露の章1
白玉か なにぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを
伊勢物語
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あの方が笑っていた。
蓮の葉の上でつるんとすべる露を、二人で見ていた。
夏の朝のひんやりと、しっとりとした空気を覚えている。
まるで真珠のようだと笑う武骨な顔がいとおしくて、哀しくて、そしてこれは夢だとわかっていて、どうかこのまま醒めないでほしいと祈った。
「…姉上?」
ああ、夢が終わる。
「…姉上?いかがなさいました?」
アヤが心配そうにのぞき込んでいた。
わたくしのかわいいアヤ。
年の離れたたった一人の妹。
この世でたった一人だけのわたくしの姉妹。
生まれたばかりのこの子を残して亡くなる前に、母はわたくしにこの子を託した。
「…ゆめ…を」
アヤの目を見ながら声を出そうとしたが、喉から出たのは、かすれた途切れ途切れの息だった。
深く息を吐く。
ああ、わたくしの人生が終わる。
長かったような、短かったような、不思議な六十年だった。
「夢を…見て…いました…」
「夢?」
「夏の朝の…蓮の…」
「蓮?」
「ええ…内藤の…庭の蓮の池…あの方が…笑っておられて…」
アヤが目を見開いた。
その目がみるみるうちにうるんできた。
泣かないで。
言葉の代わりに手を伸ばす。
枯れ木のような指をアヤが自分の両の手で包み込んだ。
六十年の時はちいさな福福としたアヤの手を老女のものにした。
あらゆるものを失って皮だけがかろうじて残ったわたくしの手を、アヤの老いた手が包む。
「泣かな…いで」
「泣きます!アヤは泣きます!」
「アヤ…」
「泣けない姉上のぶんもアヤが泣きます!」
やさしい子だ。
この子が泣くのはわたくしのためだ。
ひたすら自分を憐れんで泣いていた、あの日までの自分を打擲してやりたい。
アヤの涙が一滴、枯れた甲の上に落ち、その小さな露の玉が乾いた骨を癒やした。