝かされていた。ご飯のいい匂いがする。着替えて出ると珍しく晴明さんがご飯の支度をしている。ご飯、味噌汁、納豆、焼き魚、おひたし。意外にもまともな食事が並んでいる。
「晴明さん、先生は?」
おはようよりも先生がいない朝が違和感過ぎて先生を探した。
「寝てるよ。」
晴明さんは小皿を並べながら答える。
「何かありました?」
「ちょっと怪我してな。あいつすぐムキになるから。」
僕は驚いた。怪我をした事でもなくムキになると言った事でもなく、『あの』椎名先生が怪我ごときで部屋に閉じこもるのか?という事に。
「大丈夫ですか?」
「大した怪我じゃないんだが……。不貞腐れちまってな。」
「はぁ?」
大した怪我じゃない?ますます訳が分からない。
「まぁ、気がすんだら出てくるからほっとけ。」
そう言われても放っては置けない。食事を手早く済ませると先生の部屋向かう。
ノックをすると先生が顔を出した。
「おや、私の部屋を覗き見した犯人のお出ましですね。」
そういう先生の顔は笑っていて怒っていない。勿論晴明さんが言っていたような『不貞腐れ』も読み取れない。
「昔私も同じように先代の部屋に入ってすぐバレましたよ。」
僕はそんな事よりも怪我が気になっていた。
「怪我は大丈夫なんですか?」
「怪我?」
少し考えて止まる。
「そんなの怪我のうちに入りません。かすり傷ですよ。」
確かに顔に絆創膏、腕、足にそれぞれ包帯が巻いてある。かすり傷は怪我じゃないって理屈もおかしいが、包帯巻いてかすり傷もおかしいと思わないのだろうか。
「今日は眠いんでこのまま寝ますから。学校のことは晴明様にお願いしましたから大丈夫ですよ。貴方も遅刻しないように行くんですよ。」
「あ、はい。」
先生は僕の頭を撫でると戸を閉めてしまう。仕方ないので準備をして晴明さんと学校に向かった。
「晴明さん、『律』って知り合いいますか?」
僕の問いに晴明さんは少し笑う。
「居るな。」
「どんな人ですか?」
「頭が良くて一見穏やかに見えるがすぐムキになってお前に甘い奴だな。」
「それって……。」
「椎名律。あいつの名前だ。知らなかったのか?」
晴明さんは多少驚いた顔をした。
「椎名先生としか呼ばれてるの見た事ないので。」
誰も下の名前でなんて呼ばないだろうし。
「まあ、一般公募しないから学校のパンフレットも無いしな。」
「自己紹介も陰陽道教科担当椎名です。で終わりました。」
「とことん無駄がない自己紹介だな。」
晴明さんは苦笑した。
「理事長はいることさえ知らなかったですけど。」
僕は晴明さんを見る。きっとこの学校で晴明さんが理事長という事を知っている生徒はほんの一握りなんだろう。
「ほぼ関わらないからな。一度も会わないで終わる生徒のが多いな。」
学校に着くと晴明さんは変な顔をしてそのままC棟に向かう。
「ちゃんと授業受けろよ?」
「晴明さんみたいにサボりません。」
「俺もサボらねぇよ!」
デカイ声で突っ込みながら校内に入って行った。
僕はまた晴明さんは何かと戦っているのかな。と思いながら授業を受ける。そういえば学校にいる間は晴明さんも先生も私服で仕事着ではない。先生に至ってはちょいちょい変なTシャツを着ていたりする。あんなんで戦えるのは何故だろう。それだけ強いなら何着てても同じな気がする。
「おーい、大友!次の授業行くぞー。」
クラスの友達に声をかけられた。
「今行く。」
教科書を持って教室を出る。きっとこんな日常は世の中では当たり前で、平和とか考える事も無いんだろう。でも先生や晴明さんは戦うのが日常で、当たり前のように何も考えずに血を流す。仕事の時はお金を貰えるが学校は営利目的じゃないって言ってた。お金は出ていくばかりで入って来ない。仕事だって命をかけてやる仕事に見合うお金を貰っているのか。いやお金をいくら貰っても命に見合うか?僕の思考は完全にループを始めた。考えても考えても答えは大体が『NO』だ。
「先生達は何を思ってるんですか?」
僕は廊下から空を見上げた。
授業が終わると何故か入り口に晴明さんがいる。
「先生といい、晴明さんといい、ストーカー気質でもあるんですか?」
おかげで最近僕は友達とご飯を食べていない。
「そう言うなよ、教師陣とは楽しくないんだよ。」
