星の章3
その夜、曹渓寺の妙善のもとに尼僧たちが集まった。
忙しい一日をいたわる妙善の言葉に続いて、楊柳尼が報告を始めた。
「どのおなごらも健やかで、安堵致しました。早速明日から手分けして、田植えが出来そうな田んぼを確認して回るとのことです。苗代が作ってあると知って大層喜んでおりました」
「三井に残って苗を育てていた年寄りたちも苦労の甲斐がありましたね」
「左様で御座いますとも」
至極満足げに楊柳尼が頷くと、白衣尼がおっとりと話し始めた。
「わたくしが聞きましたところ、内藤の山城に携えて参りました腰機が大層役に立ったということです。みな寸暇を惜しんで機織りや筵編みを致しておりましたら、嫁に来ぬかと声がかかったそうで」
「どの娘も働き者ですからね。それで返事は如何様に?」
「三井はこの先男手が必要なので、むしろ次男三男を婿にくれと申したそうです」
尼僧たちは「しっかり者よのう」と口々に感心したり笑ったりした。
妙善も共に笑い、それから目線を蓮月尼に向けた。
「勝間田の叔父君は如何でしたか」
尼僧らの視線が集まり、蓮月尼は一瞬言葉に詰まった。
考えをまとめるべく目を瞑り、再び開いた時にはどの瞳も真剣な色を浮かべていた。
「勝間田の叔父が申すには、あと十日ばかりのうちに鷲頭の庄で再び戦いが始まるのではないかということです」
「なんと!」
尼僧たちは一斉に驚きの声をあげる。
まだ戦い足りぬのか。
堪えきれない呻きを漏らす。
「本家の方に、戦の助力までは求めぬ、せめて会って話だけでもという文があったそうですが…」
「如何なさいましたか?」
「前もって牛頭天王社の件を伝えておきましたので内藤本家の皆は断ったそうです。わたくしも安堵致しました」
尼たちの緊張感がわずかに和らいだ。
「要害というほどの地の利もない。兵力においても敵うはずもない。であるのに何ゆえ和平を求めぬのかと思っておったら起請文で誓約しあっておったとはのう」
ようやく得心がいったと頷く楊柳尼の横でまだ若い多羅尼がぽつんと呟く。
「ではこの戦いは鷲頭方がみな死ぬまで終わらぬのでしょうか…」
暗い未来に尼僧たちの表情は沈んだ。
この先それぞれの身内がいずれかの陣営で命を落とすことになるだろう。
そのうえ季節も悪い。
すぐに田植えに入らねばならない時期だというのにこれから戦いを始めるとは、余りにも愚かな行いだ。
このままでは民草が秋までに確実に飢える。
今年の収穫が無くなるということは来年の飢餓が約束されたも同然だ。
シンと静まり返った中で、白衣尼がおずおずと口を開いた。
「先代の長弘殿はいったい何をお考えだったのでしょう。わたくしは母の母が鷲頭の血を引くという程度の鷲頭の端くれに過ぎませんが、鷲頭山には多々良一族の先祖伝来の妙見社がございます。それなのに、あの方は広聞寺を建立し牛頭天王社を勧請し、これが鷲頭の氏寺氏神だ、などとおっしゃるなんて…。妙見社と妙善さまをお守りいただくために婿養子にお迎えしたはずがこれでは…」
「婿養子だから、なのでは」
一度口を開くと止まらなくなった白衣尼を一如尼の言葉が遮った。
楊柳尼も一如尼に同意し、言葉を重ねた。
「おのこらには妙な意地があるからのう。同じ多々良一族内とはいえ他家に養子に出された鬱屈がおありだったのやも知れぬ。今も長弘殿のご子息たちが意地を張っておいでじゃ。困ったものよのう」
嘆息する尼たちを妙善は見回した。
小さく息を吐くと背筋を伸ばし笑んでみせる。
「鷲頭の女人方にわたくしから文をお送りいたしました。何かあれば武器を捨てて妙見社に逃げ込み助けを求めよ、間違っても自死を選んではならぬと」
自分を見つめる尼僧たち一人一人に頷きながら「御仏のお導きを皆で祈りましょう」と告げた。
***
「お待ちになって」
妙善の部屋から下がる蓮月尼に、瑠璃尼が追い付き声をかけた。
振り返った同輩の目をじっと見つめ、蓮月尼の両の手を取り包んだ。
老いた瑠璃尼の乾いた手の平からいたわりの心が伝わってくる。
お休みなさいませと去ってゆく瑠璃尼の背中に、蓮月尼は深くお辞儀をし見送った。
まだ寝付けそうにはない。
思い惑う蓮月尼は曹渓寺の境内をさ迷い歩いた。
辺り一面、闇に覆われている。
月もない星ひとつない真っ暗な空を見上げて、居場所が分からない甥を思った。
燃える新屋河内の砦から弟、盛清は追っ手を引き付けながら山側に向かった。
矢野のじいは幼い甥を抱き抱えて大川の方へ向かった。
普段であれば水量の少ない時期なので、川を渡り対岸の内藤本家の山城にたどり着けただろう。
しかし運の悪いことにあの日は豪雨のあとで大川は水かさを増していた。
子連れの老人がまっすぐ渡れたとは思えない。
今どこにいるのか。
敗将の遺児である甥を表だって探すことも出来ない。
苛立ちと無力感に打ちのめされ、蓮月尼は曹渓寺の本堂に足を向ける。
ぬばたまの黒の中に観世音菩薩が微笑み、穏やかに佇んでいた。
出家した身でありながら迷い続ける愚かなおのれを御仏の前に投げ出し、有らん限りの強さで祈った。
観世音菩薩よ。
火炎から、水難から、追っ手から、盗賊から、呪詛や毒から、悪鬼羅刹から、悪獣から、毒蛇から、雹や雷雨から、ありとあらゆる災厄から、どうかあの子を救いたまえ。
真実を見通す智慧と憐れみと慈しみの目を持たれる方よ。
清らかな智慧の光でどうか闇を照らしたまえ。
妙なる音、観世音よ。
聖なる音を波涛の如く響かせたまえ。
一心不乱に祈るうちに、蓮月尼はふわりと意識を失い観世音菩薩の足元に崩れるように倒れ伏した。
ざ…ざざ…、と耳鳴りのように寄せる波の音が遠くで響いていた。




