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雪の如く露の如く  作者: 千藤時子
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綾の章3

何も尋ねず、ゆっくりとアヤの髪を撫でる白い手に心ほどかれ、アヤはぽつりぽつりと思うままに語った。

屋形の女衆はアヤが小さな赤ん坊だと思っているのか、様々なことをアヤの聞こえるところで話す。

だがアヤはもう赤子ではない。

女衆の言葉の意味は分かる。

アヤの母が遅くに授かったアヤを産んで亡くなったこと、アヤの父がたいそう愛していた妻の後添えを拒んだこと、幼いアヤを乳母だけに託すのを憂えた姉が祝言を遅らせていたこと。

アヤさまがおられなければ。

奥方さまは生きておいでに。

大姫さまはとうにお幸せに。

女衆の悪意も無く思慮も無い言葉は黒い塵のようにアヤの心に降り積もった。

とりとめもなく話すうちにアヤはいま自分が何をしたいのかぼんやりと見えて来た。

もう此処には居たくない。

居られない。

アヤがそう呟くと、髪を撫でていた手が止まった。

しゅっという衣擦れの音がして尼僧がアヤの真正面に膝をついた。

アヤの目の高さに尼僧の白い顔があった。

黒々とした不思議な目だった。

真っ黒でありながら澄んでいて星のように輝く美しい目だった。

切れ長で、まるで観音菩薩さまのようだとアヤは思った。

尼僧はアヤの目をしばらく覗きこみ何かを探していた。

そしてふっと息をつくと悲しげに微笑んだ。


「ではわたくしと参りましょうか?」


どこへ?とアヤは聞かなかった。此処でない場所ならそれでよいのだ。

こくりと頷くと尼僧は立ち上がり、白い手のひらをアヤに向けた。

一瞬のためらいののちにアヤは自分の手を尼僧の手に重ねた。

アヤの小さな手をやわらかく包み尼僧はまた微笑み、そして空を見上げた。

空は既に紅い色を失い濃紺になっている。

星が瞬いていた。

何やらすっきりした思いのアヤが尼僧の指し示すほうへ、闇のほうへと足を踏み出したそのとき、女の悲鳴が上がった。


「アヤ!」


振り向くとそこに姉がいた。

しかしそれはアヤの見慣れたたおやかな姉ではなかった。

髪は乱れ、小袖は着崩れ、目は爛々と光っていた。

夜叉の顔の姉はかっと口を開けると、なりませぬ!と叫んだ。

なりませぬ、なりませぬ、行ってはなりませぬ。

髪を振り乱し叫ぶ、これまで見たことも無い姉に、アヤは震えた。

戸惑い立ち尽くすアヤと夜叉となった姉の間に、薄墨の法衣がすっと割って入った。

尼僧は恐れる様子もなく姉に微笑むと「アヤさまはわたくしと参ります」と穏やかに告げた。

いきなり顔面をぶたれたかのように衝撃を受けた姉は、一拍ののちにまた「なりませぬ!」と声をあげた。


「ならぬならぬと申されるのならアヤさまにきちんとお話なさいませ」


駄々をこねる童子を諭すやわらかな尼僧の声音に、吊りあがっていた姉の目がゆらゆらと揺れ始める。


「アヤさまを何もわからぬ赤子のように思うてはなりませぬよ」


重ねて言い聞かせる尼僧の言葉に、姉は顔を伏せその場に座り込んだのである。

土の上にへたりと落ちた木蓮の花びらのよう。アヤはそう思った。

そこからは記憶がぼんやりしている。

夢なのかうつつなのか。

姉は泣いていた。

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