露の章3
「姉上?」
アヤの声に意識が浮かび上がった。
水面と水底を何度も行き来しているが、そろそろ沈んだままになる時も近いだろう。
伝えておかなくては。
母が遅くにアヤを産み亡くなったとき、わたくしは十八になっていた。
アヤがせめて六つになるまでと、あの方に頼み祝言を遅らせていたその頃、大内の大殿様が亡くなられた。
まだ年若い嫡男、義興様が跡目を継がれたが、わたくしたちの父である内藤弘矩も引き続き重臣としてお仕えして行くのだとわたくしは信じていた。
なんの不安もなかった。
当時のわたくしの最も大きな悩みは、近付く祝言の衣装や嫁入り道具の色や模様だった。
なんと愚かな娘だったのだろう。
「アヤ…」
濡れたアヤの目がわたくしを見ている。
何か言おうと開きかけた口元がきゅっと噛み締められた。
体に障ると言いたかったのだろう。
だがもうわたくしには時が残されていない。
「アヤ…ありがとう…貴女がいたからわたくしは戦い続けられた」
父も弟も心から愛したあの方も失い、蛇や百足のような女たちが住む屋形に放り込まれても、アヤを思えば戦うつよい心を保てた。
揺れる藤の花のようにどんな風も受け流しながら必死に根を伸ばし幹を太くした。
わたくしに仕えた侍女たちをわたくしが選んだ家に嫁がせる。
内藤の家の娘たちもわたくしが選んだ家に嫁がせる。
季節ごとの挨拶を取り交わし、人と物が行き交うことでわたくしの周囲には藤で編まれた文様が生まれた。
他愛もない文や贈り物を携えた使者のやり取りから拾いあげた欠片を繋ぎ合わせる。
逆にこちらから「是非とも内密に」と前置きしながら広めたいことを送り出す。
女の戦い方は幾通りもある。
特に内藤の女には。
だから生きるのです。
貴女は生きて戦うのです。
亡くなった母上にどこか似た面差しの尼君が昔そう仰った。
星のような美しい目の女性だった。
はるか遠くを見通す目。
ああ、何もかも溶けてゆく。
あれは母上だったのかもしれない。
母上、ご覧頂けましたか。
わたくしは生き抜きました。
アヤの声が聞こえない。
泣かないでアヤ。
貴女の娘アヤヤに、わたくしが生涯かけて作った藤で編んだ文様を託してある。
何も心配はいらない。
わたくしは花と咲きながら多々良一族を絞め殺した。
それを悔いてはいない。
だから。
泣かないで。
***
蓮の花が咲いている。
日が昇れば一瞬で消えてしまう露が葉の上で玉となって煌めいている。
あの方が笑っている。
心の臓よ止まってしまえとわたくしは強く祈った。