確かに経営者と雇われ教師ではなかなか良い友人は作れないかもしれないが。頭の上で御守りがにこにこしていた。
食堂で焼き肉定食を食べながら晴明さんは呟いた。
「午後は何もねぇだろ。」
「午前は何があったんですか?」
「黒岩の野郎、病院でおん出されたもんだから八つ当たりしやがったんだろ。変なもんが溜まってた。」
「へぇ。」
「まぁ、大したもんじゃねぇから簡単に片はつくけどな。」
ご飯は大盛。晴明さんよく食べるな。そう思って晴明さんを見ていると急に固まった。妙な緊張感が走る。
「ここ空いてる?」
聞き覚えのある声と共に隣に誰か座った。綺麗な長い黒髪。
「天照さん?」
「ちょっと気晴らしに来たのよ。椎名は?」
きょろきょろと見渡す。
「先生は怪我されてお休みです。」
「ふーん。」
話していると女子が聞き耳を立てている。
「相変わらずモテんのね。あいつ。」
興味なさそうにいただきますと手を合わせ、うどんを食べ始める。
「あの、理事長先生?」
女の子達が晴明さんに話しかける。隣の空気が一瞬にして禍々しくなる。怖くて隣を見られない。晴明さんは冷や汗をかきながら生徒には無下にはできない感じだ。
「何……?」
「理事長先生って彼女いらっしゃるんですか?」
女の子達は控えめに、そして上目遣いで可愛らしく聞いた。蓼食う虫も好きずき。今まではあまり顔を出さなかったから知らなかっただけで、結構晴明さんもモテるのかもしれない。
「いない……ですけど……。」
声は震え、目が怯えながら天照さんを見る。殺気しか感じない。女の子達はキャーキャー騒ぎながらどこかに行った。
「へぇ。隠し子説も別にあり得ない訳じゃなくなってきたわね。」
「隠し子じゃ無いですけどね。」
僕は怖いので答えておく。
「あ、天照……あのな」
晴明さんの言葉は途中で遮られた。
「ちょっと付き合いなさい。」
「は……はい。」
天照さんは今日は黒一色の洋服で来ている。一本の大きな杖を持って。僕は天照さんの指示で何かの模様が描いてある紙を貼りつけていく。それは学校の敷地内に見えないように少なくとも20枚は貼られた。中心部に何かを埋め込んで杖をつく。バリバリっ!と大きな音がして一瞬停電になる。時計の針が止まる。次の瞬間また秒針は動き出した。天照さんは何ともない様子でやっていたが、それが学校一帯を覆う大きな黒魔術であろうという事は素人の僕でも予想がついた。一息ついた後、僕の御守りをひょいと捕まえて頬擦りする天照さんは可愛い。
「私にはくれない癖に。」
少し膨れた。その表情は正に恋する乙女の『それ』だ。いつもの冷たい表情から一転、年相応の可愛らしい雰囲気を醸し出している。
「これでしばらくは黒岩も大人しいわよ。」
少し口元を緩めたまま御守りを僕の肩に戻す。
「何したんです?」
僕はそれを受け取りながら天照さんに聞いた。
「反射魔術。ここで行われた魔術を全て術師に跳ね返す。」
「黒岩先生死にませんか?」
「黒岩が馬鹿なら死ぬわね。でもあれでも一応教鞭をとる立場だから。晴明は甘いからね。対応が。」
天照さんは冷たい顔に戻って言い切った。
「頭悪い奴は嫌いなのよ。死んだって構わないわ。」
晴明さんは困った顔で見ている。
「こらこら、死んだっていいとか言わないの。」
「天照さん、昔からこんな感じですか?」
僕は思わず晴明さんを見る。
「え?私だって年とると丸くなるわよー!」
コロコロと可愛らしく笑っている。昔はもっと酷かったらしい。
「ちなみに私も生け贄にされそうになったから、魔術で同じだけ痛みを反射させてやったわ。私を切り刻んだら全部自分たちに返ってて笑ったわ。」
魔女裁判にかけられても笑ってそうな人だな。
「成績は良かったから妬まれたしね。」
「黒魔術は物理的攻撃も反射できるんですね。」
「ものはやりようよ。気になる様なら教えてあげるわ。でも黒魔術はそれ相応の覚悟が必要よ……?」
天照さんの口元が上がる。僕は思わず一歩下がった。
「こらこら!」
晴明さんが慌てて止めに入る。
「子供脅かすんじゃない。まったく。」
「御守り!私にはくれないの!?ずるい!」
晴明さんは目を逸らす。
「お前に御守りなんざ要らねぇだろ。」
「どぉいう意味かしら……?」
表情は見えない。が、なんとなく予想はつく。何故晴明さんはそんな言い方をするのか。わざとなのか
?
