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雪の如く露の如く  作者: 千藤時子
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露の章1

白玉か なにぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを

伊勢物語


***


あの方が笑っていた。

蓮の葉の上でつるんとすべる露を、二人で見ていた。

夏の朝のひんやりと、しっとりとした空気を覚えている。

まるで真珠のようだと笑う武骨な顔がいとおしくて、哀しくて、そしてこれは夢だとわかっていて、どうかこのまま醒めないでほしいと祈った。


「…姉上?」


ああ、夢が終わる。


「…姉上?いかがなさいました?」


アヤが心配そうにのぞき込んでいた。

わたくしのかわいいアヤ。

年の離れたたった一人の妹。

この世でたった一人だけのわたくしの姉妹。

生まれたばかりのこの子を残して亡くなる前に、母はわたくしにこの子を託した。


「…ゆめ…を」


アヤの目を見ながら声を出そうとしたが、喉から出たのは、かすれた途切れ途切れの息だった。


深く息を吐く。

ああ、わたくしの人生が終わる。

長かったような、短かったような、不思議な六十年だった。


「夢を…見て…いました…」

「夢?」

「夏の朝の…蓮の…」

「蓮?」

「ええ…内藤の…庭の蓮の池…あの方が…笑っておられて…」


アヤが目を見開いた。

その目がみるみるうちにうるんできた。


泣かないで。


言葉の代わりに手を伸ばす。

枯れ木のような指をアヤが自分の両の手で包み込んだ。

六十年の時はちいさな福福としたアヤの手を老女のものにした。

あらゆるものを失って皮だけがかろうじて残ったわたくしの手を、アヤの老いた手が包む。


「泣かな…いで」

「泣きます!アヤは泣きます!」

「アヤ…」

「泣けない姉上のぶんもアヤが泣きます!」


やさしい子だ。

この子が泣くのはわたくしのためだ。

ひたすら自分を憐れんで泣いていた、あの日までの自分を打擲してやりたい。

アヤの涙が一滴(ひとしずく)、枯れた甲の上に落ち、その小さな露の玉が乾いた骨を癒やした。

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