嫗(おうな)の章
昔々、石城山には山姥が住んでおった。
山姥とは何かとな?
うーむ。
尋常の人間が立ち入れないお山に住む、不思議な力を持った年経たおなご、かな。
どんな姿なのか?
わしは見たことがないし誰も見たことがない。
とにかくその山姥は長く長く生きていたそうだ。
石城山の山姥は、姿は見せないが優しいおばばでな。
村人がお祭りの時に茶碗や皿などの器が必要なときは求めるものをこころよく貸してくれたということだ。
山姥が住む水門の前の願い箱に、借りたいものを書いた紙を入れて「山姥さま山姥さまどうかお貸しください」とお願いすると「おぅおぅ」と返事があってな。
お祭りの日までに揃えて置いてあったそうだ。
山姥が貸してくれる器はどれも素晴らしいもので、村人はとても喜んでおった。
ところが、ある年うっかりものが山姥から借りた器を割ってしまってな。
どうしたものかと村のみんなで頭を抱えたそうだ。
直すことも出来ない。
同じものを買ってきて返すことも出来ない。
そなたならどうする?
ふむ。
そうだな。
弥太郎なら謝るだろうな。
良い子だ。
さて村人たちがどうしようかと話し合っていたときに一人の年寄りがこう言った。
わしは年寄りだしわしが子供の頃から山姥さまはおった。
話によるともっと前からおられたそうじゃ。
もう随分なお年じゃから皿の一枚や二枚、無くなっても気がつかんのじゃないかのう?
村人たちにとってそれは恐ろしく名案に思えた。
見つからなければそれで良し。
見つかれば謝ろう。
彼らは借りた山姥の器を持って水門に行き、山姥への礼もそこそこに走るように山を下りたのだ。
困ったことよ。
さて次の年、村人たちは祭りに必要な器を記した紙をいつものように願い箱に入れようと山に上った。
だがなんと肝心の箱が見つからない。
別の場所に山姥が置いたのかもしれんとあちこち探したが見つからぬ。
彼らが耳を澄ませると、水門の奥から「おお…おお…」と山姥の泣く声が聞こえたそうだ。
弥太郎!
どうしたのだ。
山姥が可哀想だと?
そうだな。
貸し与えた器を割られ、謝ってももらえず、どうせ年寄りだ、数も覚えておるまいと侮られて可哀想だな。
こらこらこら。
そんなにひどく泣くではない。
…ほんにそなたは優しい子だのう。
安心せい。
年経たおなごがそんなに柔なものか。
続きをお聞き。
村人たちは山姥の泣き声に自分たちの仕出かした過ちに気付いた。
なぜ正直に謝らなかったのだろう。
山姥の住む水門からはこんこんと水が湧き出て来た。
きっとこれは山姥の涙だろう。
あんなに優しくしてくれた山姥を悲しませたことを彼らが悔やんだとき、水に乗って一枚の紙が流れて来た。
それにはこう書いてあったそうだ。
お椀やお皿は石城山にとっても大事な物だ。
これからは途切れることなく水を与えて進ぜよう。
この水で作物を作りそれで得た金でお椀を買うように。
それ以来どんな干ばつの年も石城山の水が枯れたことはないそうだ。
村人たちはこの水は山姥の涙だと語り継いだ。
不正直で悲しませた自分たちに、山姥がおのれの涙を与えてくれたことを子々孫々伝えているそうだ。
どうだ弥太郎。
山姥は強かろう?
んん?楊柳さまのようだと?
ほほほ。
そうだな。
三井のお山に住むこのわしも山姥ではあるな。