「それより、今日は時間取れんのか?」
少し晴明さんが真面目な顔で聞く。
「飯ぐらい食って行けんだろ?」
僕はここにいちゃいけない気がするのは何故だろう。
「忙しいんだけど……?おかげさまで。」
「仕事はゆっくりでいい。こいつもまだ仕事になるほど何かをできるわけじゃないからな。」
「あんたのは……。」
「俺のは多少破けていてもまだ使える。」
天照さんは少し嬉しさをおさえた顔で顔を赤らめた。
「じゃ、ご飯くらいは食べていってあげる。どうせ破けた服を繕ってもいないんでしょ!やってあげるわ。」
ツンデレかよ。チャイムが鳴る。生徒が教室から出ていくのが見える。気がつかなかったが5限が終わったようだ。人生初サボりだよまったく。
「僕戻ります。」
僕の声に天照さんが反応する。
「あら真面目なのね。私なら喜んでサボるのに。」
「俺も一応戻るか。」
晴明さんは天照さんの方を向いて手を伸ばした。
「暇だろ?さっき俺が付き合ったんだから今度はお前が付き合えよ。」
「仕方ないわね……。」
嬉しそうな影がC棟に向かっていく。
何を見せられてんだ、僕は。がっかりしながら教室に戻る。友達がびっくりしてたり色々聞かれたり困ったが、一番困るのは理事長である晴明さんが口添えをしてくれないから先生への説明が面倒だったって事だった。後で椎名先生に愚痴る事にする。
我が家が基本和食なのは晴明さんの好みなんだと思う。ハンバーグとかカレーとか出た事無いし。
あと金持ちと言うわりに意外と質素な訳だけど今日はやっぱり晴明さんにとっても特別な日なんだろうな。帰って来たらかけられた声に僕はそんな事を考えていた。
「今日はすき焼きだぞ!」
財布を持った晴明さんが嬉しそうな声をあげる。
「天照さんが居るからですか?」
「そうだ!」
天照さんは複雑な顔をしている。
「家計の財布は椎名持ちだからねぇ。」
「あればあるだけ使う男に財布なんざ持たせられません。」
「すき焼きだー!」
僕は初歩的な質問をする。
「お小遣い制ですか?」
「五万貰って酒、煙草、お菓子買ってるぞ!椎名はどれもやらないからな。」
「私はギャンブルもやりませんよ。」
ギャンブルもやるのか。煩悩の塊だな。逆に椎名先生は一体何を楽しみに生きてるんだろう。
「買い物行ってくる!」
子供のようにはしゃぐ晴明さんは僕の手を引いた。
「天照さんと行けばいいじゃないですか!」
「あいつは繕って貰うから無理。」
晴明さんの仕事部屋に天照さんは入って行った。面倒くさいなぁと思いながら車に乗り込む。
車で5分。スーパーで野菜と肉、卵を買う。
「和牛買ってもいいかな……。」
何故僕に聞くのか。
「全部和牛はお金足りなくなりますから少し和牛とあと普通のも買いましょう。」
わかっている。先生に怒られた時に僕に味方になって欲しいのだろう。
「やったー!!」
スーパーでうるさいおっさん。世間的にはどう見られているのだろうか。周りの目が痛い。
「天照さんは何が好きですか?」
「知らん。」
「はぁ?」
「飯を学食以外で食うのは初めてだからな。」
デートもした事ないの!?
「学生時代は寮の飯食ってたし、大人になったら大学自力で行って忙しそうにしてたし。だから仕事の話はしに行くがそれ以外は。」
「天照さんいくつですか?」
「21だ。多分。」
「晴明さんいくつですか?」
「43。」
犯罪じゃん!!いや、正確には犯罪じゃないけど20離れてるってもう親子じゃん!!
