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雪の如く露の如く  作者: 千藤時子
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涙の章

目の前に悪鬼がいた。


「弥次郎…お前だけは許さぬ…」


痩せこけた顔は髭も髪も整えられず、目だけが爛々と光っている。

これが眉目秀麗で知られた内藤三兄弟の長子、内藤藤時(ないとうふじとき)と誰が気付くだろう。


正平七年(観応三年 1352年)、鷲頭と大内の戦いは早春から秋まで散発的に続いた。

鷲頭の軍は戦いのたびに消耗を繰り返し、将兵ともにささくれだって自暴自棄になってゆく。

にも関わらず誰ひとり投降しようとしない。

そして八月三日(ユリウス暦9月11日)、田植えも出来ないまま秋が来た。

再び始まった合戦に、鷲頭の庄の領民らも限界が来たのか、目に見えて雑兵の数が減っている。

弥次郎もようやく鷲頭長弘の三男、貞弘に肉薄出来た。


鷲頭の四人の息子のうち長男は既に亡く、その家系を継いでいるのは、長男の息子、康弘。

次が持明院統の周防守護である次男、弘直。

三男が、いま目の前にいる貞弘。

四男が盛継。


鷲頭方の部将らが起請文に縛られて和平に応じられないのなら、この四人のいずれかを討つしかない。

そう判断した弥次郎は、戦場を駆け巡りながら大将格の男を探していた。

それが戦を終わらせる近道のはずだ。


ようやく念願の貞弘を発見し、弥次郎は高ぶり荒くなった息をしばし整える。

今日こそ終わらせてみせる。

そう決意した弥次郎の前に鬼神が現れた。


「ようやく見つけた…」


落ちくぼみ黒ずんだ眼窩の奥に、狂気があった。


「弥次郎…お前だけは許さぬ…」


飢えた獣のような形相の男が自分の名を呼んだとき、弥次郎は目の前に立つ相手が藤時だと気付いた。


「大内の(せがれ)とお前が盛清を殺した…。お前はわしが必ず殺す…。殺してやる…」


うわ言のような怨嗟の言葉に一気に血がのぼった。


こいつは何を言っているんだ。

大内の殿の差しのべた手を、兄を裏切れないと固辞した時の盛清の顔をお前は知っているのか。

起請文で縛られながら恨み言ひとつ言わず負け戦に挑んだ盛清を、見殺しにしたのは誰だ。


冷静でいなければならないと分かっていても冷静ではいられない。


「馬鹿野郎!お前は何のために戦っているんだ!死にてえなら一人で死にやがれ!ユキ殿や盛清を巻き込むな!」


力の限り槍を叩きこんだ。


「盛清はな、自分をおとりにして息子を逃がした。弥次郎兄(やじろうにい)、こちらに追っ手を集めてくれと、そう俺に頼んだんだ!」


自分が盛清を見つけたのは偶然ではなかった。

困ったときにはいつも、姉のユキのもとへ向かう盛清の習性をよく知っていたからだ。

追い付いた弥次郎に盛清は、我が子を守りたいのだと助けを求めた。


「お前は!何を!守りたかったんだ!」

「黙れええっ!」


狂人の槍が、圧倒的な力で弥次郎を叩き伏せ、貫いた。


(鷲頭に行きたくない)

(あそこは朝日が見えない)

(沈む陽しか見えぬのです)


ユキ殿が一人言のようにそう言ったとき、俺はうつむいていた。

俺は若く、両手には何の力も無かった。


「う、ああああああっ!」


畜生め。

藤時、なんでお前が泣いてやがる。

泣きたいのはこっちだよ。

くっそ、痛えな。

痛えし熱いしやってらんねえわ。

男の泣き声なんざ、聞きながら死にたくねえのにな。

はあ…。

盛清の子が、無事にユキ殿のところにたどり着けているといいな。

弥太郎という名なんだって、盛清が言ってたんだよな…。


(弥次郎殿…)


ああ、ユキ殿に…もう一回会いてえな…。


***


涙が伯母の白い頬を幾筋も流れていた。

顔は笑っているのに涙が溢れていて、私は伯母の頬に自分の手を伸ばした。


おばうえ?

なぜ泣いておられるの?

そう問うと伯母が答えた。

そなたがいとおしいからよ、弥太郎。

誰かをいとおしいと思うと、涙は心の奥から溢れてくるものなのですよ。


もうほとんど記憶にはないが、私の父は内藤盛清と言い、新屋河内に屋形を置く武将だったそうだ。

大内の殿が周防の国を平定される際、鷲頭家方に付いて戦い、死んだのだという。

私はじいやに抱えられ燃える砦から逃げた。

追っ手に見つからぬように川沿いの泥濘(ぬかるみ)を休みなく逃げ続けたじいやは、上流の小周防辺りで倒れ、居合わせた旅芸人に私を託した。

そしてそのまま帰らぬ人となった。

非常に幸運だったのは、その芸人たちが伯母に知己があり恩義を感じている者たちだったことだ。

何も分からぬ子供が売り飛ばされるなど、今の世の中ではごくありふれた話なのだから。

そういうわけで、内藤の残党による戦いが収まるまで、私は彼らと移動を繰り返した。

戦が終わり、ようやく平穏を取り戻した三井に帰った日、私は伯母の涙をはじめて見た。

伯母の周囲では、尼寺の尼僧たちがやはり泣きながら笑っていた。

美しく賢くいつも凛とした伯母が泣くのを見たのは、後にも先にもあれ一度きりだ。

きらきら光るあの涙を思い出すたび、生きていることの有り難さを噛みしめる。

そして私を生かすために父母や、じいやたちが払ってくれた犠牲を思う。


私は長じて近くの寺に預けられ僧侶となり、還俗後に家族を持ち三井の田畑を耕し平穏に暮らしている。

父は矢野昭房と一緒に葬られ、石城山(いわきさん)を望む高台から私の営みを見守っている。

伯母は穏やかに逝き、父の墓から程近い場所に、友である尼僧らとともに葬られた。

そこは比丘尼(びくに)、おびいさまたちの墓、おびい塚と呼ばれ、今も敬われている。

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