「お茶ととりあえずジュースか。」
選ぶのが100%のフルーツジュース。なんつーか……この人センスないよな、多分。こっそりミルクティーも入れる。僕に紅茶を出してくれたから、多分コーヒーより紅茶派だろう。
「女の子がいるんだからデザートくらいは買いましょう!さっぱりするシャーベットとか。」
「アイスは椎名も食べるしな。」
そうなんだ……。意外な情報を知ってしまった。
結局ギリギリ予算内に納めて帰る。
「やはりあるだけ使いましたね,,,。」
先生は呆れたように財布を受け取った。晴明さんは先生の言葉を聞いてるんだか、聞いてないんだかわからない様子でさっさと仕事部屋に入る。僕は先生と夕飯の準備に取り掛かる。
「二人でどこかで食べてくる選択肢は無いんですかね。」
野菜を洗いながら先生と話す。
「無理ですよ。今日なんて頑張ってる方ですから。」
「あの二人、高校生カップル見てるみたいですよね。」
洗った野菜を切る。先生は割り下を作りながら変な顔をしている。
「今は高校生のが進んでます。迫られた事もありますしね。」
「え!?」
ここでも問題発言。
「結構多いんですよね。何を勘違いするのか。顔に自信がある女は特に。」
「いったい何があったんですか?」
「子供は聞いちゃいけません。」
「同じ高校生ですが!?」
そういえば先生の部屋には本当に何もなかった。女の人に興味無いのだろうか。
「先生はお付き合いとか興味ないのですか?」
先生は手を止める。少しの沈黙が全てを物語ってる気がするのは気のせいだろうか。
「少なくともションベン臭いガキはお断りですね。」
作った割下とガスコンロ、卵、具材をテーブルに用意。箸を並べて準備ができる。
「二人を呼んで来てください。」
知っている。先生は面倒な事はやらない。
僕は諦めて晴明さんの部屋に行く。
「ご飯の準備、できましたよ!」
戸を開けると何故か縫い針を顔に突き立てられそうになっている晴明さんがいた。
「いったい何があったんですか……?」
呆れて聞いたら天照さんが縫い針を服に指して答える。
「邪魔するから終わらないのよ!」
うん、子供が親の邪魔して怒られた感じですか。
「いや、違うんだ!」
浮気がバレた時の言い訳か……?
「ご飯食べてからにしません?」
面倒になった僕はさっさと行きたかった。
「そうだ!すき焼きだ!話はまた後で!」
助け舟とばかりに晴明さんが逃げ出した。ザッザッザッ。某ゲームの銀色のやつかよ。
「晴明さんて前からあんな感じですか?」
「前は落ち着いて素敵な人だった気がするんだけどねぇ。」
それって変わった原因は天照さんなんじゃないんですか?
「今日は泊まればいいですよ。今から帰るなんて大変だし。」
「なっ、なっ、何言ってるの!」
顔が真っ赤ですよ天照さん。
「え、多分先生もそう思ってますよ。」
「だって寝るとこだって!」
慌てふためく天照さんを見てるのは存外面白いものだ。
「晴明さんと寝たければそれも良いですけど、一応部屋はありますし。なんなら僕は寮にも戻れますから。」
「もうやめておあげなさい。見てるこっちは面白いですが天照は倒れますよ?」
後ろから先生の声がする。
「いい加減ご飯にしますよ?」
そう言う先生は呆れたような楽しいような、複雑な表情をしていた。
居間に行くと先に始めようとしてた晴明さんは鍋奉行の先生にお玉で手を叩かれた。楽しい時間はあっという間に過ぎ、鍋奉行により鍋は滞りなく終了した。デザートも出して喜んでもらえた。先生は柚子のシャーベットが気に入ったようだ。ちなみに飲み物の選択はミルクティーで間違ってなかったみたい。晴明さんはお酒を飲むかと思ったけど、一滴も飲まずお茶を飲んでいた。
「僕はお風呂の準備してきます。」
席を離れようとすると天照さんは食器を片付けながら立ち上がる。
「私も針仕事残ってるから。」
「俺も邪魔が残ってるから。」
晴明さんも立ち上がる。この人はまた余計な事を……。
「貴方は洗い物手伝いなさい。」
先生に捕まえられている。
「夜ゆっくりしたかったら邪魔しない方が利口ですよ。」
笑顔の先生は怖い。
「僕は寮に戻りますか?」
僕は先生に聞いた。答えは大体想像がついている。
「部屋はありますから気にせずいつも通りに。だいたい三人とか私が気まずいじゃないですか。」
知っている。先生は面倒は嫌いだ。
朝起きると晴明さんが珍しく起きてた。僕はおはよう代わりに声をかける。
「夕べはお楽しみでしたね。」
「その台詞……お前、実はサバ読んでるだろ。」
「古い物しか無かったんです。孤児院に。あるだけマシだったのかもしれないけど。」
「買うかぁ?」
「何を?」
「ファミコン。」
「要らねー!」
僕は思わず笑いながらタメ口で突っ込んだ。僕等は朝から元気だ。
「そういえば天照は寝坊するって言ってたから寝かしといてやれ。」
まさかリアルお楽しみだったのだろうか。怖くて聞けない。
「何を朝から騒いでいるんですか。」
こういってはなんだが、先生はたまにお母さんだ。
「さっさとご飯食べて準備しなさい。」
ふと先生は晴明さんを見る。
「そういえば夕べは……」
「楽しんでねーよ!!」
晴明さんは少し顔を赤らめて大きな声を出す。でも晴明さん、多分先生はそれを知らないと思う。
「はぁ?」
先生は意味がわからないと言うような顔をしている。
「繕いは終わったのか聞いてるんですが?」
「あ……。」
朝から喜劇だ。